part 2
お昼休み。
食堂のテーブルで、カレンは今日、日本の和食定食を前にしていた。
お箸の使い方は相変わらず壊滅的だったが、周りの目もあるため、懸命に二本の細い棒を操ろうと奮闘していた。
「カレンちゃん、お箸少し慣れてきたみたいだね」と凪沙が嬉しそうに見守る中、カレンはツルツルと滑る豆腐を前に悪戦苦闘していた。
何度やっても豆腐は崩れ、箸の間から逃げていく。
次第にイライラが頂点に達し、カレンは思わず小さく舌打ちをした。
「This Asian shit food called tofu is so hard to eat...」
(この豆腐というアジアのクソ食べ物は食いにくいですが……)
苛立ちのあまり、無意識のうちに英語で悪態をついてしまった。
凪沙は言葉の意味がわからずキョトンとしていたが、向かいに座る美鈴の眉がピクリと動いた。美鈴は英語を完全に理解できたわけではないようだが、その声のトーンと選んだ単語から、決して好意的な発言ではないこと、そして令嬢にふさわしくない汚い言葉が混ざっていたことに気づいたようだった。
「あっ……」
うっかり本音を漏らしてしまったことに気づき、カレンは慌てて笑顔を取り繕う。
「お豆腐というのは、お箸で掴むのが本当に難しい食べ物ですわね、と申しましたの。日本の皆様はこれを器用に召し上がっていて、本当に尊敬いたしますわ」
なんとか誤魔化し切り、カレンは冷や汗をかきながら昼食を終えた。
お昼を早々に食べ終えたカレンは、美鈴たちと別れていつものように一人で屋上へと向かった。
階段を上りきり、施錠されている屋上の扉の前で立ち止まる。カレンはポケットからヘアピンを取り出すと、慣れた手つきで鍵穴に差し込み、ほんの数秒のピッキングであっさりと扉を開けてしまった。
誰もいない、風の吹き抜ける屋上。
コンクリートの塀に寄りかかり、カレンは制服のポケットから煙草を取り出して火をつけた。
「ふぅ……相変わらずお嬢様として皮を被るのは、肩身が狭いわね」
紫煙を空に向かって吐き出しながら、遥か遠くのイギリス本国での日々を思い出す。
十五歳くらいまでは、本当にエンフィールド家の令嬢として厳しく育てられていた。武器商人という家業柄、周囲の人間は政界の重鎮だったり、裏社会の大物ばかり。そんな彼らが集まるパーティーに駆り出されては、愛想笑いを浮かべて良い顔を見せなければならなかった。
あの息の詰まるような家の空気が嫌で嫌でたまらなかった。
その反動で、裏の偽造屋に頼み込んでバイクの免許を作ってもらったのがすべての始まりだった。真夜中に家を抜け出し、バイクで爆走してポリスとカーチェイスを繰り広げるスリル。それだけが、カレンにとって唯一の自由を感じられる時間だったのだ。
ガチャリ。
不意に、背後から屋上の扉のドアノブが回る音が聞こえた。
カレンは慌てることなく、手元の煙草を隠しながら振り返らずに言った。
「あら、ごめんなさいな。先客として使わせてもらっていますので。他を当たってくださる?」
しかし、カレンの言葉を無視するように、ガチャガチャと鍵を開錠する金属音が響いた。
(なぜ? 私はピッキングで開けたあと、外から見えないように内側から鍵を戻しておいたはずなのに)
カレンが驚いて振り返ると、ゆっくりと開いた扉の向こうに立っていたのは、秋山美鈴だった。
「あれ、カレンさん?」
美鈴は手にある金属の鍵をジャラリと鳴らしながら、目を丸くしてカレンを見た。
「びっくりしたよ。屋上のカギは職員室にあったから、先生に理由を言って借りてきたんだけど……なんでいるの?」
カレンは表情を一切崩さず、静かに答えた。
「なぜか開いていましたの。少し風に当たりたい気分でしたから、ちょうどいいと思って」
美鈴はカレンの言葉を信じていないように、ゆっくりと扉を閉めて屋上の中へと歩み寄ってきた。そして、カレンの周囲にまだ微かに漂っている煙草の煙に気づき、静かに息を吐いた。
