part 3
食後、二人は再び公園内の散策に戻った。
途中の売店で、春一が「これ、美味しいんだよ」と言って吉祥寺名物のカレーパンを買ってきてくれた。
木陰のベンチに並んで座り、揚げたてのパンを頬張る。
「ん……! 美味しいですわ。見た目は完全にドーナツですけれど、中身はスパイシーなカレーなんですのね」
「だろ? 俺もこれ、結構好きなんだ」
他愛のない会話を交わしながら、二人は公園の奥深くへと進んでいった。
やがて、木々に囲まれた風情のある石造りの橋——『石畳橋』の上へと差し掛かった。
木漏れ日が水面をキラキラと照らす中、春一はふと足を止め、大きく深呼吸をした。
その横顔には、今までの緊張や照れとは違う、真剣で真っ直ぐな決意が宿っていた。
「……カレンさん」
春一はカレンに向き直り、ズボンのポケットから、先ほど雑貨屋で買った小さな紙袋を取り出した。
袋の中から出てきたのは、繊細な意匠で象られた、黒い『薔薇』を模した美しい髪飾りだった。
「これ……受け取ってほしい」
春一は少し震える手で、その髪飾りをカレンの前に差し出した。
「さっきの店先で見かけて、絶対にカレンさんに似合うと思ってたんだ。……ぜひ、受け取ってほしい」
カレンは驚きに目を見開き、その髪飾りと春一の顔を交互に見た。
「春一さん……」
そして、春一は一歩踏み込み、カレンの碧眼を逃げることなく真っ直ぐに見つめ返した。
「それと。……俺は、カレンさんが好きです。俺と、付き合ってください」
木々の葉が風に揺れる音が、やけに大きく聞こえた。
カレンの心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。
しっかりとした覚悟を持った、春一の表情。
彼は、知っているはずだ。カレンの『本物』の正体を。
日本にいるお淑やかな「カレン・エンフィールド」は偽物で、今目の前にいるこの昼の姿も、ただの皮に過ぎない。
本当の彼女は、両耳と唇に大量のピアスを開け、太く鋭いアイラインを引き、ライダースジャケットを羽織って夜の街を徘徊する不良少女だ。
ロンドンのアンダーグラウンドで、警察とカーチェイスを繰り広げ、夜の仲間たちとカジノやクラブで馬鹿騒ぎをし、男漁りをしては朝まで火遊びを繰り返してきた、汚れたアウトロー。
エンフィールド家の莫大な資金と権力によって、法的な「犯罪歴」こそついていないものの、彼女がやってきたことは明らかに真っ黒だ。
そして何より、実家は世界中に兵器を売り捌き、血と硝煙の代償として莫大な利益を得ている『死の商人』。
明らかな裏社会の住人であり、彼女の両肩から腕へとビッシリと刻まれた黒薔薇と茨のタトゥーが、その逃れられない宿命の証なのだ。
平和な日本で育った普通の男子高校生である桐生春一とは、生きている世界が、住む次元が違いすぎる。
「……そんな。本当に、私でいいんですの?」
カレンの声は、自分でも驚くほど弱々しく震えていた。
「もし……数日前の、私の部屋でのたった一夜のベッドインで、一時の気の迷いで私を好きになってしまったのだとしたら……忘れなさい」
カレンは自分を戒めるように、冷たい言葉を紡いだ。
「私は、あなたたちのことが嫌いじゃありません。春一くんのことも、嫌いじゃありませんの。……だからこそ、こんな私を好きになって、後で気が付いて『こんなはずじゃなかった』なんて後悔してほしくない」
カレンは春一から目を逸らし、橋の下の水面を見つめた。
「あれは、ただの悪い夢だったと思いなさい。……私に関われば、あなたは……」
「そんなことないっ!!」
春一の強い叫び声が、カレンの言葉を遮った。
春一はカレンの両肩をガシッと掴み、無理やり自分の方へと向かせた。
