part 5
北多摩高校、二年B組の教室。
カレン・エンフィールドは、今日も完璧な『お嬢様』の皮を被って自分の席についていた。
背筋をピンと伸ばし、分厚い文庫本(もちろん英字の原書だ)を優雅に読んでいるその姿は、窓から差し込む朝の光と相まって、一幅の絵画のように美しい。クラスメイトたちが遠巻きにうっとりと眺めているのがわかる。
(はぁ……昨日の運動で少し筋肉痛ですわね……。あのチンピラども、思ったより頭蓋骨が頑丈でしたもの)
内心では昨夜の乱闘の反省会をしつつ、表面上は穏やかな微笑みを浮かべてページをめくっている。
そこへ、「おはよう」と美鈴、凪沙、そして春一の三人が連れ立って登校してきた。
「おはようございます、皆様」
「あ、おはようカレンさん」
「おはよう……」
挨拶を交わすが、美鈴がどこか言いにくそうに、チラチラとカレンの顔と鞄を探るように見ている。
カレンはパタンと本を閉じ、小首を可愛らしく傾げた。
「どうかしましたの? 秋山さん。私の顔に、何か不細工なものでもついていて?」
「えっ、あ、ううん! 何でもないの! ただちょっと……昨日のニュースとか見たかなって」
「ニュース、ですか?」
カレンの心臓が、トクリと一つ大きく跳ねた。
まさか、昨日の今日で身バレしたのか? いや、あり得ない。ヘルメットは一度も脱いでいないし、ナンバーも偽装に切り替えていた。私がカレン・エンフィールドだという証拠はどこにも残っていないはずだ。
「実はね、昨日の夜、新宿で凄まじい事件があったらしいんだよ」
口を開いたのは、隣の席に座った桐生春一だった。彼は少年のように目をキラキラさせ、興味津々といった様子で身を乗り出してくる。
「黒いライダースジャケットを着た謎のライダーが、絡んできた不良グループをバイクの曲乗りだけで撃退したんだって! しかも最後は、コンビニのガラスをぶち破って、店の中に相手を吹き飛ばしたとか」
「まあ……! なんと野蛮な……」
カレンはサッと口元に手を当て、眉をひそめてみせた。こういう時の令嬢としての演技力には絶対の自信がある。
「本当に怖い世の中ですわね。日本はとても治安が良い国だと聞いておりましたのに……」
「でしょ? でもネットの一部じゃ『悪い奴を倒したダークヒーローだ』なんて噂になってるみたいだよ。でね、そのライダーが乗ってたバイクが……」
春一が、もったいぶるように言葉を区切る。
カレンは表情筋を総動員して、完璧な平静を保った。
「カレンさんのと同じ、『ロイヤルエンフィールド』だったらしいんだ」
「……あら」
カレンは一度だけゆっくりと瞬きをして、ふふっと柔らかく、そして上品に笑ってみせた。
「それは奇遇ですわね。私の愛車と同じメーカーだなんて」
「だよね! 俺も最初はびっくりしたけど、カレンさんがそんなことするわけないし」
「ええ、もちろんですわ。私のハンターは、風を感じて優雅なツーリングを楽しむためのものであって、人を傷つけるための凶器ではありませんもの」
(昨日はアクセルターンからの後輪で、思い切り顎を砕いてやりましたけれど)
心の中に浮かんだ物騒な悪態に、完璧な笑顔で蓋をする。
横で聞いていた美鈴も、カレンのその一切の濁りがない屈託のない笑顔を見て、心の底からホッと胸を撫で下ろしたようだった。
「だよねー! あーよかった。ごめんごめん、今朝ちょっとお父さんから話を聞いて、車種が同じだったから一瞬びっくりしちゃってさ」
「お父様から?」
「うん、昨日言ったでしょ? うちのお父さん刑事でさ。昨夜のそのコンビニの事件、ドンピシャで担当してるみたいで」
――ピキリ。
カレンの完璧な笑顔が、ミクロン単位で凍りついた。
(刑事……!? そういえば昨日そんなことを言っていましたけれど、よりによってこの女、私を追っているサツの娘ですの!?)
これは完全に想定外だった。
ただのクラスメイト、それもこれから日本の学校生活でうまく利用して、仲良くしていこうとしていた相手の親が、あろうことか『黒いライダー(自分)』を血眼になって追っている当事者だとは。
カレンは手元のペットボトルに入った紅茶を優雅に口に運び、極限の動揺を喉の奥へと流し込んだ。
「そうでしたの……。現場で戦う警察官のお父様なんて、本当に頼もしいですわね。私、市民の安全を守る警察の方々には、いつも心から感謝しておりますのよ」
(どいつもこいつも無能な税金泥棒ばかりで、昨夜もパトカーの動きがトロすぎて、撒くのが簡単すぎてあくびが出ましたけれど)
「あはは、そう言ってもらえると嬉しいな。でも犯人は相当運転が上手いみたいでさ、プロ級だって父さんが悔しそうに言ってたよ」
「へえ、すごいね。どんな人なんだろう。スタントマンとかかな?」
凪沙が事の重大さに気づかずに、呑気に相槌を打つ。
そこへ、一時間目の始まりを告げる予鈴のチャイムが学校中に鳴り響いた。
「おっと、席つかなきゃ。じゃあねカレンさん」
「ええ、また後ほど」
三人がそれぞれの席へ戻っていくのを笑顔で見送りながら、カレンは誰にも聞こえないほどの小さな、しかし深々とした溜息をついた。
教壇に向かって歩いてくる教師を眺めながら、彼女はそっと頬杖をつく。
(やれやれ……。とんでもない火薬庫の上に座ってしまいましたわね)
捜査情報に繋がる刑事の娘である美鈴。そして、お人好しのただのバイク好きなのかわからない春一。純真無垢な凪沙。
彼らとの学校生活は、一歩間違えれば即座に「島流し」以上の破滅が待っている、スリル満点の綱渡りになりそうだ。
しかし。
カレンは机の下で、昨夜の風を切る興奮と、パトカーを出し抜いた快感を思い出すように、こっそりと拳を強く握りしめた。
美しい唇の端が、ほんのわずかに、しかし確かに釣り上がる。
退屈で死にそうだと思っていた極東での令嬢生活が――ほんの少しだけ、面白くなってきたかもしれない。
既に作品出来上がっているので、なるべく毎日投稿を心がけます。




