part 2
冷たい雨が打ち付ける夜の街を駆け抜け、気がつくとカレンは桐生春一を自分の住む高級マンションまで連れてきてしまっていた。
(まあ、雨に濡れて風邪でも引かれたら面倒ですわ。このままそこら辺に投げ捨てるのも忍びないですし)
カレンは呆然としている春一を促し、マンションのエントランスを抜け、エレベーターで自室へと向かった。
「……えっと、ここ、カレンさんの家?」
春一は場違いな空間に萎縮したように、広いリビングの入り口で立ち尽くしていた。
「ええ、そうですわ。とりあえず、適当に座って休んでいてくださる?」
カレンは濡れたライダースジャケットを脱ぎ捨てながら、春一にバスタオルを投げ渡した。
「俺……いろいろと、聞きたいことが……」
「お話しするのは後。私、雨に濡れて風邪を引きたくありませんから、先にシャワーを浴びさせていただきますわ。あなたはその次ね」
春一が何か言いかけるのを遮り、カレンは足早にバスルームへと向かった。
†
「ふぅ……スッキリしましたわ」
熱いシャワーで冷えた身体を温め、雨と泥の汚れを洗い流したカレンは、バスルームのドアを開けた。
そして、濡れたプラチナブロンドの髪をタオルで拭きながら、堂々とした足取りでリビングへと足を踏み入れた。
――生まれたままの、一糸纏わぬ全裸の姿で。
「……ッ!?」
ソファに座ってうなだれていた春一は、物音に顔を上げ、そして凄まじい勢いで目を剥いた。
「ちょ、おいいいい!? は、裸ッ!?」
顔を真っ赤にして両手で目を覆いながら、春一はパニックを起こしてソファの背もたれに後ずさる。
「あら、私は別に気にしませんわよ?」
カレンは全く動じることなく、濡れた髪をかき上げながら、冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出した。
「き、気にするってレベルじゃねえだろ! 服! 服着て!!」
指の隙間からチラチラと視線を送りながら絶叫する春一。
その視線の先で、彼はあるものに気がついた。
カレンの透き通るような白い肌。その両肩から腕にかけて、禍々しくも美しい、黒い薔薇とイバラのタトゥーがびっしりと刻み込まれていたのだ。
先ほど自分を助けに来てくれた黒いライダーの、堂に入った暴力的なまでの身のこなし。そして今、目の前にいる、タトゥーを入れた全裸の少女。
春一は極度の混乱の中で、奇妙なほど冷静な思考を取り戻していた。
「……なあ。もしかして、そっちが素……なのか?」
春一は目を覆っていた手を下ろし、震える声で尋ねた。
カレンはペットボトルの水を半分ほど飲み干すと、少しだけ迷う素振りを見せた。
(ここでシラを切ることもできますけれど……どうせもう、私のバイクの運転も、あの暴力も、全部見られてしまいましたし。どうしようもありませんわね)
「ええ、そうよ。これが私の『素』ですわ」
カレンはあっさりと認め、近くにあったバスローブを羽織ってベルトをきつく結んだ。
「あの昼間の『お嬢様』は、ただの猫被り。私、イギリスにいた頃はもっと派手に遊んでいたんですのよ」
カレンはソファに腰を下ろし、呆然とする春一に向かって、イギリスでの自分の「武勇伝」を事もなげに語り始めた。
年齢を誤魔化して偽造免許を作り、裏ルートで仕入れたバイクで夜のロンドンを爆走したこと。
ポリスとのカーチェイスを楽しんでいたこと。
夜のアンダーグラウンドの仲間たちと、カジノやクラブに入り浸り、酒やタバコを嗜み、性に奔放に男漁りや火遊びの限りを尽くしていたこと。