「俺は……カレンは確かに、過去に色々と問題を起こしたかもしれない。でも、俺は『今のカレン』を好きになったんだ」
春一の言葉には、一切の迷いがなかった。
「そりゃあ……色んな男たちと遊んでたって聞いて、めちゃくちゃショックだったし! 昼の姿のカレンを見て、清楚で綺麗で素敵だなって思ってた俺のピュアな幻想は、見事に粉々に砕け散ったよ!」
「……ええ。存じておりますわ」
「だけど! 同時に俺は、カレンが誰よりも友達想いの、本当に優しい女の子だって知ったんだ!」
春一はカレンの瞳を真っ直ぐに見つめ抜いた。
「会ったばかりの凪沙と美鈴、そして俺。凪沙が半グレたちに攫われた時、自分の正体が彼女にバレるかもしれないのに……警察に捕まるかもしれないのに、それでも自分の危険を顧みずに助けに行ってくれた! あの恐ろしい連中の巣窟に、たった一人で乗り込んでくれた!」
春一の目から、強い意志を感じた。
「そんなカレンを……俺は、心の底から好きになったんだ。……カレン。幼馴染の凪沙を助けてくれて、本当にありがとう」
その真っ直ぐで、不器用で、どうしようもなく温かい言葉に。
カレンの胸の奥底が、今まで感じたことのないような熱さで締め付けられた。
「それに……」
春一は、少しだけ照れくさそうに笑った。
「俺は、カレンの服の下にあるその『黒薔薇』……すごく綺麗で、カレンに似合っていて、素敵だと思うんだ」
タトゥーを、裏社会の証を、否定するのではなく、彼女の一部として受け入れ、美しいと言ってくれた。
その瞬間、カレンの中で張り詰めていた何かが、完全に決壊した。
「……っ!」
カレンは我慢できなくなり、春一の首に両腕を回して引き寄せると、いきなりその唇に、自分の唇を激しく重ねた。
「んぐっ!?」
驚く春一の口の中に、カレンは一切の躊躇なく、ピアスのついた舌を滑り込ませた。
チュッ、レロォッ……チュパッ。
白昼の公園の橋の上で、息もつかせぬほど濃厚で、情熱的なディープキス。
春一はカレンのテクニックと圧倒的な熱量に完全に翻弄され、ただただ彼女に縋り付くことしかできなかった。
「ぷはっ……!」
ようやく唇が離れると、春一は酸欠状態の魚のように「ゼーッ、ハーッ……!」と激しく肩を上下させて息を吸い込んだ。
「……ごめんあそばせ。あなたの言葉が嬉しすぎて、我慢できませんでしたの」
カレンはいつもは余裕のある表情を崩し、珍しく頬をリンゴのように赤く染めながら、悪戯っぽく微笑んだ。
春一は呼吸を整えながら、カレンの顔を至近距離で見つめ、ポツリと呟いた。
「……カレンさん、タバコ臭い……」
「あら」
バチチチチチッ!!!
「ひぃぃぃっ!?」
いつの間にかカレンの手には、彼女のトレードマークでもある『ガングリップ式スタンガン』が握られており、青白い放電の火花を散らしていた。
「い、いつの間にそんな物騒なもん取り出したんですか!?」
「チッ……ロマンの欠片もない男ですわね」
カレンが舌打ちをしてスタンガンのスイッチを切ると、春一はへなへなとその場に崩れ落ちそうになった。
「……まあ、いいですわ」
カレンはスタンガンをジャケットの内側にしまい、改めて春一に向き直った。
「あなたのその不器用で真っ直ぐな告白、謹んでお受けいたしますわ。なんだかんだ言って、私、あなたのこと嫌いじゃありませんもの。……むしろ、少し好きになってしまったかもしれませんわね」
その言葉を聞いた瞬間。
「やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
春一は両手を天高く突き上げ、公園中に響き渡るような大声で歓喜の雄叫びを上げた。
そして、両手で頭上に大きな『マル』を作った。
ガサガサッ!!
