part 1
第六章『崩れない形』
東京湾岸の放棄倉庫街を血の海に変え、半グレ組織『リコリス』を壊滅させたあの凄惨な夜から、数日が経過した。
五月も終わりに近づき、初夏の陽射しが少しずつ強さを増してきている。
カレン・エンフィールドは、いつものように透き通るようなプラチナブロンドの髪を綺麗に梳かし、薄めのメイクで完璧な「深窓の令嬢」の仮面を被り終えたところだった。
愛車のロイヤルエンフィールド・ハンター350のキーを手に取ろうとしたその時、スマートフォンの画面が短く点灯した。
グループチャットではなく、桐生春一からのダイレクトメッセージだった。
『おはよう。カレンさん、凪沙たちが話し合いたいって言っているんだ。今から学校で一緒に会わない?』
メッセージには続きがあった。
凪沙たちはカレンを大切な友達であり、命の恩人だと心から思っている。だけど、昼の完璧なお嬢様の姿と、あの夜の血と硝煙に塗れた荒々しい姿——そのギャップに、まだ心の整理がついていない。だから、どうしても直接会って話し合う必要があるのだ、と。
「……そうですわね。潮時かもしれませんわ」
カレンは小さく独りごちて、スマートフォンを鞄にしまった。
これ以上、自分を「普通のお友達」として純粋に慕ってくる彼らに、裏の顔を隠し通すのは不可能に近い。カレン自身も、その歪な関係を続けることに限界を感じていた。
マンションの地下駐車場に降り、ハンター350に跨って通学路を走り出す。
あの夜、兄のジャックから借り受けた傭兵部隊は、凄まじい手際で警察の主力部隊が突入してくる前に海路から跡形もなく撤収した。リコリスの古川派の残党は無事に警察に逮捕されたらしい。
世間のニュースでは「暴力団同士の過激な抗争か」などと書き立てられているが、真相を知る者はごくわずかだ。
カレンの周囲には、何事もなかったかのような平穏な朝の景色が広がっている。
「……平和なものですわね」
ヘルメットの中で、カレンは小さく息を吐いた。
北多摩高校の駐輪場にバイクを停め、エンジンを切る。
ヘルメットを脱いで振り返ると、そこには桐生春一と、彼に付き添われるようにして立つ冬木凪沙、そして凪沙を支える秋山美鈴の三人が待っていた。
事件から数日、凪沙は学校を休んで自宅で静養していたため、こうして四人が顔を合わせるのはあの夜以来だった。凪沙の顔色はまだ少し青白く、あの凄惨なトラウマが完全に消え去ったわけではないことが窺える。
「おはようございます、皆様」
カレンが声をかけると、三人は少し緊張した面持ちで頷いた。
「……ここでは何ですから、少し場所を変えましょうか」
事は非常にデリケートな話になる。他の生徒たちの耳に入るわけにはいかないため、カレンは三人を引き連れて誰もいない屋上へと向かった。
屋上の扉の前に着くと、カレンはポケットからヘアピンを取り出し、手慣れた様子で扉の鍵穴に差し込んだ。カチャカチャと数秒弄るだけで、あっさりと開く。
「えっ!? カ、カレンちゃん、今……鍵を……?」
目を丸くして驚く凪沙の横で、美鈴は「こいつは前からこうなのよ」と呆れ顔でため息をついた。
屋上に辿り着き、初夏の風が吹き抜ける中、四人は向かい合った。
さて、何から話せばいいのか。カレンが言葉を選ぼうとした時、静寂を破ったのは凪沙だった。
「カレンちゃん」
凪沙は一歩前に出て、真っ直ぐにカレンの碧眼を見つめた。
「まずは……あの時、誘拐されていた私を助けてくれて、本当にありがとう」
感謝を口にする凪沙。少しだけ不安そうに瞳を揺らした。
「そのうえで……正直に言うね。あの時のカレンちゃんが、すごく派手な姿で、拳銃を持って助けに来てくれたのは……本当にびっくりしたの。私たちが知っているカレンちゃんとは、全然違ったから」
凪沙は両手を胸の前で強く握りしめた。
「私は、あなたを知りたいの。お願い、話して」
その真剣な眼差しに、カレンは小さく息を吐いた。
「……仕方ありませんわね」
カレンは諦めたように微笑み、偽りのない自分の素性を語り始めた。
「私はカレン・エンフィールド。私の実家は、イギリスで代々続く武器商人の家系ですの。昔、イギリスで『エンフィールド』という銃が誕生したことをきっかけに生まれた一族……つまり、世界中に兵器を売り捌く、死の商人ですわ」
その言葉に、凪沙と美鈴は息を呑んだ。
「私がなぜ、この日本へ島流しにされたのか。それは、私が本国でとんでもない不良娘だったからですの。年齢を誤魔化して偽造屋で免許を作り、裏ルートでバイクを仕入れて……夜中になれば夜のアンダーグラウンドの仲間たちとバイクで暴走していましたわ。ポリスとチェイスして、捕まりそうになったら警官の首にスタンガンを当てて眠らせたこともありますのよ」
カレンは自嘲するように言葉を続ける。
