part 1
最終章『真実の薔薇』
五月も下半期に入り、初夏の気配が次第に色濃くなってきた頃。もうすぐ六月に差し掛かってきそうだ。
カレン・エンフィールドは、いつものように北多摩高校の指定制服に袖を通し、愛車のロイヤルエンフィールド・ハンター350で通学路を走っていた。
最近はすっかりこの極東の島国での生活サイクルにも慣れ、朝の心地よい風を切って走る時間に、ささやかな喜びすら感じるようになっていた。
駐輪場にバイクを停め、ヘルメットを脱いで透き通るようなプラチナブロンドの髪を揺らす。
「おはようございます、皆様」
「あ、おはようカレンちゃん!」
「おはよう。今日も相変わらずシブい音させてるわね」
昇降口の前で待っていたのは、すっかりカレンの日常の一部となった三人——冬木凪沙、秋山美鈴、そして桐生春一だった。
「おはよう、カレンさん……」
挨拶を返す春一だが、なんだか今日の彼はやけに動きが硬く、視線が泳いでいる。カレンと目が合うと、ビクッと肩を震わせてすぐにそっぽを向いてしまった。
(……春一、どうしたのかしら? 朝から変な顔をして)
不思議に思いつつも、カレンは気に留めることなく彼らと共に教室へと向かった。
†
お昼休み。
今日は食堂ではなく、四人で屋上へ行って昼食をとることになった。
立ち入り禁止の札が掛かった重厚な鉄扉の前に着くと、カレンは制服のポケットからスッとヘアピンを取り出し、手慣れた様子で鉄扉の鍵穴に差し込んだ。
カチャ、カチャリ。
数秒のピッキング作業で、あっさりと扉のロックが解除される。
「はい、開きましたわ」
涼しい顔でノブを回すカレンを見て、美鈴が盛大なため息をついた。
「はぁ……。まったく、どこで学んだんだよそんな犯罪技術。お父さんが見たらその場で手錠かけられるわよ」
「あはは……もう慣れちゃった自分が怖いよ……」
「カレンちゃん、手際が良すぎるよぉ……」
苦笑いする春一と凪沙をよそに、カレンは「さあ、入りましょう」と優雅に屋上へと足を踏み入れた。
初夏の風が吹き抜ける屋上の隅に陣取り、四人はそれぞれのお昼ご飯を広げた。
美鈴と凪沙は手作りのお弁当、春一は購買の争奪戦を勝ち抜いてゲットした焼きそばパンとメロンパン。そしてカレンは、今日もメイドのシャーロットが完璧にこしらえた、ローストビーフのサンドイッチの入ったランチボックスだ。
「そういえばさ」
卵焼きを頬張りながら、凪沙がふとカレンに顔を向けた。
「カレンちゃん、またイギリスにいた頃の話、聞かせてくれない? 今度は猫を被ったお嬢様のカレンちゃんじゃなくて、本物の……裏のカレンちゃんの話!」
「えっ、私の話ですか?」
「うん! こないだの屋上の時みたいに、もっと色んなエピソードを聞いてみたいなって思って」
興味津々といった様子の凪沙の横で、美鈴も「まあ、あのとんでもない手榴弾のプレゼントの後だから、もう何を聞いても驚かない気がするけどね」と肩をすくめた。春一もサンドイッチをかじるカレンを見つめている。
「そうですわねぇ……」
カレンは少し記憶を巡らせ、紅茶の入った水筒に口をつけた。
「前にも言った通り、私はお嬢様として厳しく育てられる家が嫌で嫌で仕方なくて、夜中に抜け出してはバイクで暴走していましたわ。そこで夜のアンダーグラウンドの仲間たちとつるんで、カジノやクラブに行って馬鹿騒ぎしたり……ああ、そういえば、彼らに頼まれてちょっとした『バイト』なんかもやっていましたわね」
「バイト?」
高校生にとって身近な単語に、三人はピクリと反応した。
「イギリスの裏社会のバイトって、どんなことするの?」
春一が身を乗り出して尋ねると、カレンは事もなげに語り始めた。
「簡単に言えば……知り合いに、車のパーツを裏ルートで売る人間がいましてね。その人は、そこら辺の高級車をピッキングして盗み出して仕入れるのよ。あとは足が付かないようにアジトでパーツごとにバラバラに解体して、ダークウェブの闇市場に流して売るんですの」
