part 4
桐生春一がカレンの部屋で嵐のような夜(と朝)を過ごした、その翌日の午後。
警視庁管轄のとある警察署では、刑事課の藤原アキがパソコンのモニターを険しい表情で睨みつけていた。
「間違いないわね。昨夜、あの『黒いライダー』の後ろに乗っていたのは、この少年よ」
アキの背後から、交通課の田中華と鈴木雫がモニターを覗き込む。
彼女たちが昨夜パトロール中に偶然捉えた防犯カメラの不鮮明な映像。そこには、猛スピードで雨の路地裏から飛び出してきたロイヤルエンフィールド・ハンター350と、その後部座席にしがみつく少年の姿が映っていた。ライダーはフルフェイスで顔が見えないが、後ろに乗せられた少年はヘルメットを被っておらず、一瞬だけ街灯の光に顔が照らされていたのだ。
「少し前に、現場近くで半グレ組織『リコリス』の下っ端どもがウロついていて、一人の男子生徒を取り囲んでいたっていう通報があったの。どうやら黒いライダーは、その男子生徒を救助して逃走したみたいね」
アキは映像を拡大し、少年の顔をさらに鮮明に補正した。
「……やっぱり。どこかで見覚えがあると思ったら」
「アキさん、この子知ってるんですか?」
華が尋ねると、アキは手元の資料をパタンと閉じて立ち上がった。
「ええ。秋山さんの娘さんの、幼馴染よ」
以前、秋山剛造の家で開かれたバーベキューパーティーにお邪魔した際、美鈴と一緒に遊びに来ていたのを見かけて挨拶をしたことがあった。おとなしそうだが、人の良さそうな少年だったと記憶している。
名前は確か、桐生春一。
アキの長年培ってきた刑事の直感が、警鐘を鳴らしていた。
(桐生春一は、件のライダーと確実に繋がっている。これは、尻尾を掴む最大のチャンスかもしれないわね)
†
放課後の北多摩高校。
授業が終わり、カレンより一足先に教室を出た春一、美鈴、凪沙の三人は、連れ立って校門へと向かっていた。
しかし、校門を抜けたところで、三人は思わず足を止めた。
「あれ? アキさん?」
美鈴が驚いた声を上げる。
校門のすぐ脇に停められた、無骨なカーキ色のスズキ・ジムニー。その車体に寄りかかりながら、スーツ姿の藤原アキが紫煙をくゆらせていた。
アキは三人の姿を認めると、携帯灰皿にタバコを押し付けて軽く手を挙げた。
「よっ。久しぶりね、美鈴ちゃん、凪沙ちゃん。それに、桐生くん」
「お久しぶりです! どうしたんですか、こんなところで」
凪沙が無邪気に駆け寄る。家族ぐるみの付き合いがあるため、三人にとってアキは「近所の頼れるお姉さん」といった親しい間柄だった。
しかし、アキの瞳は笑っていなかった。彼女は美鈴と凪沙に軽く挨拶を返した後、真っ直ぐに春一を見据えた。
「桐生くん。単刀直入に聞くわ。……昨夜、一緒にバイクに乗っていた人間のこと、洗いざらい話してくれないかしら」
「えっ……!?」
春一の心臓が、早鐘のように激しく打ち鳴らされた。
「な、なんのことですか? 俺、昨日は友達の家に泊まっていて……」
「とぼけても無駄よ。防犯カメラの映像で、君の顔はバッチリ確認されているの。リコリスの連中に絡まれていたところを、例の『黒いライダー』に助けられたんでしょう?」
アキの一歩踏み込んだ追及に、春一は顔を青ざめさせながらも、頑なに口を噤んだ。
「……何も、知りません」
「桐生くん、あのライダーは夜の街で危険運転を繰り返し、警察を嘲笑うように暴走している犯罪者よ。庇っても君に良いことなんて一つもない。むしろ、君まで犯罪に巻き込まれる可能性があるの。わかる?」
アキの言葉には、春一を厄介事から遠ざけたいという大人としての切実な想いが込められていた。
「春一くんが、犯罪……?」
横で聞いていた凪沙が、不安そうに身をすくめる。
美鈴は春一の前に庇うように立ち塞がった。
「ちょっと待ってくださいアキさん! 春一がそんな悪い奴と関わりがあるわけないじゃないですか! 何かの見間違いです!」
「美鈴ちゃんは下がっていなさい。これは警察としての……」
口論がヒートアップしかけた、その時だった。
トコトコトコ……。
特徴的な単気筒エンジンの排気音を響かせながら、カレンの乗るハンター350が校門へとやってきた。
カレンはバイクを停め、三人とアキが深刻な顔で対峙しているのを見て、小首を傾げた。
「あら、皆様。何事ですの?」
(マズイ……! タイミングが悪すぎる!)
