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Rose the Exile  作者: enigma
第四章『誘拐』

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part 3


時計の針をほんの数分だけ巻き戻す。

カレンが庭から姿を消し、単騎で夜の街へ飛び出す直前のことだ。


冬木邸の広いリビングは、まるでお通夜のような重苦しく冷たい沈黙に包まれていた。

部屋の中心に置かれたソファでは、娘の凪沙を誘拐された母・冬木しのぶが、両手で顔を覆ったまま深くうつむいている。普段の法廷で見せる、あの氷のように冷徹で隙のないエリート弁護士の面影はどこにもない。そこにあるのは、理不尽な暴力によって愛する我が子を奪われ、絶望の淵に立たされた、ただの一人の母親の姿だった。


(……しのぶさん)


少し離れた場所からその背中を見つめながら、刑事の藤原アキは胸が締め付けられるような痛みを覚えていた。

気の利いた慰めの言葉など、今の彼女の耳には届かないだろう。下手に声をかけることすら躊躇われるほど、しのぶの憔悴しきった様子はアキの心にも深くこたえていた。


冬木凪沙という少女は、アキにとってただの「事件の被害者」ではない。

アキが刑事として所轄に配属されたばかりの頃だ。新人だったアキは、ベテラン刑事である秋山剛造とバディを組むことになり、いきなり世間を震撼させていた凶悪な連続殺人事件の捜査に駆り出された。

右も左もわからない中、時に犯人の凶刃に倒れそうになる危機的な状況に陥りながらも、剛造の大きな背中を必死に追いかけ、二人は見事にその大事件を解決へと導いたのだ。


その数日後、剛造の自宅でささやかなパーティーが開かれた。

名目は『アキの刑事就任祝い』だったが、実質的にはあの過酷な連続殺人事件を乗り越えた『慰労と実績の労い』の意味合いが強かった。

アキが中学生だった美鈴、そしてその親友である凪沙と初めて出会ったのは、そのパーティーの席だった。ついでに言えば、あまり印象には残っていないが、ニコニコと優しそうに笑う大人しい少年――桐生春一もその場にいたはずだ。


秋山剛造と冬木しのぶは、警察官と弁護士という立場の違いこそあれど、現役で最前線を戦うプロフェッショナルとして、互いに深いリスペクトを抱き合う関係だった。当時の美鈴も、女性でありながら一線で活躍するアキのことを「先輩刑事」として慕い、よく懐いてくれていた。

アキにとっても、秋山家や冬木家の人々は、過酷な警察組織の中で心を許せる数少ない「家族」のような存在なのだ。


だからこそ、凪沙が下劣な半グレどもに誘拐され、陵辱の危機に瀕しているという現実は、アキの心にもどス黒い怒りと焦燥を呼び起こしていた。


「……秋山さん。所轄と本庁の応援部隊の状況は?」

アキが声を潜めて尋ねると、腕を組んで壁に寄りかかっていた剛造が、忌々しそうに舌打ちをした。

「手配は済んでいる。湾岸エリアの防犯カメラ映像から、リコリスのアジトとして使われている可能性のある放棄倉庫をいくつかリストアップした。突入の準備を進めさせているが……相手がどこまで本気で、どこまでイカれているかが読めねえ。少しでも刺激すれば、凪沙ちゃんに危害が及ぶ可能性がある」


百戦錬磨の剛造でさえ、人質の命がかかっている以上、迂闊な手は打てないのだ。

その会話を聞いていた美鈴が、腫れ上がった目で剛造とアキに縋り付いてきた。


「お父さん、アキさん……っ。凪沙、無事に帰ってくるよね……? あんなクズみたいな連中に、凪沙が傷つけられるなんて、絶対に嫌だよ……っ」

涙をこぼし、震える声で訴える美鈴。

剛造は娘の肩に大きな手を置き、力強く頷いた。

「当たり前だ。俺たち警察を誰だと思っている。絶対に、指一本触れさせずに連れ戻してやる」


アキもまた、美鈴の手を両手でしっかりと包み込んだ。

「美鈴ちゃん、お父さんの言う通りよ。私たちを信じて。これ以上の悲劇は絶対に起こさせない。警察の威信にかけて、全力で凪沙ちゃんを救い出すから」


その真っ直ぐな瞳に、美鈴はしゃくりあげながらも「うん……っ」と小さく頷いた。


ガチャリ、と。

庭へと続くリビングのガラス戸が開く音がして、外の空気を吸いに行っていた桐生春一が戻ってきた。春一の顔色もひどく青ざめており、彼がどれほど凪沙のことを大切に想っているかが伝わってくる。


アキは春一の姿を横目で見ながら、ふと、つい先ほどまで彼と一緒に外にいたはずの金髪の少女――カレン・エンフィールドのことを思い浮かべていた。


(エンフィールド家……世界的な巨大貿易会社のお嬢様。でも、裏では兵器の密輸やきな臭い噂が絶えない、真っ黒な一族)


警察のデータベースにも、エンフィールド家に関連する黒い噂はいくつか記録されている。確たる証拠がないため手出しはできないが、決して関わって良い人間たちではない。

もし、あのカレンという少女が、この善良で真っ直ぐな「家族」たちを、何らかの形で裏社会の犯罪に巻き込もうとしているのだとしたら。

(その時は、いくら美鈴ちゃんの友達だろうと、私が容赦しない)

アキは刑事としての冷徹な顔で、心の中でそう固く誓っていた。


「春一」

涙を拭った美鈴が、戻ってきた春一に声をかけた。

「カレンさんと、外で何話してたの? カレンさんも、凪沙のことすごく心配してくれてたでしょ?」

「えっ、あ、うん……凪沙は優しい子だから、絶対に助けなきゃって……」

春一がどこか歯切れ悪く答えようとした、その瞬間だった。


――キュルルルッ、バオォォォォォンッ!!


夜の静寂を切り裂くように、外から凄まじいバイクの排気音が響き渡った。

タイヤがアスファルトを強烈に擦るスキール音が聞こえ、猛烈なスピードで遠ざかっていく。


「……カレンさん?」

美鈴が驚いて窓の外を見る。

アキも眉をひそめた。状況が状況とはいえ、何も言わずに突然帰るとは、いささか非常識にも思える。

「……帰ったみたいね。まあ、部外者のお嬢様には、この重い空気は耐えられなかったんでしょう」


アキは小さくため息をつき、再びリビングのテーブルに広げられた湾岸エリアの地図へと視線を戻した。これ以上の時間を無駄にはできない。一刻も早く、リコリスのアジトを特定し、制圧しなければならないのだから。


しかし。

この時のアキは――いや、百戦錬磨の秋山剛造も、リビングに集まった警察官の誰もが、知る由もなかったのだ。


ほんの数時間後。

東京の裏社会を支配しようと目論んでいた半グレ組織『リコリス』のアジトで、彼ら警察の想像を遥かに超える、血も凍るような一方的な『惨劇』が巻き起こることになるなどとは。



既に作品出来上がっているので、なるべく毎日投稿を心がけます。

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