間章『英国令嬢のティータイム事情』
間章『英国令嬢のティータイム事情』
放課後の生ぬるい風が、制服のスカートをふわりと揺らす。
「ねえカレンちゃん、美鈴ちゃん! この後、うちのお母さんの法律事務所の下にある喫茶店『レンガ亭』に寄っていかない? そこのケーキセット、すっごく美味しいんだよ!」
ホームルームが終わるや否や、冬木凪沙が目を輝かせて提案してきた。
カレン・エンフィールドは一瞬、昨夜の乱闘の疲労を理由に断ろうかと考えたが、郷に入っては郷に従え、である。極東の島国での学校生活を円滑に進めるためにも、交友関係は無碍にできない。
「ええ、喜んでお供いたしますわ」
「私も行く行くー。甘いもの食べたかったし」
秋山美鈴も賛同し、三人は学校を後にした。隣クラスの春一は「今日は姉と用事あるんで三人で楽しんできてよ」と言って家庭の事情を優先してどこかへ行った。
凪沙と美鈴の二人は徒歩で先に向かい、カレンは愛車のロイヤルエンフィールド『ハンター350』で後を追うことになった。
指定された場所は、駅から少し離れた落ち着いた雰囲気のオフィス街。近くの時間貸しバイク駐輪場にハンターを停め、カレンはヘルメットをシートに引っ掛けてから目的地へと歩を進めた。
見上げれば、レトロなレンガ造りのビルの二階の窓に『冬木法律事務所』と堅苦しい文字がカッティングシートで貼られている。その一階部分に店を構えるのが、今回の目的地である喫茶店『レンガ亭』だった。
カラン、カラン……。
『レンガ亭』と彫られた木製の看板がかかるアンティーク調の重厚なドアを開けると、真鍮のベルが心地よい音を立てた。焙煎された珈琲豆の香りと、バターの甘い匂いが鼻をくすぐる。
「カレンちゃん、こっちこっち!」
奥のボックス席から、小柄な凪沙がぶんぶんと手を振っていた。向かいの席には美鈴がすでに腰を下ろしている。
「お待たせいたしましたわ」
カレンは優雅な足取りで二人の元へ向かい、凪沙の隣に腰を下ろした。
早速メニューを開き、それぞれがオーダーを決める。
「私はアイスレモンティーと、ショートケーキ!」
「私はアイスコーヒーとチーズケーキかな」
「では、私はホットのミルクティーと、スコーンをお願いいたしますわ」
ウェイトレスが注文を書き留めて去っていくと、カレンは不思議そうにパチパチと瞬きをした。
「……あら。日本の喫茶店には、本当に『アイス』のコーヒーやレモンティーがあるんですのね」
「えっ? あるよ? むしろこれからの時期、アイスがないと死んじゃうよ」
美鈴が目を丸くして答えると、カレンはくすりと上品に笑った。
「イギリス本国では、ティーは基本的に『ホット』でいただくのが常識なんですのよ。紅茶をわざわざ冷やして飲むなんて、向こうの保守的な人間からすれば、もってのほかの邪道ですわ。それはコーヒーも同じですの」
「へええっ、そうなんだ! 夏でも熱い紅茶飲むの?」
「ええ。それに、日本の皆さんは紅茶をストレートで飲まれたり、レモンを入れたりなさいますけれど……イギリスでは、基本的に『ストレート』か『ミルクティー』の二択ですわ。しかも、ほとんどの人がたっぷりのミルクを入れますのよ。逆に、ストレートで飲んでいる人を、私はイギリスで見たことがありませんわ」
「文化の違いってすごいね……なんか、もったいない気がしちゃう」
凪沙が感心したように頷く。
テーブルに置かれた『レンガ亭』のメニューを何気なく眺めていたカレンの視線が、ふと軽食のページで止まった。
「まあ。このお店、カツカレーもありますのね」
「うん、ここのカツカレー、常連さんにすっごく人気らしいよ」
「実は、イギリスでもカツカレーはとても人気がありますのよ。若者を中心にブームになっていますの」
「え、イギリスでもカツカレー食べるの!? なんか意外!」
美鈴が身を乗り出す。カレンは少しだけ得意げに唇を綻ばせた。
「ええ。でも、日本のものとは少し違いますわ。向こうのカツカレーのカツは、大半がポークではなく『チキンカツ』ですの。様々なルーツを持つ方や、イスラム教徒の方などもいらっしゃるので、誰もが食べられるようにという配慮かと思いますわ」
「なるほどねー、お国柄だ」
「それと……カツカレーは人気ですけれど、お店によってはライスの代わりに『うどん』が敷かれていることもありますわね」
「「う、うどんにカツとカレー!?」」
美鈴と凪沙が綺麗にハモって驚きの声を上げた。
「名前は『カツ』と『カレー』ですから、下にライスが敷いてあるとは一言も書いておりませんもの。間違ってはいませんわね」
カレンがすまし顔で言うと、二人は「理屈はそうだけどさぁ……!」と笑い合った。
注文したケーキとドリンクが運ばれてきて、女子高生らしい他愛のない談笑に花を咲かせていた、その時だった。