「最後にポリスに囲まれて捕まりそうになった時は、護身用に持っていたスタンガンで警官を気絶させて逃げ切りましたわ。あの時はさすがに少しドキドキしましたけれど、スリルがあって最高でしたわね」
カレンがうっとりと当時を振り返ると、春一はついに耐えきれずに叫んだ。
「犯罪じゃねえか!?」
「失礼ね」
カレンは柳眉を逆立て、心外だというように鼻を鳴らした。
「私、今まで『犯罪』なんて犯したこと、ただの一度もありませんわよ?」
「いや、偽造免許に公務執行妨害に未成年喫煙飲酒って……!」
「ええ。でも、私の父――ジョン・エンフィールドが、怒り狂いながらも家の権力と莫大なお金を使って、私の犯罪歴を綺麗さっぱり帳消しにしてくれましたの」
カレンは悪びれもせず、むしろ誇らしげに胸を張った。
「おかげさまで、私は法的には全くの『クリーンな少女』になったというわけ。今から本国の警察の記録をどれだけ調べても、私の名前は一切出ませんわよ?」
最後にそう言ってニコッと小悪魔のように微笑むカレンを見て、春一は己の中で、パリンッ、と何かが無惨に砕け散る音を聞いた気がした。
清楚で、上品で、守ってあげたくなるような、美しい深窓の令嬢。
少しでも彼女の力になりたくて、照れくささを押し殺してハンカチをプレゼントした、あの淡い初恋のような感情。
それがすべて、根底から覆されたのだ。
「う、ウソだ……俺のカレンさんが……こんな、こんな不良だなんて……」
春一は頭を抱え、世界の終わりを見たような顔でうわ言を呟いている。
「そんなわけで、私は父の逆鱗に触れて、『頭を冷やしてこい』と、この極東の島国である日本へ島流しにされたんですの。……まったく、忌々しいことですわ」
カレンはため息をつき、長い足を組み替えた。
「いったい……何者なんだよ、エンフィールド家って」
春一が怯えたような目でカレンを見上げる。ただの金持ちが、警察の記録を揉み消せるわけがない。
「私の家は、代々続く武器商人の家系よ。正確に言えば、巨大な軍需産業貿易会社ね」
カレンは淡々と事実を告げた。
「昔、イギリスで『エンフィールド』という有名な銃が誕生したことをきっかけに生まれた家系なの。先祖は武器の生産と売買で莫大な財を成し、今では世界中の軍隊や組織に兵器を売り捌いているわ」
春一は息を呑んだ。それは、彼が生きている平和な日本の高校生活からは、あまりにもかけ離れた世界の話だった。
「最近の取引だと、優秀な私のジャックお兄様が、アフリカのとある反政府組織に大量の武器を卸したそうよ。その時の相手のリーダーは、とても話がわかる紳士的な奴で助かったって、お兄様が言っていましたわ」
「……話がわからない奴も、いるんだ……」
「そうよ。裏社会の取引相手なんて、狂人ばかりですもの。中にはね……ついさっき、誘拐してきた幼女を性奴隷として弄んだ直後の、血と汗に塗れた裸の姿のままで取引の席に出てくるような下劣な奴だっていたらしいわよ。それも、お兄様の目の前でね」
「うわぁ……」
春一は顔を青ざめさせ、本気で吐き気を催したように口元を押さえた。
「まあ、そんなことはどうでもいいわ」
カレンは一蹴し、冷ややかな目で春一を射抜いた。
「それより、なぜあなたが、あの『リコリス』とかいう半グレ連中に追われていたのか、説明してくださる?」
春一は少し躊躇いながらも、ポツポツと事の経緯を語り始めた。
夜中、塾からの帰り道。半グレ組織の下っ端らしき男たちが、他校の女子学生を取り囲んで路地裏に引き込もうとしているのを目撃してしまったこと。
本当なら、噂に聞く恐ろしいリコリスになんて絶対に関わりたくなかったが、女子学生があまりにも怯えて泣きそうになっていたのを見て、思わず「警察を呼んだぞ!」と声をかけてしまったこと。