「いや〜〜〜!! よかったぁぁぁぁぁぁっ!!」
突如、橋のすぐ横の茂みから、冬木凪沙が号泣しながら飛び出してきた。彼女は泥だらけになるのも構わず、一直線にカレンの元へ駆け寄り、思い切り抱きついた。
「カレンちゃぁぁん! 本当によかったねぇぇ! 私、もうハラハラしちゃって死ぬかと思ったよぉぉ!」
「ち、ちょっと凪沙さん!? 苦しいですわ!?」
「よくやったな、春一!」
さらに、別の木の陰から秋山美鈴がひょっこりと姿を現し、ドヤ顔で春一の肩をバンバンと叩いた。
「お前、途中で言葉に詰まりそうになってたからどうなるかと思ったけど、見事に決めたじゃない!」
「い、痛い痛い! 美鈴、叩く力強いって!」
突如として現れた二人を見て、カレンは全てを理解した。
「……あなたたち、こっそり後をつけていましたのね」
そういえば、あの屋上での昼食の時も、数日前からグループチャットでコソコソと三人で計画を立てていたのも、すべては今日のこの『告白大作戦』を成功させるためのお膳立てだったのだ。
凪沙は鼻をすすりながら、胸を張って言った。
「当たり前だよ! 大切なお友達と幼馴染の恋を応援するために、全力で頑張るのは当然でしょ!」
「ふふっ……まったく、お節介な人たちですわね」
カレンは呆れながらも、ふと美鈴の方を見た。
美鈴は一時期、カレンが裏社会の人間だと気づいた時、一番強く警戒し、彼女の暴走行為を誰よりも危惧していたはずだ。刑事の娘として、当然の反応である。
「……美鈴さん。あなたは、私が春一さんとお付き合いするのを、認めてくださるんですの?」
カレンの問いに、美鈴はニヤリと悪戯っぽく笑った。
「もちろんよ。……それに、凪沙も春一も、アンタのことが大好きなのに、私が一人で反対して拒否できるわけないじゃない」
美鈴は一歩近づき、カレンの目を真っ直ぐに見た。
「ただし! あなたの夜の危険な暴走行為や、裏社会のドンパチを完全に許したわけじゃないからね。……これからも、友達として突っ込めるところは全力で突っ込んで、無茶な真似は止めさせてもらうわよ」
美鈴は最後に、優しく、そして頼もしく微笑んだ。
刑事の娘としての正義感と、カレンを想う親友としての情愛が混ざり合った、彼女なりの最大限の譲歩と優しさ。
(まあ、私が夜の爆走をやめる気はサラサラありませんけれどね)
カレンは内心でそう思いながらも、彼女たちの温かい言葉に、じんわりと胸が温かくなるのを感じた。
「……それにしても」
カレンはギロリと目を細め、三人を見回した。
「あなたたち、ずっと隠れて見ていたということは……さっきの、私たちのあの『濃厚なキス』も、バッチリ見ていたということですわね?」
「「「ヒィッ!?」」」
カレンの鋭い指摘に、三人は顔を真っ赤にして一斉に後ずさった。
「み、見てないよ! うん、全然見てない! ただのカレンちゃんの顔が近づいたところまでしか見てないから!」
「そ、そうよ! アレは不可抗力っていうか、私たちが飛び出すタイミングを逃しただけで……!」
「俺は当事者だからセーフだろ!?」
しどろもどろになって言い訳を並べる三人を見て、カレンは「クスクス」と可笑しそうに笑った。
「まさか、この私が普通の男の子から真っ直ぐに告白される日が来るとは思いませんでしたわ。しかし……これが噂に聞いていた、日本の伝統的な『告白』という文化なんですのね」
「えっ? イギリスと違うの?」
凪沙が不思議そうに首を傾げた。
「ええ、全然違いますわよ」
カレンは事もなげに、イギリス(というより彼女の周りの夜の世界)でのカップル成立の工程を説明し始めた。
「少なくとも、日本みたいに『好きです、付き合ってください』『はい、よろしくお願いします』なんて儀式を経て、そこから清く正しく交際がスタートする……なんておとぎ話みたいな文化は、向こうにはありませんわ」
「ええっ、そうなの!?」
「なんなら、パーティーやクラブで出会って、お互いに気に入ったら、そのまま何度かデートという名の『ベッドイン』を重ねて、身体の相性を確かめ合ってから、気が合えば『私たち、付き合ってるのかしらね』って自然にパートナーになる……という流れが普通ですわよ」
「「「…………ええええええええええっ!?」」」
カルチャーショックを通り越した、過激すぎる異文化のリアルな恋愛(性)事情に、三人は再び綺麗なハモりで悲鳴を上げた。
「じ、順番が逆!? っていうか、身体の相性から入るの!?」
「カレンちゃん……やっぱり生きてきた世界が凄すぎるよ……」
「お、俺……カレンさんに満足してもらえてるのかな……」
春一が変な方向に悩み始め、美鈴に「アンタは黙ってなさい!」と頭を叩かれていた。
