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• 『社交界の華は、影に咲く毒。〜私を捨てた世界、すべてお返しいたします〜』  作者: YOLCA
第5章 帝国の女王-覚醒-

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獅子に願う「牙の研ぎ方」

帝国アカデミーの回廊を吹き抜ける風は、春だというのに氷のような冷たさを孕んでいた。あの日、第3王子ジュリアスが放った心ない言葉のつぶては、今もエレーナの耳の奥で嫌な音を立てて響いている。しかし、エレーナの瞳に涙はなかった。あるのは、自分でも驚くほど冷徹な、自らへの問いかけだけだった。

(私は、いつまで守られるだけの『至宝』でいるつもりなの?)

エレーナは、自分の前を歩く広い背中を見つめた。第2王子にして、アカデミーの生徒会長、クロード。彼はジュリアスの暴挙を誰よりも早く察知し、傷ついたエレーナを連れ出した。クロード自身、まだその感情が「愛」であることに無自覚だったが、エレーナの尊厳を汚す者に対して抱く苛烈な怒りは、もはや王族としての義務を遥かに越えていた。

「クロード様……」

エレーナの呼びかけに、クロードは足を止め、振り返った。その瞳には、彼女を壊れ物のように案じる、隠しようのない慈愛が宿っている。

「お願いがあります。私を、今すぐお祖母様……リサーナ皇太后様のもとへ連れて行ってください。貴方の手助けが必要なのです」

クロードは一瞬、エレーナの瞳に宿る異様な気迫に息を呑んだ。だが、彼女が何か大きな決意を固めたことを悟ると、静かに、けれど力強く頷いた。

「分かった。……私の影に隠れて。王宮の夜道は、私の庭のようなものだ。君を傷つける者には、鼠一匹通らせない」

皇太后リサーナは、私室で飲みかけていたお茶を置き、現れた孫娘と、彼らを案じるように一歩後ろに控えるクロードを、静かに迎え入れた。

「……お祖母様。お願いがあります」

エレーナは深々と頭を下げた。

「私を、完璧な『女王』にしてください。誰にも指一本触れさせず、言葉一つで敵を跪かせる……本物の、残酷な女王に」

リサーナは長く、重い溜息をついた。

「エレーナ……。その覚悟があるなら、もう隠し通すことはできないわね。…運命はそ待ってくれないようですわね」

リサーナは立ち上がり、窓の外の暮れなずむ帝都を眺めた。

「貴方の実の父親……ロイス伯爵のことよ。……貴女がヴィンセントに拾われ、この屋敷で初めての春を数え終えた頃。つまり、あの日から一年半が過ぎた頃……。お父様は、隣国との困難な外交任務を命懸けで完遂し、この帝都へ生きて帰国していたのよ」

エレーナの心臓が、ドクンと大きく跳ねた。「……帰ってきていた……?」

「ええ。けれど、彼を待っていたのは――イザベラが仕組んだ地獄だった。彼女は伯爵に『エレーナは流行り病で死んだ』と偽り、偽の墓を見せつけたの。最愛のルチアが命懸けで遺した貴女までも失い、お父様は魂が抜けたようになってしまったわ。仕事も手につかず、ただ廃人のように貴女の名を呼ぶばかりで……」

リサーナの瞳に激しい怒りの炎が宿る。

「そしてイザベラという女は、そんなボロボロになった伯爵をゴミのように捨てたのよ。あろうことか、ロイス家の資産を奪い取り、ヴァルクレイ侯爵と結託して、彼の後妻として収まった。……絶望したお父様は、そのまま行方不明になったわ。今も世界のどこかで、貴女がこの世にいないと信じたまま、彷徨っているはずよ」

