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Rose the Exile  作者: enigma
第五章『救出』

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part 2


深夜の東京湾岸エリア。潮の香りが混じる生ぬるい風が、打ち捨てられた巨大な放棄倉庫群を撫でていく。

 その中の一棟。半グレ組織『リコリス』のアジトとして使われている薄暗い空間で、幹部の古川は苛立たしげに舌打ちをした。


「……チッ。やっぱり24時間も待ってられねえな」

 コンクリートの床に転がされたパイプ椅子。そこに縛り付けられているのは、恐怖で顔を濡らす冬木凪沙だった。手足をきつくロープで縛られ、口には猿轡の代わりに汚い布が噛まされている。

 本来なら、明日の夕方に弁護士の母親が身代金を用意するまで手を出さないという手筈だった。定期的に無事な画像を送り、相手の精神を削りながら金を振り込ませる。

 だが、古川の本当の目的は金ではなく、自分を刑務所にぶち込んだ冬木しのぶへの『復讐』だ。


「もういいだろう。周りの下っ端どもにも、そろそろ褒美をやんねえと士気が下がるしな」

 古川は下卑た笑みを浮かべ、凪沙の前にしゃがみ込んだ。

「んーっ! んんーっ!」

「暴れるなよ、お嬢ちゃん。もうあんたを守る物は何もないんだぜ? 恨むんなら、俺を追い詰めたあんたの立派な母親を恨みな」


 古川は力ずくで凪沙の制服のブラウスに手をかけ、強引に引き裂こうとした。ビリッ、と嫌な音が響き、凪沙の目から絶望の涙が溢れ出す。

 口を塞いでいた布を乱暴に外すと、凪沙は「いやぁっ! 助けて、お母さんっ!」と悲鳴を上げたが、古川は煩わしそうにその頬を平手で何度も打ち据え、強引に黙らせた。


 その時だった。

 血相を変えた下っ端の男が、倉庫の奥から転がるように駆け込んできた。

「ふ、古川さん! やべえです!!」

「あぁ!? なんだ騒々しい。今からいいところだろうが」

「外の……倉庫の周りで見張ってた連中が、次々とやられてます!」

「は? サツか? それとも他の組織の連中か?」


 古川が立ち上がった瞬間。

 ズドォォォォォンッ!!

 遠雷のような、腹の底を揺るがす異常な爆発音が倉庫の外から響き渡った。


「ヒッ……! な、何人か、身体が爆発して……原型留めてねえんです!」

「……身体が爆発だと?」

 古川は耳を澄ませた。再び、ズドン、という空気を裂くような重低音が響く。銃撃戦の音ではない。大砲か何かの音だ。

(まさか……対戦車ライフルか!?)

 古川の顔色が一気に青ざめた。軍用の対物狙撃銃。そんな兵器が、この平和な日本の、しかもただの半グレの抗争で出てくるはずがない。

「いったいこれはどういうことだ……? 俺は、何を……誰の虎の尾を踏んだっていうんだ……!?」


 ドゴォォォォンッ!!

 ついに倉庫のシャッターが外側からの爆発で吹き飛び、古川の思考は完全なパニックへと陥った。


 †


 時計の針は、数十分前に遡る。


 東京湾岸の放棄倉庫街から少し離れた暗がり。

 カレン・エンフィールドは、愛車のハンター350に跨ったまま、冷ややかな瞳でターゲットの倉庫を見据えていた。

 倉庫の周囲には、タバコを吹かしたり、スマホを弄ったりして時間を潰しているリコリスの下っ端たちがウロついている。


『お嬢様、配置につきました』

 耳に仕込んだインカムから、流暢なブリティッシュ英語で通信が入る。

『目視できる敵の数は約30から40。こちらの戦力は、スナイパーが二名、突撃部隊が五名。作戦を開始しますか?』

 全員が、ジャック・エンフィールドが手配してくれた精鋭の私兵(傭兵)たちだ。


「本当に、少しだけですわね」

 カレンは小さく呟いた。だが、この人数でも全く問題はない。質の差が天と地ほどあるのだ。

「始めてくださいまし」

 カレンがGOサインを出そうとした直後、彼女の鋭い視力が、半グレたちの懐の膨らみや、一部の者が持っているスポーツバッグの中身を捉えた。


「……待って。あの中の数人、チャカ(拳銃)やショットガンを隠し持っていますわね」

 ただのチンピラならば、適当に痛めつけて無力化し、生かしておいてやろうと思っていた。だが、銃器を持ち出して凪沙を脅かしているのなら話は別だ。

 お遊びでは済まされない。


「予定変更。敵は銃器を武装しています。——容赦はいりませんわ。全員、始末なさい」

『了解(Roger that)』


 次の瞬間。

 ズドォォォォォンッ!!


