part 1
第二章『友人』
転校してから数日が過ぎた。
カレン・エンフィールドは、重い頭痛と共にゆっくりと目を開けた。
見慣れない高級マンションの天井をぼんやりと見つめながら、自分がベッドの上に倒れ込んでいることを認識する。身体を起こすと、制服の代わりに身につけているのは、使い込まれた黒のライダースジャケットだった。
昨夜も夜の姿のまま東京の街へ繰り出し、気の向くままに爆走した後、帰宅してそのままベッドに倒れ込んでしまったのだ。
「……やってしまいましたわね」
ズキズキと痛む二日酔い気味の頭をなんとか起こし、カレンは重い息を吐いた。シャワーを浴びるべきか迷ったが、ひどく億劫だった。
今日はシャーロットがいない。その事実を思い出し、少しだけ気が楽になる。
エンフィールド家に代々仕える世話係のシャーロットは、今日はカレンの敬愛する兄、ジャックの妻である美咲の定期検診に付き添うために出かけているのだ。その検査の間、まだ十歳になる彼らの息子、湊のお世話も兼ねているらしい。
「まあ、小言を言われないだけマシですわね」
カレンは手早く着替えを済ませ、夜のワイルドな姿から、昼の完璧で清楚な令嬢としての姿へと自分を整えた。
キッチンに立ち、手早くビーンズオントーストを作り、熱い紅茶と共にシンプルな朝食を胃に流し込む。
つけっぱなしにしていたテレビのニュース番組からは、最近世間を騒がせているという半グレ集団『リコリス』の話題が流れていたが、カレンはそれをBGM程度に聞き流しながら身支度を終えた。
地下駐車場に降り、愛車のロイヤルエンフィールド・ハンター350に跨る。
春の風を切りながら通学路を走り、学校に到着すると、カレンは瞬時に仮面を被った。
「おはようございます、秋山さん、冬木さん」
駐輪場で顔を合わせた秋山美鈴と冬木凪沙に、カレンは絵に描いたような優雅な微笑みを向ける。あれから数日、カレンはすっかりこの二人とつるむようになっていた。なんなら先日などは、冬木凪沙に勧められて彼女の母親の法律事務所の下にあるオシャレな喫茶店にまで招待されたほどだ。
他愛のない日常会話を交わしながら、三人で教室へと歩いて向かう。
「やあみんな、おはよう」
廊下の途中で、幼馴染の桐生春一がひょっこりと現れて合流した。
「おはよう春一。そういえばさ……」
美鈴が声を潜め、ふと周りを気にするようにして話題を切り出した。
「最近、夜の街に現れるっていう『黒いライダー』の噂、知ってる?」
その単語に、カレンの心臓がトクリと跳ねた。
「昨日、お父さんから聞いたんだけどね。相手は運転が完全にプロ級らしくて、車やらトラックやらを信じられないスピードですり抜けていくから、パトカーや白バイがいくら追いかけても一瞬で振り切られるんだって。しかも、監視カメラの映像からナンバープレートを割り出して調べても、全く該当しないらしいの。警察の中じゃ、恐らく天ぷらだろうって言われているわ」
「天ぷら?」
聞き慣れない言葉に、凪沙が不思議そうに小首を傾げる。
「警察の用語で、偽ナンバーのことよ」と美鈴が説明した。
(天ぷら……なるほど、実に日本らしい隠語ですわね)
カレンは内心で感心しつつ、冷ややかに状況を分析していた。
(まあ、私のアレはハンドルのボタン一つで別のナンバープレートに切り替えられるギミックですから、最初から完全な偽物をつけているわけじゃありませんけど)
美鈴はさらに言葉を続ける。
「そのライダーはヘルメットで顔を隠していて謎に包まれているんだけど、防犯カメラに映った体つきからして、おそらく女性だろうって。最後にはね……」
美鈴はそこで少し意地悪そうに目を細め、カレンの顔を見た。
「その黒いライダーが乗っているバイク、カレンの乗っているロイヤルエンフィールドのハンターと同じメーカーなんだってさ」