「あなた、猫かぶっているでしょ」
美鈴の声は、いつもの明るいクラスメイトのものではなく、刑事の娘としての鋭さを帯びていた。
「しかも中身は、とんでもない猛獣」
カレンは黙って美鈴を見据えた。
美鈴は一歩ずつカレンに近づきながら、自分が気づいたポイントを並べ立て始めた。
「最初に違和感を感じたのは、あなたが転校してきた初日。香水で隠しているつもりみたいだけど、身体からわずかに、さらには髪の毛から煙草のニオイが若干していた。髪の毛に染み付いた煙草のニオイは、そう簡単には誤魔化しにくいものよ」
カレンは反論せず、ただ静かに聞き続ける。
「そして、体育の時間。あなたは身体が弱いという理由でいつも見学している。でも、あの重いロイヤルエンフィールドのバイクに乗っているのに、健康じゃないなんて明らかに矛盾が生まれるわ」
美鈴は最後に、決定的な言葉を口にした。
「最後は、最近の噂よ。夜の繁華街で謎のバイクが暴走しているっていうあの噂。あれは、あなたがこの街に転校してきた直後から聞こえるようになった。偶然にしては出来すぎているわ」
美鈴はカレンの目を真っ直ぐに見つめ、断言した。
「あなたは、例の黒いライダーでしょ?」
風が屋上を吹き抜け、二人の間の沈黙をさらう。
カレンはフッと肩の力を抜き、上品な、しかしどこか冷ややかな笑みを浮かべた。
「美鈴さん、探偵ごっこはそこまでにしてくださる? お父様が刑事だからといって、想像力が豊かなのは結構ですけれど」
カレンは一歩前に出て、美鈴を見下ろすように毅然とした態度をとった。
「私がそんな暴走行為をする不良に見えますの? ただの状況証拠と偶然をこじつけているだけですわ。私を疑うのなら、決定的な証拠を持ってきてからになさって」
惚け通すカレンに対し、美鈴はジロリと鋭い視線を送った。
「……正直、あまりこの国で自分勝手に暴れないでほしいわ」
美鈴のトーンが、追及する側から、純粋な友人としての響きへと変わった。
「それに、私の友達が逮捕されるところなんて、見たくない」
カレンは少しだけ目を見開いた。
「私は、あなたが捕まっても自業自得だしまあいい気分じゃないけど、それでも仕方ないって思っているわ。だけど……凪沙は違うわ」
美鈴の言葉に、凪沙の純粋で屈託のない笑顔が脳裏をよぎる。
「あの子は、あなたを本当のお友達として思っているわ。あなたがイギリスから異国の地の日本に引っ越してきて、一人で不安なんじゃないかって、ずっと心配していたわ」
美鈴は少しだけ俯き、自嘲するように笑った。
「それにね。今日の今朝、廊下で私があなたを犯罪者かもしれないって疑うような発言をしたら、凪沙に本気で叱られたのよ。あの子は、あなたのことを欠片も疑っていない」
胸の奥に、チクリと冷たい針が刺さったような感覚を覚える。
「あなたがイギリスでどんな過去を持っているのかは、私にはわからない。でも……」
美鈴は顔を上げ、もう一度カレンを真っ直ぐに見た。
「私たちは、あなたをお友達だと思っているから。それは忘れないで」
そして、静かに付け加えた。
「凪沙を悲しませないで」
それだけを言い残し、美鈴はくるりと背を向けて、屋上の扉を開けて去っていった。
バタン、と重い金属の扉が閉まる音が響く。
一人残されたカレンは、しばらくその場から動くことができなかった。
胸の奥で渦巻く複雑な感情。それは、今まで誰にも踏み込まれたことのない領域に土足で踏み込まれた怒りなのか、それとも、自分を真っ直ぐに信じてくれる存在に対する戸惑いなのか。
カレンは苛立ちに任せて、手の中に隠し持っていた煙草を携帯灰皿に乱暴に押し付けた。
閉ざされた扉を睨みつけ、ブリティッシュ英語で冷酷に吐き捨てる。
「What a fucking island monkey!」
(なによ、あの島国の猿!)
その声は空虚に響き、春の生ぬるい風に溶けて消えていった。
既に作品出来上がっているので、なるべく毎日投稿を心がけます。




