part 3
放課後のチャイムが鳴り終わり、帰りのホームルームが解散した直後のことだった。
「ねえねえ、みんな! この後、クレープ屋さんに行かない!?」
鞄に教科書をしまっていたカレンの席に、冬木凪沙が弾むような足取りで駆け寄ってきた。
カレンは手を止め、不思議そうに瞬きをした。
「クレープ、ですか?」
「うん! せっかくカレンちゃんが転校してきたんだし、もっとみんなで仲良くなりたいなって思って! 明日はせっかくの休日だし、少し遠出して原宿まで行ってみない?」
満面の笑みで提案してくる凪沙。カレンは内心で(なぜ私がわざわざ休みの前日に、同級生と群れて菓子を食べに行かなければならないんですの……)と毒づいたが、ふと視線を感じて横を見た。
そこには、凪沙の背後で腕を組んでいる秋山美鈴がいた。彼女は小さく肩をすくめ、『まあ、こいつのワガママに付き合ってやりなよ』と言わんばかりのやれやれとした表情を浮かべていた。
昼休みの屋上での一件——カレンの正体を看破しながらも「友達だと思っている」と言い放った美鈴の言葉が、まだ胸の奥に燻っている。
「……ええ、わかりましたわ。喜んでご一緒させていただきます」
カレンが優雅に微笑んで了承すると、凪沙は「やったー!」と無邪気に両手を挙げた。
†
放課後の原宿は、流行に敏感な若者たちで溢れかえっていた。
凪沙、美鈴、そして桐生春一の三人は電車で向かったが、カレンは「少し野用がありますので」と言って一度マンションに戻り、私服に着替えてから愛車のハンター350で先回りしていた。
竹下通りの入り口近くの駐輪場にバイクを停め、指定された有名なクレープ屋の店先で三人と合流する。
「お待たせー! わぁ、カレンちゃん、私服もすっごくオシャレ!」
「本当に。どこのモデルかと思ったわよ」
カレンの出で立ちは、モノトーンを基調としたシックなブラウスとスカート。夜のライダースジャケット姿とは打って変わって、いかにも『上流階級の令嬢』の休日といった洗練された装いだった。
「ふふ、ありがとうございます。それで、クレープというのは……なんですの、これ?」
カレンは、店先のショーケースにズラリと並んだ食品サンプルを見て、目を丸くした。
円錐状に巻かれた薄い生地の中に、これでもかと山盛りにされた生クリーム。その上には大粒のイチゴやバナナ、ブラウニーが突き刺さり、チョコレートソースやカラースプレーが派手にデコレーションされている。
「えっ? クレープだけど……イギリスにはないの?」
凪沙たちが不思議そうに首を傾げた。
「いえ、もちろんイギリスでもクレープはポピュラーな食べ物ですわ。ですが……向こうのクレープといえば、お皿の上に平たく広げた生地に、レモン汁とお砂糖をかけるだけの、とてもシンプルなものが一般的ですの。こんな風にアイスやらソースやらを山のように盛り付けて、紙で巻いて持ち歩くなんて……まるで別物ですわ」
「へえー! 日本のクレープって独自進化してたんだね」
驚きつつも、カレンは一番人気の『ストロベリーチョコブラウニー・アイス乗せ』を注文してみた。
ずっしりと重いクレープを受け取り、小さなスプーンで一口すくって口へ運ぶ。
「……っ」
濃厚な生クリームの甘さと、甘酸っぱいイチゴ、そして冷たいバニラアイスが口の中でとろけ合う。ジャンクで暴力的なまでの糖分の塊。
(なんという……上品さの欠片もない味。ですが……)
「美味しいですわ……」
カレンの顔が、令嬢としての完璧な仮面を忘れ、年相応の少女のようにふわりと緩んだ。
ふと気づくと、周囲からの視線が一点に集中している。
凪沙、美鈴、そして春一までもが、クレープを頬張るカレンの顔をジッと見つめていた。
「……みなさん、どうかしましたの? 私の顔にクリームでもついていて?」
