Ⅲ
この世界には『魔法』というものが存在する。その動力は人間の体内で生成される『魔力』であり、個人差はあれど、人は誰しもがその力を持って生まれる。
古代の人々は膨大な魔力を有し、その力を持って国を繁栄させたと言われているが、時代の流れと共に、人々の魔力量は減少の一途を辿り、今ではほんの一握りの人間にしか魔法は扱えなかった。とは言え、それも大昔の魔導士と呼ばれた者達と比べれば、雀の涙程度のものだという。
何故魔法は衰退していったのか。一説には、争いの種にもなった魔法の存在を失くそうとした人々の意思がそうさせたとか何とか……これらの話は、王立学校で最初に学ぶ基礎知識だ。
今ではもうほとんどの人間が魔法を使えなくなった時代ではあるが、魔力そのものが消えたわけではでなかった。
微力ながらにも体内で生成される魔力は、生まれた時にその器が決まり、その後増やすことはできないと言われている。魔法の素質がない大多数の者にとっては、なけなしの魔力ではあっても、ないも同然だと思われていた。
しかし、ある道具の開発により、それは人々が豊かに暮らして行く上で必要不可欠の存在へと形を変えて行った。
それが『魔道具』という存在だ。
魔道具は今や日常生活の中で至る所に活用されている。それらに自分の魔力を流し込めば、あらゆる面で役立つ機能が施されていた。
例えば、ある一定の魔力を溜めておける道具があったとする。すると蓄積された魔力が動力源となり、誰であっても疑似魔法のようなものが発動できるようになるという仕組みのものだ。これにより、ろうそく要らずで灯りを点けたり、食べ物を腐らせないよう冷凍保存させたり……と、様々な活用方法が用いられた。
もちろん、これらは悪用されないよう、溜めて置ける魔力の量や期間などは制限されている。あくまでも、暮らしを豊かにする補助道具として、人々の生活の一部に浸透して行ったのだった。
そんな魔道具は、商売をする上で今や欠かせない存在である。業務用ともなれば多少値は張るが、効率や衛生面を考えると導入しない手はない。下町の有名でも何でもない洋菓子店にだって、一通りの道具は揃っている。それほどまでに人々の生活に魔道具は根付いていた。
今の時代、魔力は量ではなく、それを如何にコントロールするかが重要視されている。料理人ともなれば、その繊細さが問われる。
どんなになけなしの魔力であろうと、上手く扱えてさえいれば、それだけで食材の味を存分に引き出すことが可能だからだ。逆を言えば、菓子職人としてやっていくためには、その緻密な魔力操作が絶対条件でもあった。
ロルフもその例外ではない。
十人並みの魔力を持って生まれたロルフは人よりも少しだけ器用であったが、それだけでやっていけるほど、菓子職人の道は甘くはなかった。
何の才能も持たないロルフは、来る日も来る日も努力を重ねることで足りない技量を補い、腕を磨き続けた。
菓子作りに没頭するあまり、社交性の欠落した人間になってしまったが、元々人好きのする顔立ちではなかったので、まぁそれでもいいか……と半ば開き直って励んでいた。
その甲斐あってか、ロルフの腕前は年齢の割に、随分と長けたものへと成長を遂げた。それは魔力操作の腕を含め、ロルフの作り出す菓子は顏に似合わず繊細だと、周りから笑って揶揄われるほどに。
褒められていることも認められていることもロルフ自身分かってはいるのだが、一言余計だ、と言って返すのが常だった。(ノアに言わせれば、これは照れ隠しである)
――そんな菓子職人の道一筋に生きてきたロルフにとって、未来の義妹(仮)が引き起こしたアクシデントは、己の常識をあっさりと踏み越えていくものだった。
さすがはノアが連れて来た相手、と言うべきか。
菓子作りに失敗はつきものだ。
温度、湿度、分量、手順――ほんのわずかな狂いが仕上がりを左右する繊細な世界である以上、それは避けがたい。
だが、クレアのそれは違った。
単なる不器用さでは説明がつかない。偶然の連続でもない。まるで、目に見えない何かが彼女の手元を狂わせ、菓子作りそのものを拒んでいるかのようで――
ロルフは静かに目を細める。
これまで積み上げてきた知識と経験を一つ一つ掘り起こし、原因を探る。
そしてやがて、胸の奥に一つの仮説が浮かび上がった。