 空気を切り裂く轟音と共に、倉庫の前でタバコを吸っていた半グレの『上半身』が、文字通り赤い血しぶきとなって弾け飛んだ。

「は……?」

 隣にいた仲間が、顔に生温かい肉片を浴びて呆然とする。その彼もまた、次の轟音と共に下半身を吹き飛ばされ、絶命した。


 アンツィオ20mm狙撃銃。

 本来は装甲車や軽戦車を遠距離から破壊するための、口径20mmの特大の弾丸を撃ち出す対物ライフルである。人間の柔らかな肉体などに直撃すれば、運動エネルギーの衝撃だけで人体は爆散し、即死する運命しか残されていない。


 その悪魔のような兵器が、二丁も配置されている。

(ふふっ、あはははっ! あのお馬鹿な半グレども、自分たちに何が起きたのか全く理解できていないでしょうね!)

 カレンはヘルメットの中で、狂気を孕んだ笑い声をこぼした。

 エンフィールド家は、自社の兵器だけでなく、他社の強力な兵器もライセンス購入し、自社工場で湯水のように生産できる。改めて、自分の実家の持つとんでもない暴力の規模を実感する。


 車に隠れようとした者も、車のエンジンブロックごと貫通した20mm弾の餌食となった。遮蔽物など無意味だ。

 パニックに陥った半グレたちに追い打ちをかけるように、五人の突撃部隊がフラッシュバン(閃光手榴弾)を投げ込みながら突入する。アサルトライフルの正確なタップ撃ちが、表の敵を次々と刈り取っていく。


「さて、私も行きますわよ」

 カレンはスロットルを全開にし、ハンター350を急発進させた。

 混乱する敵陣のど真ん中へ、黒い鉄の馬が突っ込む。カレンはバイクの車体を巧みに傾け、逃げ惑う半グレたちを容赦なく撥ね飛ばしていった。


 倉庫の入り口付近でバイクを急停止させると、カレンは軽やかに飛び降りた。

「殺せ! 女だぞ!」

 数人の男たちが刃物を持って襲いかかってくる。

 カレンは身を沈めて大振りのナイフを躱すと、ジャケットに忍ばせたガングリップ式のスタンガンを男の首筋に押し当てた。

 バチバチバチッ!

「ぎぃっ!」

 白目を剥いて倒れる男を横目に、背後から迫る別の男の股間を、硬いライディングブーツの爪先で容赦なく蹴り上げる。

「ごふっ!?」

 男が悶絶して手放した金属バットを空中で掴み取ると、カレンは一切の躊躇なく、腰の入ったフルスイングで次の男の側頭部へと叩き込んだ。

 ゴキィッ! と嫌な音がして男が吹き飛ぶ。


「あら、ごめんあそばせ」

 血に濡れたバットを投げ捨てながら、カレンは優雅に微笑んだ。

 その直後、背後から「死ねぇ!」と拳銃を構えた男が迫る。

 カレンは振り返りざま、ジャケットの内側からグロックを引き抜き、照準もそこそこに引き金を引いた。

 パンッ!

「ぎゃああああああああっ!?」

 銃弾は、男の股間を正確に撃ち抜いていた。

「タマ(弾丸)にはタマを、ですわね」

 黒いジョークを呟きながら、カレンはさらに倉庫の奥へと歩を進める。


 しかし、中からは次々と増援が湧いてくる。

 カレンは舌打ちをし、ホルスターに仕込まれた特殊なワイヤーガンを頭上の鉄骨に向けて発射した。

 シュガッ!