春一と美鈴の顔色が一気に青ざめた。
カレンはヘルメットを脱ぎながら、アキを一瞥した。
(美鈴たちと親しげに話していますが、あの鋭い眼光と立ち振る舞い……。おそらく、警察関係者ですわね)
カレンが瞬時に状況を察知したのと同時に、アキもまた目を細めてカレンを観察していた。
透き通るような金髪に、非の打ち所がないお嬢様のような佇まい。しかし、その身長や体格、そして何より彼女が乗っているバイク。すべてのピースが、頭の中でカチリと音を立てて合致した。
「初めまして。私、警視庁で刑事をしている藤原アキと言います。美鈴ちゃんたちの友人かしら?」
「ええ。初めまして、カレン・エンフィールドと申しますわ。皆様からは、いつもお父様やお仕事仲間の方の素晴らしい活躍を伺っておりますのよ」
カレンは完璧な令嬢スマイルを浮かべ、優雅に頭を下げた。
アキはカレンのバイクをジッと見つめた。
「良いバイクに乗っているのね。ロイヤルエンフィールド……最近、夜の街を騒がせている例のライダーと、全く同じ車種だわ」
「まあ。それは奇遇ですわね」
カレンは見事に惚けてみせたが、アキは逃がさないとばかりに一歩距離を詰めた。
「カレンさん。昨夜、この桐生くんを後ろに乗せて走っていなかったかしら? 何か、知っていることがあるなら……」
「アキさん!!」
突然、春一がアキとカレンの間に強引に割り込んだ。
「カレンさんは関係ありません! 昨日の夜、俺はずっとカレンさんと……っ、いや、その、とにかく、あの黒いライダーなんて全く知らない人です! カレンさんを疑うのはやめてください!」
春一の必死すぎる剣幕に、アキは少し驚いたように目を丸くした。
カレンもまた、背中越しに春一の震える肩を見て、不思議そうに瞬きをした。
(この男……自分が疑われて不利な状況だというのに、警察の知り合いに逆らってまで私を庇っていますの?)
