part 2
閑静な住宅街にある冬木家の一軒家。その周辺には、物々しい雰囲気で数台のパトカーや覆面パトカーが停まっていた。
玄関先で立っていた制服警官に止められたが、中から出てきた美鈴が「私の友達です」と言ってくれたおかげで、カレンはなんとか中に通してもらうことができた。
広々としたリビングには、重く、張り詰めた空気が満ちていた。
数人の制服警官と、二人の見知った刑事がいる。美鈴の父親である秋山剛造と、先日校門前でカレンを追及してきた藤原アキだ。
アキはカレンの顔を見ると、キュッと眉間に皺を寄せて鋭く睨みつけてきたが、すぐに「今はそれどころではない」と判断したのか、視線を事件の資料へと戻した。
部屋の隅では、美鈴と春一が手を握り合い、蒼白な顔で震えている。
そして、部屋の中心には、事件の最大の被害者家族である凪沙の母親――冬木しのぶが座っていた。
普段は隙のない法廷の戦士である彼女も、今は髪を乱し、血の気の引いた顔で両手で顔を覆っていた。表面上は冷静を保とうとしているが、その背中が小刻みに震えているのがわかる。
「……遅くに申し訳ありません。秋山さんから、事情は伺いました」
カレンが静かに声をかけると、しのぶは虚ろな目で顔を上げた。
「カレンさん……ごめんなさいね、こんな時に巻き込んでしまって……」
「いいえ。私にできることがあれば、何でも言ってくださいませ」
カレンは令嬢としての上品な態度を崩さず、静かに同席させてもらった。
警察たちの会話や、テーブルに広げられた資料から、事件の全貌が次第に見えてきた。
犯人からの要求は、莫大な身代金。そして、送られてきた画像には、薄暗い場所で猿轡を噛まされ、恐怖に涙を流す凪沙の姿が写っていた。
さらに、犯人の正体が、数年前にしのぶが刑務所送りにした半グレ男、古川であることも判明していた。
「まさか……私の過去の裁判の報復として、あの子が狙われるなんて……っ!」
しのぶはギリッと唇を噛み締め、後悔に苛まれるように頭を抱えた。
「あの子に何かあったら……あの世にいる夫に、私はどう顔向けすればいいの……っ」
その悲痛な叫びに、美鈴が堪えきれずに嗚咽を漏らした。
「冬木先生、落ち着いてください。我々も全力を挙げて犯人のアジトを絞り込んでいます。Nシステムと防犯カメラの映像から、港区の湾岸エリアに向かったことまでは特定できています」
秋山剛造が重々しい声でなだめるが、状況は絶望的だった。
犯人からのメッセージには、明確なタイムリミットが記されていた。明日の夜明けまでに指定の口座に金を振り込まなければ、凪沙を『集団強姦』した上で、その動画をネットにばら撒くという、この上なく悪辣な脅しだ。
「悠長に探している時間なんてないわ! 今すぐ私が金を用意して振り込む! だから、口座から足取りを追ってちょうだい!」
「駄目です、先生! 相手は反社会勢力です。一度金を払えば、さらに要求をエスカレートさせるだけだ!」
しのぶと剛造たちの間で、激しい口論が始まった。
その様子を静かに見ていたカレンは、冷徹な思考で状況を分析していた。
(悪手ですわね……)
カレンの裏社会での経験が、一つの残酷な真実を告げている。
相手の目的が単なる金銭目当てなら、金を払えば解放される見込みはある。だが、今回の動機は明確に『冬木しのぶへの復讐』だ。
復讐に燃える下劣なチンピラが、金を貰ったからといって素直に獲物を返すはずがない。金を払おうが払うまいが、最終的に凪沙は陵辱され、その事実がしのぶを壊すための最大の武器として使われるだろう。
警察の組織だった捜査では、あのクズどもの悪意のスピードには絶対に間に合わない。
長丁場になり、重苦しい空気に耐えきれなくなったのか、「少し外の空気を吸ってくる」と言って春一が庭へと出た。
カレンもそっと席を立ち、彼を追って夜の庭へと出た。
冷たい夜風が吹き抜ける中、春一は庭のウッドデッキに座り込み、星の見えない曇り空を見上げていた。
「……カレンさん」
横に並んで立ったカレンに、春一がポツリと口を開いた。
「凪沙はさ……俺たちにとって、本当に特別な幼馴染なんだ」
春一の口から語られるのは、凪沙との過去の思い出だった。親同士の付き合いで幼い頃から一緒に育ったこと。
「あの子は、本当に優しくて、人を疑うことを知らない、甘い部分がある。だからこそ……俺と美鈴が、『私たちがこの子を守らなきゃ』って思って、真っ直ぐに育ってきたんだ」
春一は両手で顔を覆い、悔しそうに声を震わせた。
「なのに……俺は、何もできなかった……っ」
カレンは黙ってその言葉を聞きながら、凪沙の笑顔を思い出していた。
『えっ? なんで? 私たち、失礼なことしちゃうかな?』
『カレンちゃんってすごいんだよ!』
昨日、校門前でアキ刑事に追及された時も、凪沙はカレンを疑うどころか、真っ先に心配し、アキが引いた後は「連れて行かれちゃうかと思った」と泣きついてきた。
イギリス・ロンドンの夜。己の退屈を紛らわすためだけに、欲望のままに暴れ回った問題児の少女、カレン・エンフィールド。
追いかけてくるパトカーのボンネットを蹴り上げ、フロントガラスを叩き割った。
気に入らない男の股間をブーツの踵で容赦なく踏み潰し、笑い飛ばした。
裏社会の汚泥の中で生きてきた自分とは、光と影ほどにも対照的な、純粋無垢な少女。
そんな少女が、裏の顔を知らないとはいえ、この自分を「大切なお友達」と呼んでくれたのだ。
「……俺は、もう部屋に戻るよ」
春一がゆっくりと立ち上がり、カレンの方を向いた。
「外は寒いから、カレンさんもあまり長居しないようにね。風邪引くよ」
弱々しい笑顔を作って家の中へと戻っていく春一の背中を見送りながら。
カレンの碧眼には、すでに冷酷で、そして熱い『覚悟と決意』の炎が灯っていた。
(ええ。あなたが美鈴さんと一緒に守ってきた、あの純粋な花は……)
カレンは誰にも何も告げず、踵を返して冬木家の敷地から静かに出た。
そして、門の陰に停めてあったハンター350に跨り、ヘルメットを深く被る。
(――今夜、この私が『黒薔薇』の棘で、下劣な害虫どもから守り抜いてみせますわ)
キュルルルッ、バオォォォォォンッ!!
静かな住宅街の夜を切り裂くように、猛烈なアクセルターンを決め、カレンは夜の街へと弾丸のように飛び出した。
向かう先は、自分のマンション。
これから始まる『戦争』のための、ある『おもちゃ(武器)』を取りに行くために。
既に作品出来上がっているので、なるべく毎日投稿を心がけます。