あまりにもサラリと語られた『窃盗団の解体ビジネス』に、三人は一斉に息を呑んだ。
「ちょ、ちょっと待って! それ完全に重犯罪じゃない!」
美鈴が目を剥いてツッコミを入れる。
「大丈夫よ、安心してくださいな」
カレンはサンドイッチを口に運びながら、ふふっと笑った。
「私は直接車を盗んだり、解体したりはしていませんわ。手が油で汚れるのは嫌でしたから」
「じゃあ、カレンさんは何をしてたの……?」
「私はただ、ターゲットになる車の所有者の行動スケジュールを数日間じっくり観察して、何時から何時まで家を空けるか、いつ警備員が見回りに来るかを紙に書いて、それを知り合いに渡していただけですのよ」
「「「それ、完全に窃盗の下見と情報屋(ターゲット指定)じゃない!!」」」
三人の声が見事にハモった。
実行犯ではないからセーフ、というカレンの斜め上すぎる倫理観に、美鈴は激しい頭痛を覚えてこめかみを押さえた。
「ちなみに、さっきの扉を開けたピッキング技術は、その知り合いの窃盗犯から暇つぶしに教えてもらったのが始まりですわね」
「そっからかよ!!」
美鈴が天を仰ぎ、本気で頭を抱えた。
「……ははは。なんだか、カレンさんが生きてきた世界観のヤバさを、改めて実感するよ……」
春一が引き攣った笑いを浮かべる。
「うん……カレンちゃん、本当に漫画の中の住人みたい……」
凪沙も感心と恐怖が入り混じったような顔で頷いた。
「あら、心外ですわね。私にとっては、それがただの『日常』でしたのに」
そんな物騒な裏社会トークが一段落したところで、話題は日本のことに移った。
「ねえ、カレン。日本に来てから、どこか行ってみたいところとかないの?」
美鈴の質問に、カレンは少し顎に指を当てて考え込んだ。
「そうですね……多摩地域や新宿方面の道路は、夜のツーリングでほとんど走ってしまいましたし。あ、そうだわ」
カレンはポンと手を打ち、妖艶な笑みを浮かべた。
「私、一度『ホストクラブ』という場所に行ってみたいですわ」
「ぶふっ!?」
お茶を飲んでいた春一が、盛大に吹き出した。
「ほ、ホストクラブって……あの、男の人がお酒注いでくれる夜のお店!?」
凪沙が目を白黒させる。
「ええ。日本の独自の夜の文化だと聞いておりますから、一度お手並み拝見といきたいですわね」
「駄目よ! 未成年だし、あんなところハマったら人生狂わされるわよ!?」
慌てて止める美鈴に対し、カレンは全く動じることなく、パチリと魅力的なウィンクを飛ばした。
「大丈夫よ、心配ご無用ですわ。私、日本に来る前にイギリス本国で、沢山のボーイフレンドたちと狂うようにセックスしていた時期がありましたもの。男の扱いには慣れきっていますから、安いホストの甘い言葉くらいで『ホス狂い』になんてなりませんわ」
ピシリ、と。
屋上の空気が凍りついた。
美鈴と凪沙は「えっ……」と顔を真っ赤にして固まり、視線をどこへ向けていいか分からなくなっている。
そして、それ以上に深刻なダメージを受けていたのが——桐生春一だった。
「沢山の……狂うように…………」
春一は手にしたメロンパンをポロリと落とし、膝を抱えてズーンと目に見えて暗いオーラを放ち始めた。あの嵐の夜、彼自身はカレンにすべてを(童貞を)捧げたというのに、彼女にとって自分は、星の数ほどいる過去の男たちの中の『ちょっと物珍しい東洋人の味見』に過ぎなかったのだと、改めて容赦のない現実を突きつけられたのだ。
「あ、あはは……春一くん、元気出して……!」
凪沙が慌てて春一の背中をさすって慰め始める。
「ちょっとカレン! アンタ、お昼休みの屋上でなんてドギツい性事情を暴露してんのよ! 高校生の会話じゃないわよ!」
美鈴が顔を赤くしながらカレンの肩をペシペシと叩く。
「あら、事実を言ったまでですのに」
カレンは涼しい顔でサンドイッチの最後の一口を食べ終えたが、ふと、地面の隅で小さくなっている春一を見て小首を傾げた。
(桐生のやつ、どうしたのかしら? いきなり落ち込んで……男のプライドでも傷つきましたの?)