アキは春一の真剣な瞳と、その後ろで涼しい顔をしているカレンを交互に見た後、ふうっと短く息を吐いた。
「……わかったわ。今日のところは、桐生くんの顔に免じてこの場を引くことにする」
アキは車のドアに手をかけ、最後にカレンに向かって鋭い視線を投げかけた。
「だけど……あまりこの国で『おイタ』をし過ぎると、私が許さないから。それだけは覚えておいて」
言い残し、アキはジムニーに乗り込んで去っていった。
残された四人の間に、重い沈黙が落ちる。
「……なぜ、私を庇ってくれたんですの?」
カレンが不思議そうに春一の顔を覗き込むと、春一は気まずそうに目を逸らした。
「別に……本当のこと言ったら、俺がカレンさんの家に泊まったことまでバレちゃうかもしれないし……」
一方、美鈴は複雑そうな表情でカレンを見た。
「私たちの付き合いは短いけどさ。それでも、友人を犯罪者として逮捕させたくないのよ。それに……凪沙はあんたのこと、すごく気に入ってるみたいだしな」
「カレンちゃぁぁん!」
突然、凪沙が涙目でカレンに抱きついてきた。
「よかったよぉ! アキさんに連れて行かれちゃうかと思って、すっごく怖かった……!」
「ちょ、ちょっと冬木さん、苦しいですわ……!」
泣きじゃくる凪沙の頭を撫でながら、カレンは思わずフフッと吹き出してしまった。
まさか自分が、こんなにも「表の世界」の真っ当な人間たちから、純粋な善意で心配され、守られる日が来るとは思ってもみなかったからだ。
「さあ、こんなところで立ち話もなんですし。いつも通り、冬木法律事務所の下の階の喫茶店へ行きましょう。私が奢りますわ」
カレンの提案に、三人はようやくホッとしたように顔をほころばせた。
†
レトロな雰囲気が漂う喫茶店『レンガ亭』。
向かいの席で美鈴と凪沙がパフェをつつきながら楽しそうに談笑している隙を突き、カレンは隣に座る春一にそっと身を寄せた。
「……ねえ」
「ひゃっ!?」
カレンが耳元で囁くと、春一はビクッと肩を震わせて顔を真っ赤にした。
(何赤くなってんのよ、この人。昨夜あんなに激しく私の身体を貪っておいて、今更純情ぶるなんて可笑しいですわ)
内心でクスクスと笑いながら、カレンは誰にも聞こえない声で続けた。
「黙ってくれたのは感謝しているわ。でも、あの刑事さん、あなたの知り合いなんでしょう? なんであそこまで必死に、私を庇ったの?」
春一は少しだけ躊躇った後、アイスコーヒーのストローを弄りながら小声で答えた。
「カレンさんは……ヤンチャで無茶苦茶だけど、根は悪い奴じゃないと思うんだ」
「は?」
「若干俺たちを下に見ている節はあるし、言動も怖い時があるけど……それでも、なんだかんだ言って凪沙や美鈴のワガママに付き合ってくれるし、俺たちの好意を無下にしていない。なんだかんだ、ちゃんと『友達』として相手してくれているからね。だから、裏切れないよ」
それを聞いたカレンは、思わず声を出して笑いそうになるのを必死に堪えた。
(武器商人の娘で、夜の街で暴れ回っているこの私が、「いい奴」と言われる日が来るなんて!)
「……ええ。合格よ」
カレンは春一の耳元にさらに顔を近づけ、甘く囁いた。
「守ってくれてありがとうね、春一」
「お、おう……」
名前で呼ばれ、春一は耳まで真っ赤にして俯いてしまった。
その様子を見ていた美鈴が、ジト目で釘を刺してくる。
「ちょっとカレンさん、春一をからかうのはほどほどにしてよね。……それに、凪沙はあんたのことが本当に大好きだから、捕まって悲しませるような無茶だけはしないでよ」
美鈴はストローを咥えながら、そっぽを向いてボソッと付け加えた。
「……そりゃあ、私もあんたに捕まってほしくないからね」
「ふふっ。肝に銘じておきますわ、秋山さん」
カレンは優雅に微笑み、ミルクティーのカップを持ち上げた。
その後の会話で桐生春一がアキさんからカレンを庇った所を思い出した美鈴はこっそり春一に耳打ちして、「あんたもしかしてカレンの正体を既に知っているの……?」的な会話で春一はいろいろと目を泳いでいたのはまた別の話。
(……聴こえていますわよ)
夕暮れ時の喫茶店。
警察と半グレの影が忍び寄る中でも、このささやかで温かい放課後の時間は、彼女たちを優しく包み込んでいた。帰路につく頃には、四人はいつも通りの賑やかな笑顔に戻り、仲良くお開きとなったのだった。