 巻き上げの反動を利用して一気に宙へ舞い上がり、積まれたコンテナの上へと軽やかに着地する。

「上だ! 撃て!」

 銃口が向けられるより早く、カレンはコンテナから敵の群れの中へと飛び降りた。

 着地と同時に、地面の砂埃を蹴り上げて敵の目元に浴びせる。

「目がっ!?」

 怯んだ男の鼻柱に強烈な頭突きを見舞い、よろめいた隙に両手からスローイングナイフを連射。二人の男の肩口に深々と突き刺さり、悲鳴が上がる。

 砂かけ、頭突き、急所攻撃。それは、洗練された武術などではない。ロンドンの最も危険な夜の街で生き抜くために彼女が身につけた、徹底的にダーティで実践的なストリートの戦術だった。


 血と硝煙の匂いが立ち込める倉庫の最奥。

 ついにカレンは、パイプ椅子に縛り付けられた冬木凪沙の姿を捉えた。

 だが、リーダー格である古川の姿はすでになかった。あの爆発音を聞いて、部下を囮にして早々にネズミのように逃げ出したのだろう。

「あいつ……! まあいい、後で必ず始末してやりますわ」


「女一人だ! やっちまえ!」

 残された数人の半グレたちが、ヤケクソになってカレンに襲いかかる。

 カレンは冷たい瞳で彼らを一瞥すると、両手で構えたグロックの引き金を連続で引いた。

 パンッ! パンッ! パンッ!

 正確無比な射撃が男たちの手足を撃ち抜き、次々と無力化していく。


 静寂が戻った倉庫内で、カレンはゆっくりと凪沙の元へと歩み寄った。

 ナイフを取り出し、手足を縛っていたロープを器用に切断する。そして、口を塞いでいた布を優しく取り払った。


「な、凪沙。怪我はない?」

 カレンが声をかけると、凪沙は震える目で目の前の人物を見上げた。

 黒いライダースジャケット。鋭いアイライン。大量のピアスと、腕に刻まれた禍々しいタトゥー。そして、硝煙を上げる本物の拳銃。

 それは、凪沙が知っている「完璧なお嬢様」の姿からは、あまりにもかけ離れた、荒々しく暴力的な夜の住人の姿だった。


「……あなたは……?」

 凪沙が恐怖と混乱の入り混じった声で尋ねる。

 カレンは少しだけ寂しそうに目を伏せ、それでも、しっかりと凪沙の目を見て答えた。


「ごめんなさい。これが私の、本当の姿なんですわ。……カレンよ」


「カレン、ちゃん……?」

 凪沙の瞳から、安堵の涙がポロポロとこぼれ落ちた。その風貌がどれだけ恐ろしくても、自分を助けに来てくれたその声と優しさは、間違いなく彼女の大好きな友達のものだったから。


「積もる話は後です。まずはここから脱出しますわよ」

 カレンは凪沙の手を強く引き、血まみれの男たちが転がる倉庫の出口へと向かった。


 外に出ると、待機させていたハンター350の元へ急ぐ。

 その時、遠くから「ウゥゥゥウウウウーッ!」という大量のパトカーのサイレンが聞こえてきた。対物ライフルの爆音や銃撃戦の騒ぎで、周辺の住民か港湾労働者が通報したのだろう。


カレンはインカムに手を当てた。

「ああ、もう。皆様、サツが来ますわ。速やかに撤収してくださいまし」

『了解。我々も海路から離脱する』

 凪沙の耳には、カレンが流暢なブリティッシュ英語で何者かと交信しているようにしか聞こえなかったが、周囲の暗がりから数人の気配がスッと消え去るのを感じた。


 カレンはバイクに跨ると、自分が被っていた黒いフルフェイスのヘルメットを凪沙の頭にすっぽりと被せた。

「えっ? カレンちゃん、ヘルメットは……?」

「気にしないでくださいな。あなたの顔が連中に割れる方が問題ですわ。さあ、しっかり捕まって!」

 カレンはノーヘル状態のままスロットルを捻り、夜の湾岸道路へと飛び出した。


 すれ違うように、赤色灯を回した数台の覆面パトカーとパトカーの車列が倉庫街へと向かっていくのが見えた。

 その中の一台。

 すれ違いざま、カレンは助手席に乗っていた無精髭のベテラン刑事——秋山剛造と、一瞬だけバチリと目が合った気がした。

 プラチナブロンドの髪を風になびかせる異国の少女と、ヘルメットを被って後ろにしがみつく少女。

 剛造は驚愕に目を見開いたが、彼らの乗る車列はカレンたちを追うことなく、凄惨な銃撃戦の跡地である倉庫へと直行していった。



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