エレーナの視界は、怒りで白く染まった。父を絶望の淵に突き落とし、壊れた彼を捨て、奪った金で仇の妻になる。イザベラという女が犯した罪は、もはや万死に値した。

「エレーナ。お父様を見つけ出し、その魂を救う道はただ一つ。貴女が帝国中にその名が届くほどの光を放つこと。……行きましょう。牙を研ぐための、最高の場所へ」

夜の森を抜けて辿り着いたのは、帝都郊外のローゼンベルク邸。

「マチルダ! 開けなさい! 貴女の力が必要なのよ!」

その声に導かれ、重い扉が開く。

「相変らず強引なお方ですわね!」

マチルダの瞳は、数年ぶりの外界の光を拒むように細められていたが、リサーナの傍らに立つ少女――エレーナを見た瞬間、手に持っていた扇子を落とした。「……っ!? ……ル、チア……?」

リサーナがすべての非道を語る。マチルダの瞳に、極寒の炎が灯った。

「……いいでしょう。陛下、私は今すぐロズレイド公爵邸へ住み込みます。ルチアの娘を、帝国の女王に仕立て上げるために。……ただし、一つ条件があります。この子は学校に通わせなさい」

マチルダは不敵に笑う。「学校という『小さな社交場』は、女王にとって最高の演習場よ。そこで隙を見せず、敵を翻弄する術を学ばせるわ。……クロード殿下、貴方が毎日この子を迎えに来なさい。登下校の時間は、この子を外部の毒から守る『盾』となりなさい」

クロードは即座に応じた。「……望むところだ。彼女の登下校は、私が責任を持って守り抜こう」

その日の深夜。ロズレイド公爵邸。公爵ヴィンセントが玄関で一行を出迎えた。マチルダはヴィンセントを一瞥し、言い放つ。

「ヴィンセント、挨拶は不要よ。……伯爵が生きて戻られた時、この子が胸を張って『お父様』と呼べるよう、私が責任を持って指導するわ。貴方はただ、私たちの盾になりなさい。いい? この二年間、社交界からはエレーナを隠すわ。表舞台に出るのは、二年後のデビュタントの日よ」

マチルダはエレーナの手を引き、屋敷の階段を上り始める。

「いい、エレーナ。今日から昼はアカデミーで『守られる至宝』を演じ、夜はこの屋敷で『敵を屠る女王』への階段を上るの。二年後のデビュタントの日、イザベラが勝利を確信しているその瞬間に、死の淵から蘇った真実の女王として、あのアマの喉元を食いちぎるのよ」

マチルダはエレーナの顎を持ち上げた。「……さあ、始めましょうか。まずは、その慈愛に満ちた瞳を捨て、敵を絶望させる『女王の眼差し』を身につけることからよ」

エレーナは、マチルダの瞳を見つめ返し、深く、静かに頷いた。「はい、マチルダ先生。……」


翌朝。公爵邸の門の前には、約束通りクロードが馬を寄せていた。

馬車に乗り込もうとするエレーナの背後から、低く、圧を孕んだ声が響く。

「……クロード殿下」

義父ヴィンセントが、鋭い眼光を湛えて玄関口に立っていた。彼は一歩踏み出し、クロードの前に立つと、冷徹な響きを含んだ声で念を押した。

「分かっているだろうな。エレーナは私の、ロズレイド公爵家の娘だ。だが、この二年間で彼女が受けるのは、私の愛だけでは到底及ばぬ修羅の道だ。……殿下、その覚悟はあるか?」

ヴィンセントはクロードの瞳を射抜く。

「学校へ通わせるのは実践訓練だ。登下校の道中、そして校内。彼女の心に余計な雑音を入れさせぬこと。……そして、貴公自身がその『雑音』にならぬことだ。分かっているだろうな? 彼女を傷一つなく夕刻に連れ戻せ。それが出来ぬなら、二度とこの門を潜らせん」

それは、血は繋がらずとも、この手で守ると決めた義父としての、そして一人の男としての、あまりに重い通告だった。

クロードは視線を逸らさず、短く、決然と答えた。

「……肝に銘じておきます。彼女の意志が成し遂げられるその日まで、私はただの『盾』であり続けると誓います」

伝説の女王マチルダによる「夜の教育」と、第2王子クロードによる「昼の守護」。

お父様を救い出すための、復讐と再生の「地獄の二年間」が、今、ここに幕を開けた。

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