プロローグ
イギリス郊外に広大な敷地を構えるエンフィールド邸。その歴史を感じさせる重厚な石造りの洋館の一室——当主の書斎にて、重苦しい沈黙が流れていた。
最高級の葉巻の香りが漂う部屋の中央で、巨大なマホガニーのデスク越しに鋭い視線を放っているのは、英国紳士を絵に描いたような初老の男、ジョン・エンフィールドである。
「……カレン。私がなぜお前をここに呼んだか、わかっているな?」
静かだが、確実に怒りを孕んだ低い声。
しかし、その声の矛先を向けられた少女は、悪びれる様子もなく退屈そうにため息をついた。
「さあ? まったく見当もつきませんわ。お父様も暇ですのね」
少女の名はカレン・エンフィールド。今年で17歳になる。
光を湛えた美しいプラチナブロンドの髪に、誰もが振り返るような黄金比の整った顔立ち。一般的に見ても、かなり魅力的な部類に入る美人である。黙ってドレスでも着ていれば、社交界の華になっていたことは疑いようがない。
だが、現在の彼女の出で立ちは「令嬢」という言葉から最も遠い場所にあった。
上質な生地で作られたはずの服の上には、使い込まれた黒のライダースジャケット。目は太く強調されたアイラインで縁取られ、鋭く挑発的だ。両耳には何個ものピアスがジャラジャラと揺れ、形の良い唇にも一つ、シルバーのピアスが光っていた。
さらに言えば、ライダースの長袖に隠れて今は見えないが、彼女の両肩から腕にかけては、黒一色で彫り込まれた禍々しい薔薇と茨のタトゥーがびっしりと刻まれている。
「しらばっくれるな」
ジョンはデスクの上に、分厚いファイルの束をドサリと投げ出した。
「お前の『夜の課外活動』の報告書だ。夜中に屋敷を抜け出してバイクで爆走し、ポリスとカーチェイスを繰り広げた挙句、捕まりそうになったらスタンガンで眠らせる……。それだけではない。カジノや裏街のクラブに入り浸って仲間たちと酒やタバコを嗜み、性に奔放に男漁りや火遊びの限りを尽くしているそうだな!」
「あら。若いうちの経験は買ってでもしろと、昔の偉い人も言っていたはずですわ」
「限度というものがあるだろうが!」
ジョンはついに声を荒らげた。
「そもそも、お前はまだバイクに乗れる年齢ではない! 乗りたいからといって偽造屋に頼んで偽造免許を作らせたばかりか、裏ルートでバイクを仕入れるなど言語道断だ! 今回、その偽造免許が発覚したせいで、これまでの余罪が芋づる式に私にバレたんだぞ!?」
カレンは少しだけ「チッ」と舌打ちをした。
偽造屋の腕が甘かったのだ。あとでシメておかねばなるまい。
「しかも、勝手に両肩にそんなタトゥーを入れおって……イギリスの法律でも完全にアウトだろうが!」
「芸術への理解が足りませんわね、お父様。これは私のアイデンティティですの」
飄々と返すカレンに、ジョンはこめかみをヒクヒクと引き攣らせた。
エンフィールド家は、代々続く世界有数の武器商人の家系である。表向きは巨大な軍需産業貿易会社として、世界中に強大な影響力と莫大な資金力を持っていた。
今回の一連の騒動——偽造公文書行使から数々の非行に至るまで、カレンに一切の「犯罪歴」がついていないのは、ひとえにエンフィールド家の権力と賄賂という芸当のおかげである。
金の力で揉み消すのは造作もないことだが、娘の非行をこのまま放置しておくわけにはいかない。
「少しは反省の意を見せたらどうなんだ。……決めたぞ、カレン。お前を東アジアの『日本』へ島流しにする」
ジョンが冷徹な当主の顔を取り戻して宣告すると、カレンは目を丸くした。
「はあ!? 嫌ですわ! なんで私が、イエローモンキーが住んでいるような島国に飛ばされなきゃならないんですの!?」
「言葉を慎みなさい。お前の愛する兄、ジャックの妻は日本人だぞ。少しは仲良くできないのか」
呆れたように言う父の言葉に、カレンは顔を顰めた。
優秀で優しい自慢の兄、ジャックの妻が日本人であることは知っていた。だが、カレンは彼女に一度も会ったことがないし、異国情緒を理解する気もなかった。
「お兄様はお兄様、私は私ですわ! なぜ私がそんな未開の地で修道女のような生活を強いられなきゃならないんですの! お断りしますわ、私は出かけます!」
これ以上話しても無駄だと悟ったカレンは、くるりと踵を返して書斎のドアに向かって走り出した。彼女の運動神経ならば、屋敷の警備員を振り切ってガレージからバイクを奪うことなど容易い。
しかし。
「シャーロット」
ジョンが短く命じた瞬間、ドアの影から音もなく一人の女性が姿を現した。
二十代半ばの、洗練された身のこなしの女性。エンフィールド家に代々仕え、世話をしてくれている家系に生まれた、カレンのお世話係であるシャーロットだ。
「どきなさい、シャーロット!」
カレンは強行突破を図ろうとしたが、シャーロットは涼しい顔でその動きを読み切ると、流れるような動作でカレンの両腕を後ろ手に縛り上げ、あっという間に拘束してしまった。
「痛っ、ちょっと、放しなさい!」
「申し訳ございません、お嬢様。当主様のご命令には逆らえないんです」
一切の感情を交えないプロフェッショナルな声とともに、シャーロットは暴れるカレンを容赦なく廊下へ引きずり出していく。
「嫌ですわ〜! 日本に行ったら、あの名店のケバブサンド食えなくなりますわ!!」
カレンの悲痛な——そして非常に的外れな叫び声が、広い屋敷の廊下にこだましていく。
「……」
後に残された書斎では、ズキズキと痛む頭を深く押さえる父・ジョンの姿だけがあった。
既に作品出来上がっているので、なるべく毎日投稿を心がけます。