裏社会の謀略や命のやり取りには長けているカレンだが、こと一般の高校生の繊細な恋愛感情(と春一の純情)に関しては、致命的に鈍感だった。
「そ、そういうのじゃなくて!」
空気を変えようと、凪沙がパンッ!と手を叩いた。
「もっとこう、普通の学生が放課後や休日に遊びに行けそうな、健全なところはないの?」
「健全なところ……」
カレンが少し考えると、ふと以前、凪沙たちが昼休みに話していた会話の記憶が蘇ってきた。
「そういえば、以前皆様が『井の頭公園』が自然豊かでオススメだというお話をしていませんでしたっけ? スワンボートに乗ったりできるとか」
「あっ、うん! 井の頭公園ならここからも電車で一本で行けるし、すごく広くて良いところだよ!」
凪沙がパァッと顔を輝かせる。
その直後。
凪沙、美鈴、そして復活した春一の三人が、なぜかカレンから少し離れたコンクリート塀の陰に集まり、何やらコソコソと内緒話を始めた。
「……いい? チャンスは今しかないわよ」
「……よし、ガンバレ春一くん……!」
ヒソヒソという声と共に、凪沙の熱烈な応援の声が微かにカレンの耳に届いた。
(……? 何をコソコソ話していますの?)
昼食を終え、カレンは制服のポケットから煙草を取り出すと、慣れた手つきでジッポライターで火をつけた。紫煙を細く吐き出しながら、空を見上げる。
美鈴がカレンの隣にやってきて、フェンスに寄りかかりながら呆れたように言った。
「アンタ……私たちに本性を知られてから、タバコとか色々とあんまり隠さなくなったわね」
「そうですか? 隠し事のない、オープンで素晴らしい友人関係じゃありませんこと」
カレンがクスクスと笑うと、美鈴は「まあ、変に気を遣われるよりはマシだけどね」と肩をすくめた。
そこへ、背後から恐る恐る、ガチガチに緊張した足取りで桐生春一がやって来た。
彼の顔は耳まで真っ赤に染まり、両手はズボンの脇で強く握りしめられている。
「あ、あのさ……カレンさん」
「なんですの、春一さん。そんなにこわばった顔をして」
カレンが不思議そうに振り返ると、春一は大きく深呼吸を一つして、決死の覚悟で口を開いた。
「良かったら……今度の週末、俺と二人で、一緒に出かけないか?」
「……えっ?」
予想外の言葉に、カレンは咥えていた煙草を落としそうになるほど驚いた。
遊園地のように四人で行くのではなく、『二人で』。
(嬉しいですけれど……どういう風の吹き回しでしょう?)
カレンが目をパチクリさせていると、春一は顔をさらに赤くしながら、必死に言葉を紡いだ。
「そ、その……前も凪沙たちが言ってた通り、井の頭公園ってすごく良い公園だからさ。……俺、カレンに、もっと日本のこと、好きになってもらいたいんだ」
その不器用で、誤魔化しようのない真っ直ぐな言葉。
打算も、裏社会の駆け引きも一切ない、ただ純粋に自分を楽しませようとしてくれる少年の想い。
そのひたむきな眼差しに射抜かれ、カレンの胸の奥で、トクリと小さな音が鳴った気がした。
「……」
カレンは少しだけ目を伏せ、フッと柔らかい微笑みを浮かべた。
「……ええ。日本の案内をしてくれるというなら、付き合ってあげますわ」
「ほ、本当!? やった!!」
春一の顔が一瞬にして満面の笑みに変わる。
「じゃあ、当日は吉祥寺駅の北口前の辺りに、お昼の十二時に集合ね! 絶対だからな!」
春一は嬉しさを抑えきれない様子でそう告げると、「報告してくる!」とばかりに、塀の陰で親指を立てて待機していた美鈴と凪沙の元へ走っていった。
「やったじゃん、春一!」
「おめでとう春一くん! 私がバッチリ、デートプランのアドバイスしてあげるからね!」
遠くから、秋山と凪沙の歓喜の声が聞こえてくる。
カレンは携帯灰皿に煙草を押し付けながら、彼らの賑やかな様子を不思議そうに眺めていた。
「なんなのかしら、あの騒ぎようは……」
そこで、カレンの思考がピタリと停止した。
休日に。
男女が二人きりで。
待ち合わせをして、公園に出かける。
「…………ん? あれ?」
カレンの透き通るような白い頬が、ポッ、と徐々に朱に染まっていく。
「二人で出かけるということは……もしかして、これって……『デート』ですの!?」
裏社会の酸いも甘いも噛み分けてきたはずの黒薔薇の令嬢は、普通の高校生の、あまりにもピュアでド直球なアプローチに、今更ながら気づいて一人で盛大に動揺するのだった。