一瞬の沈黙。
カレンは表情筋を総動員して、微かな震えを帯びた声を出した。
「まあ……! なんて怖いですわ。私と同じメーカーのバイクに乗った方が、そんな恐ろしい暴走行為をしているなんて。巻き込まれたらと思うと、夜道も安心して歩けませんわね……」
両手を胸の前で組み、怯えた深窓の令嬢を完璧に演じきる。
内心では(ご本人が目の前であなたと会話しておりますけれどね)と、腹の底で大笑いしていた。
「あはは、ごめんごめん脅かしちゃって。まあ、私もさすがにお嬢様みたいなカレンが夜の街で暴れているなんて思わないわ」
美鈴が笑って手を振ったことで、その場はなんとかやり過ごすことができた。
話題はすぐに別のものへと移った。
黒いライダーの噂とは別に、最近この北多摩地域の街にも勢力を伸ばしてきている半グレ集団がいるらしい。
「その集団の名前、リコリスっていうんだって」と春一が言った。
リコリスの本家は東京都心部、新宿を起点としているが、最近は東京の多摩方面、つまり西へと勢力を拡大しているらしい。
彼らの活動は主にクスリの売買だったり、詐欺だったり、裏での人身売買だったりと、ありとあらゆる不穏な噂が絶えない。
組織内の統率力は異常なまでに固く、裏切り者には容赦ない制裁が待っている。むしろ、この徹底した恐怖こそが統率力を生んでいるのかもしれない。見せしめとして、巨大なガーデンシュレッダーに人間を入れた後のような凄惨な肉片の報告が届き、警察内部ですら震え上がっているというのだ。
それを聞いたカレンは、今朝テレビで流れていたニュースを思い出した。
(アレがリコリスですのね。なんとも悪趣味な連中ですこと)
「怖いよね……カレンちゃんも、一人暮らしなんだし本当に気をつけてね」
不安そうに見上げてくる凪沙に、カレンは安心させるように微笑んだ。
「ええ、ありがとう冬木さん。暗くなる前には戸締まりをして、出歩かないようにしますわ」
そうこうしているうちに、二年B組の教室前に到着した。
「じゃあ俺は隣の教室に行くね」と、春一は三人に向かって手を振り、自分のクラスーー二年A組へと歩いていった。
さて教室に入ろうか、とカレンがドアに手をかけた時だった。
背後から、美鈴がふと鼻をすするような仕草をした。
「ねえ、カレン」
「なんですの?」
「……あなたの髪の毛から、タバコのニオイがするんだけど」
美鈴の真っ直ぐな視線がカレンを射抜いた。
「カレン、今一人暮らしだよね? 誰か家にきているの?」
ギクリ、とカレンの背筋に冷たい汗が流れた。
昨夜、夜の繁華街から帰ってそのままベッドに倒れ込み、朝シャワーを浴びるのをすっかり忘れていたのだ。香水でごまかしたつもりだったが、髪の毛に染み付いたタバコのニオイは完全には消えていなかったらしい。
「あ、ああ……実を言いますと、実家からお手伝いのシャーロットがしばらく私の様子を見に来ているんですの」
カレンは咄嗟に不在のメイドをダシに使った。
「彼女、仕事は完璧なのですけれど、かなりのヘビースモーカーでして。家の中では吸わないように注意はしているのですけれど、どうしてもニオイが移ってしまったみたいですわ。お恥ずかしいところを見せてしまいましたね」
「な〜んだ、メイドさんのニオイだったんだね!」
凪沙はパッと表情を明るくして納得した様子だったが、秋山美鈴のほうは違った。彼女の目はまだ納得しておらず、カレンの言葉の裏を探るような、刑事の娘らしい鋭い光を宿していた。
おそらく内心で、何か別の確信めいた証拠でも持っているのだろうか。
「もう、美鈴ちゃんってば。カレンちゃんに変なこと言って疑わないでよ」
凪沙がプクッと頬を膨らませて美鈴を叱り、その場はなんとか収拾がついた。
既に作品出来上がっているので、なるべく毎日投稿を心がけます。