「あ、そ、そうだ!」
凪沙がポンッと手を叩き、空気を変えるように声を上げた。
「カレンちゃん、さっき春一くんが渡した『薔薇の髪飾り』! せっかくだから、今つけてあげるよ!」
「え? あ、ええ。お願いしますわ」
カレンが手渡すと、凪沙はカレンの後ろに回り込み、プラチナブロンドの美しい髪を優しく手ぐしでまとめ、サイドの髪を黒薔薇の飾りでパチンと留めた。
「うん! すっごく似合ってる! さすが春一くん、センス良いね!」
「だ、だろ?」
春一は、少し恥ずかしそうに頬を掻きながら、カレンの顔をまじまじと見つめた。
「夜の、ライダースを着たカッコいいカレンさんも美人で好きだけど……。昼の、清楚な服を着たカレンさんも、本当に美人で綺麗だ。俺、やっぱりカレンのこの綺麗な髪がすごく好きだな」
打算も何もない、心からのナチュラルな褒め言葉。
「……っ!」
カレンは、予想外のストレートな言葉に、本気でドキッとしてしまい、慌ててそっぽを向いて赤い顔を隠した。
(まったく……この男は、時々恐ろしいほどの破壊力を持った言葉を平気で放ちますわね……)
「さてさて!」
美鈴がパンパンと手を叩いて場を仕切った。
「無事に春一の告白も大成功したことだし! そろそろ、みんなで『お付き合い記念』のお祝いとして、どこかパーッと遊びに行こうよ!」
「賛成! カラオケとかボウリングとかどうかな!?」
凪沙がピョンピョンと飛び跳ねて提案する。
その賑やかな様子を見て、カレンの胸に再び、小悪魔のようないたずら心がふつふつと湧き上がってきた。
「……そうですわね」
カレンは妖艶な笑みを浮かべ、とんでもない提案を口にした。
「じゃあ、みんなで『ホテル』に行きましょうか」
「「「………………は?」」」
三人の思考が完全にフリーズした。
「せっかく春一さんが熱烈に告白してくださったんですもの。私、なんだか急に気分が盛り上がって……いま、無性に彼と『シたく』なりましたわ」
カレンは春一の腕にギュッと抱きつき、豊かな胸の谷間を押し付けながら、甘い吐息を漏らした。
「良かったら、凪沙さんや美鈴さんも一緒に来ます? 私たちの、ベッドの上での激しいところを、特等席で色々と見せて差し上げますわよ?」
ペロッと唇を舐め、三人を誘惑するように見つめる。
「「「ひぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」」」
「むむむむ無理無理無理!! 俺たち高校生だよ!? ていうか公開プレイとか意味わかんないから!!」
「カレンのバカーーーッ! なんでそういう方向にしか頭が回らないのよ!!」
「わ、わわ、私、見ちゃいけない気がするぅぅぅ!」
顔を沸騰させてパニックに陥り、阿鼻叫喚の地獄絵図を繰り広げる三人。
「あははははっ!」
その面白すぎる反応に、カレンはついにこらえきれなくなり、お腹を抱えて大爆笑した。
「冗談よ、冗談。あなたたち、本当にからかい甲斐がありますわね」
クスクスと笑いながら、カレンは目の前でわちゃわちゃと騒いでいる三人の姿を見つめた。
ふと、これまでの自分の波乱万丈な過去が脳裏をよぎる。
ロンドンのアンダーグラウンドで、息苦しい家からの逃避行動として暴れ回り、数々の問題を起こした。そして最終的に、父の逆鱗に触れ、異国の地であるこの日本へと『島流し』にされた。
最初は、この退屈な極東の島国に来たことを、心の底から後悔し、憎んでいた。
しかし。
この地で、彼女は決して自分を見捨てない、本当の友人たちと出会うことができた。
自分の裏の顔を知っても、汚れた過去を知っても、変わらずに愛してくれる恋人ができた。
もし、少し前のロンドンで暴れ回っていた自分に『数ヶ月後、極東の島国で普通のアジア人の高校生たちと笑い合っているわよ』と伝えても、絶対に信じなかっただろう。
「……でも」
カレンの小さな呟きに、騒いでいた三人がピタリと動きを止め、カレンの方へ視線を向けた。
「みなさん」
初夏の陽射しが、プラチナブロンドの髪と、髪に飾られた黒薔薇をキラキラと輝かせる。
「私、この日本に島流しにされたこと、ずっと後悔して恨んでいましたけれど……。なんだかんだ言って、あなたたちみんなに出会えたから……」
カレンは、悪ぶった笑みでも、冷たい小悪魔の笑みでもない。
今日一番の、最高に美しく、心からの偽りのない『最高の笑顔』を咲かせた。
「……島流しにされて、本当に良かったですわ」
風が吹き抜け、木々の葉が優しく揺れる。
黒薔薇の令嬢が、この極東の地で見つけた、かけがえのない真実の居場所。
彼女たちの騒がしくも温かい日常は、これからもずっと続いていく。
――了。
Rose the exile。