「あ、ううん! カレンちゃんがあんまり美味しそうに食べるから、つい見とれちゃって」
「普段隙がないお嬢様が、甘いもの食べてふにゃってなってるの、なんか新鮮で良いわね」
美鈴がニヤニヤと笑いながら言う。
そして、カレンとパチリと目が合った桐生春一は、「あっ……」と急に顔を真っ赤に染め上げ、慌てて明後日の方向へと目を逸らした。
その後、四人で賑やかな原宿の街を散策していると、ふと春一が足を止めた。
「あ、ごめん。ちょっと待ってて!」
そう言うと、彼は近くの可愛らしい雑貨屋の店内へと駆け込んでいった。数分後、少し息を切らして戻ってきた彼の手には、小さなラッピング袋が握られていた。
「これ……カレンさんに」
「私に、ですか?」
春一が照れくさそうに差し出してきたのは、上品で可愛らしい薔薇の刺繍が施されたハンカチだった。
「さっき店先で見かけて、キミにすごく似合うと思うんだ。その……俺たちと出会ってくれてありがとうっていうか、友人の印として、受け取ってほしい」
春一は緊張で少し声を震わせながら、真っ直ぐにカレンの目を見た。
「凪沙や美鈴もそうだと思うけど、俺たちはカレンと出会って、友達になれて本当に良かったって思っているんだ」
カレンは少しだけ目を見開いた。
イギリスの社交界で受け取る、打算と見栄に塗れた高価な貢ぎ物とは違う。高校生の限られたお小遣いの中で、純粋な好意だけで選ばれた小さなプレゼント。
「ええ……とても嬉しいですわ。大切に使わせていただきます」
カレンはハンカチをそっと胸元に抱き、柔らかく微笑んだ。
(東洋人の子供たちだと思って見下していましたけれど……こうして真っ直ぐに好意を向けられるのも、悪い気はしませんわね)
カレンがもらった薔薇のハンカチをマジマジと見つめている間、少し離れた場所で三人が何やらコソコソと内緒話をしているのが見えた。
「やるじゃない春一! このっ、このっ!」
凪沙がニヤニヤしながら春一の脇腹を小突いている声が微かに聞こえてくる。春一は「やめろよ声デカいって!」と慌てていた。
(まあ、他人の恋バナの盗み聞きは趣味じゃありませんわ)と、カレンは知らん顔を決め込んだ。
その後、竹下通りを抜けた開けた場所で、凪沙がスマートフォンを取り出した。
「ねえねえ、記念にみんなで写真撮ろうよ!」
「まあ、たまにはこういうのも悪くありませんわね」
カレンが頷き、春一が「俺が撮るよ」と言って三人でカメラに向かって肩を寄せる。
「はい、じゃあカレンちゃんもポーズやって!」
凪沙がそう言って、自らの顎の下に両手の人差し指と中指で作ったピースサイン(V字)をくっつけるポーズをとった。いわゆる『顎ピース』だ。美鈴と春一もそれに倣っている。
「……は?」
カレンの笑顔が、ピシリと凍りついた。
「え? どうしたの?」
「……NO。お断りですわ」
カレンは一歩引き、冷ややかな声で返した。
「どういうつもりですの? その下品なサインは」
突然拒絶された凪沙たちは、不可解な顔を見合わせた。
「下品? え、ただの顎ピースだけど……日本じゃ普通にみんなやってる盛れるポーズだよ?」
「なんで怒ってるの……?」
本当に全く心当たりがないという彼らの顔を見て、カレンはハッとした。
(あら……どうやらこの極東の島国では、本当にただの『可愛いポーズ』として広まっているみたいですわね)
そう気づいた瞬間、彼らの無知っぷりがあまりにも滑稽で、カレンは思わず「ふふっ、あはははっ!」と声を出して笑ってしまった。
「カ、カレンちゃん?」
「いいえ、なんでもないわ。私の勘違いでしたの。さあ、撮りましょう」
カレンは元の位置に戻った。そして、二人が揃って顎ピースをする中、カレンだけは普通に笑いながら、ペロッと茶目っ気たっぷりに舌を出してカメラに収まった。
