part 2
後日。
待ちに待った休日、カレン・エンフィールドは自室のクローゼットの前で腕を組んで悩んでいた。
桐生春一との約束——すなわち「デート」の日だ。最初はいつもの夜遊びの時のように、太く鋭いアイラインを引き、両耳と唇にピアスをジャラジャラと飾り、黒のタンクトップの上にライダースジャケットを羽織るという、自分の最も自然な「本性」のスタイルで行こうと思っていた。
しかし、昨夜からなぜか冬木凪沙と秋山美鈴の二人から、怒涛の勢いでグループチャット(春一抜きの三人部屋だ)にメッセージが送りつけられてきたのだ。
『凪沙:明日は絶対に! 絶対に昼間のカレンちゃんの姿で行ってね!!』
『美鈴:あんたのその特攻服みたいな格好で吉祥寺歩かれたら、春一が周りの視線に耐えきれずに死ぬわよ。頼むから普通の令嬢の格好でいてちょうだい』
「……なんなのかしら、あの二人。勝手なことを言ってくれますわね」
カレンは不満げに唇を尖らせたが、不思議と悪い気はしなかった。彼女たちの言う通り、休日の昼間からあの武装スタイルで出歩くのは、さすがに目立ちすぎるかもしれない。
カレンはため息を一つ吐き、クローゼットの奥から、上品なモノトーンのブラウスと、膝丈のフレアスカートを取り出した。メイクも薄めに整え、プラチナブロンドの髪を綺麗に梳かす。完璧な「昼間のカレン」の完成だ。
リビングに出ると、今日は休日出勤(?)で身の回りの世話をしに来ていたメイドのシャーロットが、目を丸くしてカレンを見た。
「あの……お嬢様? 休日だというのに、夜の姿ではなく、そのような清楚な出で立ちでどちらへ行かれるのですか?」
いつもなら休日は昼過ぎまで寝ていて、夕方からあの忌々しいライダースを着て出かけていく主の異変に、完璧なメイドも戸惑いを隠せないようだった。
「……知らないわよ」
カレンはそっぽを向き、少しだけ頬を染めながら足早に玄関へと向かった。
(まったく……なぜ私が、あの東洋の猿——いえ、春一の誘いを了承したのか、自分でもよくわかりませんわ)
地下駐車場に降り、愛車のロイヤルエンフィールド・ハンター350に跨る。
初夏の風を切りながら吉祥寺へと向かい、駅近くの時間貸しバイク駐車場にハンターを停めた。
ヘルメットをシートに引っ掛け、待ち合わせ場所である吉祥寺駅北口へと歩いていく。
「あ……カレンさん!」
人混みの中で、少しソワソワした様子で立っていた桐生春一が、カレンの姿を見つけて大きく手を振った。
カレンが近づいていくと、春一は彼女の清楚で美しい令嬢の姿を見て、一瞬息を呑み、そして耳まで真っ赤に頬を染めた。
「お、おはよう……。その、今日の服、すごく似合ってるよ。……綺麗だ」
「あら。ご挨拶が上手になりましたわね、春一さん。……おはようございます」
カレンはふふっと上品に微笑み、内心で(やっぱり、この格好で来て正解だったかもしれませんわね)と、凪沙たちのアドバイスに少しだけ感謝した。
二人は駅前から真っ直ぐ歩き出し、目的地である井の頭公園へと向かった。
緑豊かな公園へと続く道すがら、両脇にはオシャレな雑貨屋やカフェ、飲食店が立ち並んでいる。
「あ、ちょっと待ってて!」
ふと、春一が一軒の可愛らしい雑貨屋の店先に目を留め、カレンにそう言い残して店内へと駆け込んでいった。
数分後、レジで何やら小さな包みを受け取って戻ってきた春一に、カレンは不思議そうに小首を傾げた。
「何を買ったんですの?」
「えっ? あ、いや、これは……後からのお楽しみ、ってことで!」
