part 1
第七章『報復』
東京湾岸の放棄倉庫街で、派手な戦争が起きた。
そんな信じがたい報告が、半グレ組織『リコリス』のボスの元に上がってきたのは、事件から数日後のことだった。
深夜の新宿。煌びやかなネオンを見下ろす雑居ビルの一室——リコリスの事実上の本部である事務所の革張りソファに深く腰掛け、ボスは忌々しそうに報告書のペーパーを放り投げた。
「……古川の馬鹿野郎が。いったい何をやらかしやがった」
部下の古川は、過去に強姦の罪で刑務所に入っていた男だ。その過程で自分を有罪にした女性弁護士を逆恨みしていたらしいが、ボスにとってそんな個人の下らない怨恨はどうでもよかった。
ただ、その弁護士が界隈で名が知れ渡っており、かなり稼いでいると踏んだ古川が「娘を誘拐して身代金をいただく。ついでに復讐も果たせるから一石二鳥だ」と持ちかけてきたため、好きにやらせておいたのだ。
だが、その結果がこれだ。
身代金を手に入れるどころか、アジトとして使っていた倉庫は完全な血の海と化していた。
生き残った部下たちの証言によれば、突如として謎の武装集団が襲撃してきて、激しい銃撃戦や爆発が起きたという。中には、対物ライフルによる直撃を受けて、身体が木っ端微塵に吹き飛んだ部下もいたらしい。
そして肝心の古川本人は、現場から少し離れた路地裏で、乗っていた高級セダンの中に閉じ込められたまま爆死していた。
「いったいどういうことだ? どこのどいつが、対戦車ライフルなんていうイカれた代物をこの日本に持ち込みやがった?」
ボスが苛立ちに任せてシガーに火をつけた、その時だった。
デスクの上に置いていたスマートフォンが、無機質な着信音を鳴らした。
画面を見ると『非通知』の表示。
訝しげに思いながらも、ボスはスマホを手に取り、通話ボタンを押した。
『——やあ。ごきげんよう、リコリスのボス』
スピーカー越しに聞こえてきたのは、若い男性の声だった。流暢な日本語ではあるが、独特のイントネーション……外国人が話す特有のわずかな訛りが混じっている。
「てめえ、誰だ。この番号をどこで手に入れた」
『挨拶が遅れたね。俺はジャック。ジャック・エンフィールドだ。少し前に、君のところの優秀な部下たちが、俺の可愛い妹の「お友達」に手を出してくれたみたいでね』
エンフィールド。
その単語を聞いた瞬間、ボスの心臓がドクン、と嫌な音を立てた。
ただのチンピラではない、裏社会でそれなりの組織を束ねる彼だからこそ、その名前の持つ絶望的な意味にすぐさま思い至った。
イギリスを本拠地とする、世界的な巨大兵器産業。戦争の火種をばら撒き、各国の裏側を牛耳る本物の死の商人。
「エンフィールドだと……? 冗談じゃねえ。なんでそんな世界のバケモノが、俺たち半グレのシノギに口を出してくる!」
『妹がとても怒っていてね。わざわざ俺の私兵を借り受けてまで、現場に遊びに行ってしまったんだ。……まあ、そういうわけで。君たちが手を出した相手がどれほど致命的だったか、これからの時間でたっぷりと後悔するといい』
冷酷に言い放ち、ジャックは一方的に通話を切った。
ツーツーという電子音が鳴る中、ボスは嫌な汗を滝のように流していた。
「ば、馬鹿な……っ」
その直後だった。事務所のドアが乱暴に開き、血相を変えた幹部が転がり込んできた。
「ボス! 大変です! 俺たちの運営してる六本木のクラブが、何者かに爆破されました!」
「なんだと!?」
「それだけじゃありません! 振り込め詐欺の拠点にしてたアジトも、闇カジノも、次々と武装した正体不明の連中に襲撃されてます! スナイパーに狙撃された奴もいて、被害が……っ!」
次々と舞い込む絶望的な報告。都内に張り巡らされたリコリスの資金源と拠点が、まるで地図を黒く塗りつぶすような正確さと圧倒的な火力で、同時多発的に蹂躙されていく。
「あ、ああ……なんということだ……」
ボスは膝から崩れ落ち、頭を抱えた。
その時、ふと彼の視界の隅に、数時間前に『宛名不明の郵便物』として事務所に届けられていた小さな段ボール箱が入った。
箱の中から、カチッ、カチッ、という規則的な電子音が鳴っていることに、ボスは今更ながら気がついた。
「——あっ」
次の瞬間、眩い閃光と轟音が事務所を包み込んだ。
雑居ビルの上層階から凄まじい爆炎が吹き出し、窓ガラスが夜の新宿の街へと粉々に降り注ぐ。
東京の裏社会で勢力を拡大しつつあった半グレ組織『リコリス』は、この夜、エンフィールド家の無慈悲な報復の炎に飲まれ、完全に消滅した。