†
その日の夜遅く。
カレンが一人暮らしをしている(と偽っている)高級マンションに帰宅すると、ダイニングにはすでに温かい夕食が並べられていた。
昼間は美咲と湊に付き添っていたメイドのシャーロットが、夜にはこちらに戻ってきて家事をこなしてくれていたのだ。
シャワーを浴びて部屋着に着替えたカレンは、ふかふかのソファに深々と腰を下ろした。
(まさか、この私がアジア人たちにこうまで純粋な好意を向けられる日が来るとは思いませんでしたわ。……でも、なんだかんだ言って、今日は楽しかったわね)
柄にもなく心が温かくなっている自分に苦笑する。
「今日のお出かけはいかがでしたか、お嬢様?」
洗練された美しいブリティッシュ英語が、背後から降ってきた。紅茶のポットを持ったシャーロットだ。
(ああ……やっぱり、日本語じゃなくて実家の英語を聞くと落ち着きますわね)
カレンは母国語の響きにホッと息を吐きながら、英語で返答した。
「ええ、まあ。思いのほか楽しかったわ」
ふと、カレンの中に小さないたずら心が芽生えた。
スマートフォンを操作し、今日原宿で撮った記念画像を画面に表示させる。
「ねえ、シャーロット。今日、学校のお友達と記念撮影をしてきたのよ。見てちょうだい」
「まあ、お嬢様が日本の平民と写真など……どれどれ」
シャーロットがティーカップを置き、カレンのスマホを覗き込んだ。
その瞬間。
ピシッ、とシャーロットの全身が石像のように固まった。
画像には、満面の笑みで『顎の下にVサイン』を作っている東洋人の二人。そして、そのど真ん中で、カレンが『舌を出して』いる姿が収められていた。
「お、お、お、お嬢様ーーーー!?」
いつもは氷のように冷徹なシャーロットが、顔を真っ赤にして凄まじい悲鳴を上げた。
「ななな、何をやっているんですか!? はしたない! あまりにもはしたないです!! イギリスのレディが、こんな公衆の面前で……っ!!」
「あははははっ!」
カレンはお腹を抱えて大笑いした。
「違うのよ、シャーロット。原宿で彼らに『日本ではこれが流行りの可愛いポーズだから』って言われて、仕方なく合わせてあげたのよ(私はやってないけれど)」
それを聞いたシャーロットの顔から、一瞬で表情が抜け落ちた。
そして、見事なブリティッシュ英語の発音で、ドス黒い怒りと共に汚い言葉を吐き捨てた。
「あの忌々しいイエローモンキーどもめ……! 我らがエンフィールド家の至宝たるお嬢様に、あんな猥褻なサインを強要するとは……っ! 万死に値します!!」
シャーロットが本気で殺し屋でも手配しそうな勢いだったので、カレンは笑い涙を拭いながらなだめた。
実はあの後、原宿で写真を撮り終えたカレンは、三人にちゃんと注意を促していたのだ。
『お願いですから、そのサインは日本以外では絶対にやらないでくださいね』
『えっ? なんで?』
『ピースサイン……人差し指と中指のV字は、海外では「女性の脚」に見立てられることがありますの。それを顎の下に配置する、あるいはそこに舌を出すということは……つまり、女性器を舐めるという非常に卑猥で侮辱的なサインになりますのよ』
その言葉を聞いた瞬間、凪沙たちは顔をボンッ!とトマトのように真っ赤にして絶叫し、その場で崩れ落ちていた。純情な春一に至っては、あまりの恥ずかしさに口から魂が抜けかけていたほどだ。
(あの時の三人の顔を思い出したら、今でも笑えますわね)
カレンはフフッと微笑みながら、テーブルの上に置かれた完璧なローストビーフへとナイフを伸ばした。
異国の文化の壁と、奇妙な友情。
波乱含みの極東の生活は、カレンにとって思いのほか退屈しないものになりつつあった。
既に作品出来上がっているので、なるべく毎日投稿を心がけます。