春一は慌てて小さな紙袋をズボンのポケットに押し込み、照れ隠しのように早足で歩き出した。
井の頭恩賜公園の入り口を抜けると、そこには初夏の眩しい緑と、木漏れ日を反射してキラキラと輝く広大な池の景色が広がっていた。
二人は池の周りの遊歩道をゆっくりと並んで歩いた。
春一の口数は決して多くなく、エスコートも映画のジェントルマンのようにスマートとは言い難い。時折歩幅が合わなくなったり、話題が途切れて気まずい沈黙が流れたりもした。だが、それでも彼が一生懸命に話題を探し、カレンを楽しませようと不器用に頑張っている様子は、カレンの目にはとても新鮮で、微笑ましく映った。
「そろそろ、お昼にしないか? この中に美味しいエスニック料理のお店があるんだ」
春一の提案で、二人は公園内にある木目調の落ち着いた飲食店に入った。
テラス席に案内され、心地よい風に吹かれながら食事を楽しむ。楽しい会話の後、注文した料理が運ばれてきた。
カレンの目の前に置かれたのは、色鮮やかな野菜と、香辛料の効いたソースで炒められた豆腐の入ったアジアンプレートだった。
「美味しそうですわね。いただきますわ」
カレンは果敢にも、添えられていた二本の『お箸』を手に取り、豆腐を掴もうと奮闘し始めた。
ツルッ。カチャカチャ。ツルンッ。
しかし、柔らかく滑りやすい豆腐は、無情にもカレンの箸の隙間から逃げ続ける。次第にイライラが募り、ついにカレンの堪忍袋の緒が切れた。
「……Fucking tofu...」
(このクソッたれな豆腐め……)
思わず、ロンドンの裏社会で鍛え上げられたドスの効いた低い声で、本性のブリティッシュ英語の悪態が漏れ出た。
「ひぃっ!?」
近くで水を注ごうとしていた店員が、可憐なお嬢様の突然のヤクザ顔負けの豹変にビクッと肩を震わせる。
「あ、あはははっ! す、すみません店員さん! スプーン、一つもらえますか!?」
春一が慌ててフォローに入り、苦笑いしながらスプーンを受け取ってカレンに手渡した。
「……お見苦しいところをお見せしましたわ」
カレンはコホンと咳払いをして何事もなかったかのようにスプーンで豆腐をすくい、店員は逃げるようにその場を去っていった。
食後の飲み物。春一はアイスコーヒーを頼んだが、カレンは当然のようにホットの紅茶を注文した。
ソーサーに添えられたミルクをたっぷり注ぎ、スティックシュガーを二本分、スプーンでカチャカチャと優雅に混ぜ合わせる。イギリスのお茶会での習慣だ。
「やっぱり、カレンさんは紅茶なんだね」
春一がストローを咥えながら微笑む。
「ええ。イギリス人にとって、紅茶は血のようなものですから」
カレンはティーカップを口に運びながら、ふと小悪魔のようないたずら心に駆られた。
「今日の私は、少し特別ですわよ」
カレンはカップを置き、春一に向かってペロッと艶かしく舌を出した。
そのピンク色の舌の真ん中には、キラリと冷たい光を放つシルバーのピアスが通されていた。昼の令嬢の姿の時は外していることが多いのだが、今日は休日の「お出かけ」ということで、少しだけ夜の自分の欠片を残してきていたのだ。
「ひゃっ!?」
春一は思わず顔を真っ赤にして背もたれに後ずさった。
「どう? 春一さん。……キス、してあげましょうか?」
カレンが身を乗り出して妖艶にからかうと、春一は限界まで茹で上がったタコのように口をパクパクと開閉し、「む、無理! 俺死んじゃう!」と両手で顔を覆ってしまった。
その純情すぎる反応が面白くて、カレンはテラス席に鈴を転がすような笑い声を響かせた。




