女王の行進、あるいは積年の報い
カイルに導かれたその歩みは、もはやエスコートではなく、反逆者を跪かせるための「行軍」であった。
会場中の視線が突き刺さる中、カイルはあえて一箇所、エレーナにとって最も因縁深い場所で足を止めた。そこにはヴァルクレイ侯爵と、エレーナをを「化け物」と呼び、5歳の冬に雪の中へ放り出した継母イザベラとクロードをつれたフェミリアと第3王子のジュリアスの姿があった。
カイルはエレーナの腰を引き寄せ、その白い耳元で、冷徹で甘い声を囁いた。
「……マチルダたちに仕込まれた成果、ここで見せてみろ」
その言葉が合図だった。
その瞬間、エレーナの背筋は凍てつくような美しさで伸び、その瞳は女王の威厳を宿した。
「お久しぶりです、お母様。……あの日、雪の中で『化け物』と呼ばれた私からの、精一杯のお返しを受け取ってくださいね」
凛とした声が響く。イザベラは、かつての「弱々しいゴミ」だと思っていた娘が、帝国の第一王子に抱かれ、伝説の師たちを従えて現れた現実に、顔を醜く引きつらせた。
「……っ、エ、エレーナ……! 調子に乗って、その口を……!」
イザベラが屈辱のあまり、人前であることも忘れて扇を振り上げようとしたその時。
マチルダ様が、まるで陽光を遮る黒雲のように、静かに、そして圧倒的な威圧感を持って立ちはだかった。
「……ふふ。相変わらず下品だこと」
マチルダ様は扇を閉じ、その先端でイザベラの派手すぎるドレスの胸元を、汚いものを見るかのように軽く示した。
「夫を唆し、幼子を雪原に捨てたその浅ましさ……。少しはマシになったかと思えば、公衆の面前でその形相。まるで市場で値切る平民の老婆のようですわよ?」
「なっ……! マチルダ様、それはあんまりですわ!」
イザベラが声を荒らげるが、マチルダ様の追撃は止まらない。彼女の瞳は笑っていない。
「あら、図星かしら? ヴァルクレイ侯爵家は、いつから教育を放棄なさったの? 貴女のその落ち着きのない視線、品性の欠けた立ち居振る舞い……。そんな母親に育てられたから、あちらの娘さん(フェミリア)も、あんなに『卑しい目』で他人の婚約者に縋り付いているのでしょうね」
マチルダ様は、クロードの腕にしがみついているフェミリアを一瞥し、鼻で笑った。
「血は争えないものですわ。……エレーナがロズレイド家で、本物の気品を学んでくれて本当に良かった。貴女のような方の色に染まっていたらと思うと、社交界の損失ですもの」
「くっ……う、ああ……!」
イザベラは顔を真っ赤にし、わなわなと震える。反論したい。だが、相手は皇帝すら一目置く「社交界の女王」マチルダだ。彼女に睨まれることは、帝国中の貴族から背を向けられることを意味する。
「さあ、どきなさいな。貴女の放つ『悪臭』が、当家のエレーナのドレスに移りますわ」
マチルダ様が優雅に手で払う仕草をすると、イザベラはまるで見えない力に押されたかのように、よろよろと後ろへ下がった。
その様子を、カイルの胸に抱かれたエレーナが、冷徹なまでの静寂を湛えた目で見下ろしている。かつて自分を「化け物」と罵り、凍死させようとした女。その女が今、言葉一つで這いつくばっている。
エレーナの視線が、ふとクロードへ向く。
クロードは、自分の新しい「恋人」の母親が完膚なきまでに辱められているのを、助けることすらできず、ただエレーナの美しさに目を奪われていた。
カイルが、エレーナの視線を遮るように自分の指で彼女の顎をクイと上げた。
「……あんな無様な女を見るな。お前の目に映る価値があるのは、この俺だけだ」
カイルは、絶望に顔を歪めるイザベラをゴミのように一蹴し、エレーナを連れて最高位の席へと進む。
カイルたちが席に着くまでの間、会場の静寂は、すぐに貴族たちの囁き声へと変わった。
「見たか……あのマチルダ様の剣幕。ヴァルクレイ侯爵家はもう終わりだな」
「それより、カイル殿下だよ。バルバトスでの外交を投げ出してまで戻ってくるとは……エレーナ嬢への執着、並大抵じゃないぞ」
「クロード殿下はどうなる? ただでは済まないだろう」
囁きはさざ波のように広がり、クロードとフェミリアを孤立させていく。彼らの周囲だけ、まるで空間が歪んだかのように誰も近づこうとしない。
そこへ、辺境伯令嬢のゼルダが、優雅に(そして非常に攻撃的に)割って入った。
「まぁ、本当に皆様仰る通り。でも一つだけ訂正して差し上げるわ。……『終わり』なのはヴァルクレイ侯爵家だけじゃないわよ。……ねえ、殿下? 素敵な婚約者がお隣にいて、さぞかしお幸せそうですこと。……でも、その幸せ、あと数分しか持たないみたいですわよ?」
「ゼルダ……! 貴様、不敬だぞ!」
クロードが声を荒らげるが、ゼルダは鼻で笑った。
「不敬? あら、本当の不敬がどんなものか、今からお見せしましょうか? ……ほら、あそこの扉の向こう側から、とてつもない『死神の気配』がしているでしょう?」
ゼルダが指し示した巨大な扉の向こう側。
そこには、今まさに帝国の最高権力が集結していた。
控え室から出てきた皇帝陛下は、怒りで青白くなった顔を隠そうともせず、帯剣した腰に手を当てていた。その隣には、悲しみを怒りに変えた王妃エミリア様。
そして、その中心。
皇太后リサーナ様が、愛用の扇を閉じ、扉の取っ手を見据えていた。
「文官。……準備は整ったかしら」
「は、はい! リサーナ様。すべて、書き換えいたしました!」
震えながら答える文官の言葉を、リサーナ様は聞き流した。彼女が見ているのは、扉の向こうにいる「裏切り者の孫」と、彼に寄り添う「毒婦」の姿だけだ。
「よろしい。……我が愛しきエレーナをゴミと呼んだ報い。……帝国の歴史に残るほどの絶望を、あの子供たちに与えてやりましょう」
リサーナ様の一言を合図に、ファンファーレが鳴り響く。
だがそれは、祝祭の始まりではない。
それは、終わりを告げる、処刑の鐘の音であった。
――扉が、ゆっくりと、そして重厚に開かれる。
会場のすべての貴族が、そしてカイルに抱かれたエレーナが、その光の先を凝視した。
そこに現れたのは、もはや慈悲など微塵も持ち合わせていない、帝国の「正義」そのものだった。