「あら凪沙、学校帰り? お友達と一緒なのね」
凛とした、よく通る声が頭上から降ってきた。
見上げると、カチッとしたダークスーツを見事に着こなし、知的なフレームの眼鏡をかけた長身の女性が立っていた。
「あ、お母さん! お疲れ様!」
彼女こそが、凪沙の母であり、法曹界でもその名を知られる凄腕の弁護士――冬木しのぶであった。
(……なるほど。確かに、法廷で鍛え上げられた強烈な貫禄を感じますわね)
カレンは内心で冷静に分析する。警察の刑事である美鈴の父親と並んで、この極東の地における『天敵その2』といったところだろう。
「初めまして、お母様。イギリスから転校してまいりました、カレン・エンフィールドと申します」
カレンはスッと立ち上がり、完璧なカーテシー(お辞儀)を披露した。
「ご丁寧な挨拶、ありがとう。凪沙の母のしのぶよ。カレンさんのことは、この子からよく聞いているわ」
しのぶが柔らかく、しかし隙のない微笑みを返す。
和やかな空気が流れる中、空気を読まない純真無垢な凪沙が、爆弾を投下した。
「ねえねえお母さん聞いて! カレンちゃんってすごいんだよ! イギリスのお家で、お父さんと一緒にスコッチ飲んでたんだって!」
「――っ!?」
カレンの背筋を、冷たい汗がツーッと流れ落ちた。
ピタリ、と。
しのぶの眼鏡の奥の瞳が、優しげな母親のものから、獲物を逃さない『弁護士』のそれに切り替わったのがわかった。
「……カレンさん」
静かだが、有無を言わさぬ圧を伴った声。
「はいっ」
「あなたの母国の文化や、ご家庭の教育方針について、私が口出しする権限はありません。何も言わないわ。……でもね、ここは日本よ。日本の法律では、未成年の飲酒は固く禁じられているの。郷に入っては郷に従え……これからは、十分気をつけてちょうだいね」
「は、はいっ。肝に銘じますわ……!」
カレンは引き攣りそうになる頬を必死に抑え、深々と頭を下げた。
(……ああっもう、無駄に正義感とコンプライアンス意識が強そうですわね! 絶対に、この人には深く関わりたくありませんわ!)
夜な夜なバイクで暴れ回っているなどと知られれば、この弁護士にどんな法的措置を講じられるかわかったものではない。
「ふふ、脅すような言い方になってしまってごめんなさいね。ゆっくりしていってちょうだい」
しのぶはそう言い残すと、颯爽と店を出ていった。嵐が過ぎ去ったような沈黙の後、カレンはどっと疲労感に襲われながら椅子に沈み込んだ。
「ご、ごめんねカレンちゃん。うちのお母さん、法律のことになるとちょっと厳しくって……」
「いいえ、お気になさらず……」
凪沙が申し訳なさそうに謝り、気を取り直すように美鈴が再び紅茶の話題へと軌道修正した。
「そ、そういえば! カレンちゃんのお家って、メイドさんとかいるの? やっぱり紅茶淹れるのとか上手いのかな」
「ええ。エンフィールド家には代々仕えてくれている家系がありましてよ。私のお世話係のメイドも、紅茶の作法や茶葉の品質には、それはもう並々ならぬこだわりを持っておりますわ」
「へえー! すごーい、漫画みたい! 一度でいいから、本場のメイドさんに会ってみたいなあ!」
凪沙と美鈴が目をキラキラさせて身を乗り出してくる。
カレンは、遠く離れた日本にまで自分を監視(世話)しに来ているシャーロットの顔を思い浮かべた。
完璧な仕事ぶりを見せる彼女だが、実はガチガチの英国保守派――もっと言えば、生粋の『白人至上主義者』のきらいがある。以前、彼女の母に会ったことがあるが東洋人を「イエローモンキー」と揶揄していたのと同じ土壌で育っているのだ。
(あの冷徹なシャーロットに、この東洋人の友人たちを会わせたら……表面上は取り繕うでしょうけれど、裏でどんな毒を吐くか想像もつきませんわ)
「あー……でも。皆様の場合は、正直、彼女とはあまりお会いしないほうが……」
カレンは思わず口ごもった。
「えっ、なんで? 私たち、失礼なことしちゃうかな?」
「い、いいえ! なんでもありませんわ! 彼女、とても忙しい人ですから、お茶を淹れてもらう暇がないかもしれませんの! オホホホ!」
カレンは強引に空のティーカップを持ち上げ、高笑いで誤魔化した。
窓の外の空が茜色に染まり始める頃。
すっかり空になったティーカップとケーキ皿を前に、三人の放課後のティータイムは和やかにお開きとなった。
(警察の娘に、弁護士の娘……そして白人至上主義者のメイド)
帰り際、ハンター350のエンジンに火を入れながら、カレンはふぅと長い溜息をつく。
偽りの英国令嬢が平穏な学園生活を送るには、まだまだ越えるべき地雷原が多そうである。
既に作品出来上がっているので、なるべく毎日投稿を心がけます。
続けて今日の午後八時ごろにも投稿します。




