part 4
原宿での波乱(と大爆笑)の休日のお出かけから、数日が経過した。
五月も中旬に差し掛かり、初夏の陽射しが東京のアスファルトを眩しく照らし始めている。
その日の朝も、カレン・エンフィールドは愛車のロイヤルエンフィールド『ハンター350』に跨り、北多摩高校への道を走っていた。
心地よい初夏の風が、フルフェイスヘルメットのベンチレーションを抜けていく。低く力強いエンジンの鼓動が、シート越しにカレンの身体へと伝わっていた。
(……不思議なものですわね。この極東の島国での退屈な日々も、案外悪くないと思えるようになってきましたわ)
赤信号で停車しながら、カレンはふとそんなことを考える。
イギリス本国にいた頃は、自分を縛り付ける息苦しい家柄や、周囲の人間たちの腹黒い思惑、そして常に自分を監視するような視線に吐き気がしていた。だからこそ、夜の街を偽造バイクで爆走し、ポリスとのチェイスというスリルに身を委ねることでしか、自分の生を実感できなかったのだ。
だが、今はどうだろう。
あの無邪気でお人好しで、純粋な好意を向けてくる冬木凪沙。
正義感が強く、不器用ながらもカレンの正体に勘付きながら、それでも「友達だ」と案じてくれる秋山美鈴。
そして、顔を真っ赤にして薔薇のハンカチをプレゼントしてくれた、少し頼りないが真っ直ぐな桐生春一。
彼らと過ごす「偽りの令嬢」としての昼の顔が、少しずつカレンの中で居心地の良いものに変わりつつあった。
「……っと、いけませんわね。すっかり毒気が抜けてしまいそうですわ」
青信号に変わると同時にアクセルを開け、カレンはヘルメットの中で自嘲気味な苦笑いを浮かべて学校へと向かった。
北多摩高校の生徒用駐輪場にバイクを停め、ヘルメットを脱いで透き通るようなプラチナブロンドの髪をサラリと揺らす。
と、そこへ見慣れた三人の姿があった。
「あ、カレンさん! おはよう!」
「おはようございます、皆様。今日も良いお天気ですわね」
カレンがいつものように完璧で優雅な笑みを浮かべて挨拶をすると、凪沙と春一の二人は、なぜかビクッと大袈裟に肩を震わせ、ひどく気まずそうにスッと目を逸らした。
「あ、あはは……おはよう、カレンさん。その、原宿での節は、本当にごめんなさい……!」
「お、俺も! ほんと、無知って怖いなって痛感したっていうか……穴があったら入りたいです……!」
二人は顔を耳まで真っ赤に染め上げ、ペコペコと何度も頭を下げている。
どうやら、原宿での『卑猥なVサイン事件』のトラウマをまだ強烈に引きずっているらしい。あの後、カレンから本当の意味を聞かされた時の二人の絶望的な顔を思い出し、カレンは内心で吹き出しそうになるのを必死に堪えた。
「あらあら。気になさらないでくださいな。文化の違いからくるただのすれ違いですもの。私、少しも怒っておりませんわよ?」
「で、でもぉ……カレンちゃんみたいな綺麗なお嬢様に、あんなとんでもないポーズさせちゃったし……私、万死に値するよぉ……」
凪沙が両手で顔を覆ってその場にしゃがみ込む。(万死に値する、というのは奇しくもシャーロットと全く同じ感想だった)
その横で、美鈴が呆れたようにため息をついた。
「もう、二人ともいつまで引きずってんのよ。カレンさんが気にしてないって言ってるんだから、いい加減普通にしなさいな。……まあ、私も家に帰ってからスマホで海外のジェスチャーの意味を調べて、一人でベッドの上で枕に顔を押し付けて悶絶したけどね」
「美鈴さんも十分に引きずっているじゃありませんか」
カレンがたまらずクスクスと笑うと、美鈴は「う、うるさいわね!」と顔を赤らめてそっぽを向いた。