「それだけじゃありませんわ。カジノに入り浸り、酒やタバコを嗜み……性に奔放に、男漁りの限りを尽くしていましたの。私のこの両肩から腕まで続いている『黒薔薇と茨のタトゥー』は、私がその夜の世界の住人であるという証ですわ」
春一はすでに知っている内容だったが、凪沙と美鈴にとっては、あまりにも衝撃的な事実の連続だった。
「私は、あなたたちとは生きている世界が違う、別の世界の住人なんですの。今はこうして昼の姿で令嬢の皮を被っていますけれど、本質はただの汚れたアウトローですわ」
カレンは一歩下がり、冷たい表情を作った。
「私は今まで、あなた達を騙してきましたわ。……だから、もうあなた達には話しかけないから、安心してくださって結構よ」
カレンが背を向け、屋上の扉へ向かおうとしたその瞬間。
ガシッ、と。
細く、けれど力強い手が、カレンの腕をしっかりと掴み取った。
「勝手に、友達を辞めようとしないでよ」
振り返ると、そこには涙を溜めながらも、強い意志を宿した凪沙の顔があった。
「あなたが過去に何をしてきたかは、私にはわからない。でも……今、私の目の前にいるのは、私のお友達で、私の命の恩人の『カレンちゃん』だよ! 過去なんて、私には関係ないっ!」
「凪沙……」
その真っ直ぐすぎる言葉に、カレンの心の奥底が小さく揺れた。
続いて、腕を組んでいた美鈴が大きくため息をついて口を開いた。
「知っての通り、私は刑事の娘よ。夜中に暴れ回って、あんな危険な真似をしているアンタを、手放しで許すわけにはいかないわ」
美鈴はカレンを真っ直ぐに睨みつけた後、ふっと表情を和らげた。
「……だけど。私の大切な幼馴染の凪沙を助けてくれて、本当にありがとう」
美鈴は少し真面目な顔つきに戻り、周囲を警戒するように声を潜めた。
「それに、今の警察の状況を教えてあげる。お父さんやアキさんたちは、例の倉庫街の事件からずっと警察署に詰めてるわ。あの夜の事件を血眼になって捜査していて、対戦車ライフルを持ち込んだ謎の組織と、現場から逃走した『黒いライダー』の行方を本気で追ってる」
美鈴はカレンの肩にポンと手を置いた。
「アンタが裏社会の住人だとしても、私にとってカレンは大事なお友達よ。だから……これ以上は、絶対に無茶しないでほしい」
その不器用で温かい言葉に、カレンはふふっと優雅に微笑んだ。
「大丈夫ですわ、秋山さん。私、そう簡単には捕まりませんもの」
「もうっ、そういう強がりを言うんじゃないの!」
美鈴が呆れたようにツッコミを入れるが、カレンの言葉は強がりではなかった。
(まあ、実際たとえ警察の方々に見つかったとしても、絶対に捕まらない『切り札』がありますけれどね)
カレンは内心でそう思いながらも、彼女たちの心配を無下にすることはしなかった。
そして、カレンは少し離れた場所で三人のやり取りを静かに見守っていた少年に目を向けた。
「……感謝しますわ、春一さん」
彼がいなかったら、こうして友達として再び向き合う機会は訪れなかったか、もっと遅れていただろう。カレンは素直に彼への礼を口にした。
「俺は、カレンさんに本当のことを話してほしかっただけだからさ」
照れくさそうに頭を掻く春一を見て、カレンの胸にふと、小さないたずら心が芽生えた。
カレンはツカツカと春一に歩み寄ると、妖艶な笑みを浮かべて彼の耳元に顔を寄せた。
「よろしければ……春一さん、やっぱり口でしとく?」
「えっ?」
カレンは春一の目の前で、右手をナニかを握ったような形にして口元の前で上下に振り、口を開けてペロッと艶かしく舌を出してみせた。
「私、口の使い方上手いわよ?」
「ぶふぉっ!?」
春一の顔が、一瞬にして茹でダコのように真っ赤に爆発した。
「なっ、ちょっ、カ、カレンさん!? こんなところで何言って、何のジェスチャーしてんだよ!!」
「あら、ただの感謝の印ですわよ?」
パニックを起こして後ずさる春一を見て、カレンは「あはははっ!」とお腹を抱えて笑い転げた。事情を知らない凪沙と美鈴は「え? なに? どうしたの春一?」と不思議そうに首を傾げている。
キィンコォンカァンコォン……。
その時、一時間目の始まりを告げる予鈴のチャイムが学校中に鳴り響いた。
「あっ、やばっ! 教室戻らなきゃ!」
美鈴が慌てて屋上の扉を開ける。
四人で急いで階段を駆け下りている途中、凪沙がふと何かを思いついたように顔を輝かせた。
「ねえねえ! 今度みんなで仲直りの印として、休日に遊園地に行こうよ!」
「遊園地、ですか?」
「うん! カレンちゃん、日本の遊園地には行ったことないでしょ? すっごく楽しいんだから!」
「賛成! カレン、絶叫マシンとか乗れる?」
「ふふっ、私を誰だと思っていますの。どんなアトラクションでも余裕ですわよ」
平和で他愛のない、等身大の高校生たちの会話。
自分が裏社会の住人だと明かしても、彼女たちは変わらずにカレンを「友達」として受け入れてくれた。
カレンは前を走る三人の背中を見つめながら、自然とこぼれる柔らかな微笑みを隠すことはなかった。