「クレア。君に、聞きたいことがある」
「え!?」
ロルフは真剣な表情でクレアに向き合った。
クレアは酷く驚いた様子でロルフを見上げる。そしてロルフの次の言葉を緊張した面持ちで待っていた。
「魔力量が人より多いと、言われたことはないか?」
「……へ?」
ロルフの唐突な問いに、クレアは気の抜けたような声を発した。
そんなことを聞かれるとは思っていなかったであろうクレアは、どこか気まずそうにする。
「え、えっと……特には……学校の魔力測定では、いつも平均値です……」
たどたどしくも、クレアはそう答えてくれた。
「あ、でも私、よく物を壊しちゃうんですよね……道具音痴、というか……魔力測定器も壊したことがあって、先生を酷く困らせた思い出が……」
「っ、それだ!!!」
「っ!?!?!?」
ロルフは思わず、クレアの両手を握り締めた。
菓子作りで、ようやく理想を再現できたかのような、そんな感覚に陥ったが故の行動だった。
はっと我に返ったロルフの目の前には、石のように固まってしまったクレアの姿。
ロルフは慌てて手を離した。
「す、すまない! その、思わず……!」
「い、いえ……! 全然、全ッッッ然大丈夫ですっ……!」
必死に首を横に振るクレアの姿に、ロルフは申し訳ない気持ちになった。
また怯えさせてしまった……と反省するが、恐らくこれからもっと、彼女を傷つけるような言葉をロルフは口にしなければならなかった。
その問いの答えが、クレアの料理が上手くいかない、根本的理由に繋がっているかもしれないと――だから、聞かずにはいられなかったのだ。
「その……答えにくかったら別にいいんだが……」
「?」
「もしかして、血縁者に外国人がいたりするか……?」
「え……?」
――この国はかつて、他国の支配下にあった。
とは言えそれはもう何百年以上もの前の話。今ではお互い対等な関係で渡り歩いている。しかし、それでも人々の負った傷や痛みは簡単に消えるはずもなく、今でもこの国では遺恨の目で、他国を忌み嫌う風習が少なからず存在していた。
そのため、他国と繋がりのある者はそれを大っぴらに告げることはしないし、匂わすこともない。むしろ隠して生活しているのが現状だった。
それ故に、ロルフがした質問は、かなりタブーな内容だったと思う。
ロルフとしては、クレアがどこの出身であろうと全く気にしないのだが、クレアもそうだとは限らない。
場合によってはハラスメントだなんだと訴えられても可笑しくはないし、好きな人の兄がこんな失礼な奴だと失望されてしまったら、ノアに申し訳が立たない。
クレアの反応に、ロルフの全神経が集中した。
「――どうして、分かったんですか?」
クレアの声は、存外明るかった。
「私の祖母は、海の向こうの大陸出身なんですよ!」
あまりにも素直に、すんなりと答えが返って来てしまい、ロルフは拍子抜けした。
クレアが傷ついた様子はなく、全てが杞憂で終わったのは良いことなのだが……逆に心配するレベルの無邪気さだった。
「今の、不快に思わなかったのか……?」
「どうしてですか?」
「どうして、って……」
「だって私、おばあちゃんのこと大好きなんです!」
クレアは満面の笑みをロルフに向けた。今日一番のクレアの表情に、ロルフは釘付けになった。
「実は、エクレアを作りたいと思ったのも、祖母がきっかけなんです。この国に来て初めて食べたのがエクレアだったそうで……祖父との出会いもその時らしく、エクレアは恋の味よ!ってよく言ってました。当時の私はその意味がよく分からなかったんですけど、いつか私も好きな人と一緒にエクレアを食べたいなぁって思うように……あ、あれ? どうかしましたか?」
「大丈夫だ、何でもない」
話しの途中であまりにも不自然にロルフが天井を見上げたため、クレアに突っ込まれてしまった。
目頭が熱くなってしまったと正直に言えるはずもなく、ロルフはそんな自分を知られたくなくて、腕を組み、ほんの少し考えている振りをした。
そして誤魔化すかのように口を動かす。
「それじゃあ、絶対成功させないとな」
「上手くいくでしょうか……?」
クレアの瞳が不安に揺れる。
そんな表情は、彼女には似合わないとロルフは思った。
「大丈夫だ、もう失敗しないはずだから」
「え?」
「原因が、分かった」