こんな他愛のない、等身大の高校生らしいやり取りが、今のカレンにはとても新鮮で心地よかった。
四人で連れ立って、朝の活気に満ちた校舎へと歩き出す。
ふと、周囲の生徒から少し離れたタイミングで、美鈴がスッと真面目な顔つきになり、声を潜めて口を開いた。
「……そういえば、カレンさん。最近、夜は出歩いてないわよね?」
「え? ええ、もちろんですわ。私は夜の十時にはベッドに入って、美容と健康のための睡眠をしっかりととっておりますもの」
カレンは涼しい顔で、息をするように嘘をついた。
実際は昨夜も、シャーロットの目を盗んでこっそりとマンションを抜け出し、首都高を軽く流して見下ろす東京の夜景を楽しんできたばかりだ。
美鈴はカレンの透き通るような碧眼をジッと見つめた後、小さく、重い息を吐いた。
「ならいいんだけど。今朝、お父さんがまた怖い顔して朝食食べてたからさ」
「お父様が?」
「うん。例の『黒いライダー』の件……ついに、本庁の刑事も本格的に動くかもしれないって言ってた」
その言葉に、カレンの心臓がトクリと跳ねた。
(……本庁が動く? 所轄の交通課のパトカーやヒラ刑事だけでなく、警視庁のエリート連中が出てきますの?)
「警察のメンツを潰されまくってるから、上層部がかなり怒ってるみたい。そろそろ本気で網を張るらしいわ」
美鈴の表情は硬かった。彼女はカレンが黒いライダーであると確信しているからこそ、警告してくれているのだ。
「それにね……この前言ってた半グレ集団『リコリス』。あいつらの動きも、急激に活発になってきてるみたい。都心部だけじゃなくて、この北多摩地域でも、違法な薬物の取引ルートが作られ始めてるって噂よ。末端の売人なんかが、ウロチョロし始めてるって」
「リコリス……」
「そう。あいつら、目的のためなら手段を選ばない連中だから。だから、絶対に夜遅くに出歩いちゃ駄目だからね。特にカレンさんは目立つし、変な連中に絡まれたら本当に危ないから」
美鈴の言葉には、カレンへの純粋な心配と、絶対に巻き込ませたくないという強い意志が込められていた。
屋上でカレンを追及したあの日以来、美鈴はそのことには直接触れてこない。彼女なりに、カレンという友人を信じよう、あるいは警察という組織から守ろうとしてくれているのだろう。
「……ありがとうございます、秋山さん。ご忠告、胸に深く刻んでおきますわ」
カレンは優しい微笑みを浮かべて頷いた。
しかし、内心では静かに、そして鋭く舌打ちをしていた。
(チッ……ポリ公が本腰を入れてくるのは面倒ですわね。それに『リコリス』とかいう薄汚いチンピラ共も、私の庭を荒らし回っているようで気に食いませんわ)
カレンにとって、夜のストリートは誰にも縛られない自分の自由を証明するための大切な場所であり、いわば『遊び場』だ。
そこを、メンツにこだわる警察や、気味の悪い半グレどもに荒らされるのは、ひどく腹立たしい。
キィィンコォォン……。
不意に、一時間目の始まりを告げる予鈴のチャイムが学校中に鳴り響いた。
「あ、予鈴鳴るよ! 急ごう!」
春一の声に弾かれ、四人は昇降口へと駆け出した。
昼の顔は、大切な友人たちと穏やかに過ごす完璧な令嬢。
だが、夜の顔である『黒薔薇』の血は、確実に騒ぎ始めていた。胸の奥底で、退屈を切り裂くような闘争心に火が灯るのを感じる。
この北多摩の街で、カレンを中心とした警察と裏社会の思惑が、少しずつ、しかし確実に交差しようとしていた。
既に作品出来上がっているので、なるべく毎日投稿を心がけます。