リコリスの注意が自分に向いているその隙に、女子学生に「逃げろ!」と叫んで脱出させたこと。
そしてその後、激怒した奴らに路地裏へ追い詰められたのだという。
それを聞いたカレンは、「やれやれ」と大仰にため息をついた。
(とんだお人好しですわね。自分の命がかかっているというのに、見ず知らずの女を助けるために首を突っ込むなんて。……でも)
カレンは春一の顔を見た。
(そういう馬鹿正直なところ、嫌いじゃありませんわ)
「……もう遅いですし、雨もひどいですわね。今日はもう、ここに泊まっていきなさい」
「えっ!? いや、でも、俺……」
「いいから」
カレンはふいっと立ち上がると、バスローブの前を無造作に開け、はだけさせたまま春一の隣に腰を下ろした。
柔らかな肌の感触と、石鹸の甘い香りが春一の鼻腔をくすぐる。
「ひゃっ……!? カ、カレンさん、服……!!」
春一は顔を真っ赤にして、カチコチに固まった。
「あら。あなた、もしかして童貞?」
その初々しすぎる反応がおかしくて、カレンはクスクスと笑い声を漏らした。
(少し、からかってやりましょうか)
カレンは春一の腕にギュッと抱きつき、豊かな胸の谷間を彼の腕に押し付けた。
「ねえ……良かったら、私がその童貞、奪ってあげましょうか?」
春一の耳元に唇を寄せ、妖艶な声で囁く。
「私、イギリスの男たちから『アソコの締まりが良くて名器だ』って、よく言われていたのよ?」
「ぶふぉっ!?」
春一は限界を超えたように変な悲鳴を上げ、ソファから転げ落ちそうになりながら後ずさった。
「む、むむ、無理無理無理!! 俺、そういうの免疫ないから!! ていうか、カレンさん、いろいろと経験豊富すぎない!?」
顔を茹でダコのように真っ赤にして慌てふためく春一を見て、カレンはついにこらえきれなくなり、「あははははっ!」とお腹を抱えて大爆笑した。
「あー……おかしい。どんだけピュアなのよ、あなた。……私が生きてきたドロドロの世界とは、本当に別物ですわね」
カレンは笑い涙を拭いながら、バスローブの襟元を直した。
「……冗談よ。今日はもう遅いから、奥のゲストルームを使って泊まっていきなさい。それに、あの半グレ連中、あなたを狙って血眼になっているはずだわ。今外に出たら、間違いなく殺されるわよ」
春一もその事実を思い出し、青ざめてコクリと頷いた。
「一応、ご両親には『友達の家に泊まる』と連絡を入れておきなさいな」
「う、うん。わかった。……カレンさん、今日は本当に、ありがとう」
春一が心からの感謝を述べようとした、その時。
カレンはスッと表情を消し、春一の首元に冷たい手を這わせた。
そして、耳元で氷のように冷たい声で警告した。
「……わかっていると思うけれど。私の『夜の姿』を誰かにバラしたら……あなたのそのクソ粗チン、根元から噛み切ってやるから。わかったわね?」
背筋が凍るような殺気を伴った、極上の微笑み。
春一は直感で悟った。こいつは、比喩でも脅しでもなく、マジでやる奴だ、と。
「は、はいっ! 絶対に誰にも言いません!! 墓場まで持っていきます!!」
春一が半泣きで、軍隊のような見事な敬礼とともに了承すると、カレンは再び「ふふっ」と人の悪い笑みを浮かべた。
「そ、よろしい。今日はもうおやすみなさい」
カレンは立ち上がり、ニコッと完璧な『令嬢スマイル』を向けて、自分の寝室へと消えていった。
残された春一は、嵐が過ぎ去ったようなリビングで一人、深く、深いため息をつくのだった。
既に作品出来上がっているので、なるべく毎日投稿を心がけます。




