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• 『社交界の華は、影に咲く毒。〜私を捨てた世界、すべてお返しいたします〜』  作者: YOLCA
第4章 至宝の覚醒-運命を塗り替えるまで

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断絶の序曲 ――獅子の帰還と、偽りの空

帝国アカデミーの春は、本来ならば至宝エレーナを囲む穏やかな光に満ちているはずだった。しかし、その平穏は一通の報せによって瓦解する。「第3王子ジュリアス、留学先より帰国」。

ジュリアスは三兄弟の中でも抜きん出た知性の持ち主であり、公爵ヴィンセントを誰よりも敬愛し、誰よりも家族を慈しんでいたはずの少年だった。だが、留学中の二年間、彼の元には「毒」が届けられ続けていた。送り主は、ロイス伯爵の後妻イザベラの連れ子として、エレーナと入れ替わるように伯爵家に入り込んだ少女、フェミリア・ヴァルクレイ。

彼女が綴る手紙は、常に一つの疑念をジュリアスに植え付けた。

『殿下、あの日、ロイスの屋敷に雪など降っておりませんでした。ヴィンセント公爵が連れてきたのは、至宝の名を語る、出所も知れぬ偽物です』

ジュリアスは当初、それを一笑に付していた。しかし、帰国の途上、王宮へ向かう彼をヴァルクレイ侯爵の使者が待ち受けていたとき、運命の歯車は狂い始めた。

「殿下。貴方様は真実を愛する方だ。ならば、公印の押されたこの記録と、当時の使用人たちの証言を、その目で確かめていただきたい」

手渡されたのは、魔導観測所が記録した「あの日」の気象図。そこには無情にも、帝都全域が快晴であったという偽りの記録が、偽造不可能とされる公印と共に記されていた。知性派であるがゆえに、ジュリアスは「記録」という客観的な数字を信じてしまった。叔父上への信頼と、目の前の証拠。その矛盾に苛まれながら、彼は王宮へ戻るよりも先に、己の目で「偽物」を暴くべくアカデミーへと直行したのである。

二、 皇帝の不審と、公爵の冷徹な眼差し

その頃、王宮の謁見の間では、重苦しい沈黙が続いていた。

「……ジュリアスがヴァルクレイの馬車に乗っただと?」

皇帝の声は低く、不機嫌を隠そうともしなかった。傍らには、息子の帰還を今か今かと待ちわびていた王妃エミリア、そして厳しい表情を浮かべた皇太后リサーナが控えている。

ヴィンセント・ロズレイド公爵は、表情一つ変えずに報告を続けた。

「我が家の精鋭部隊の報告によれば、殿下は昨夜をヴァルクレイ侯爵邸で過ごされ、今朝、登校時間よりも早くアカデミーに入られました。……それも、裏口から」

「あの子、何を考えているの……!」

エミリアが唇を噛む。最愛の息子が、なぜ、自分たちの元へ戻る前に、政敵であるヴァルクレイの元へ向かったのか。

「まずは我が家に帰って、母や祖母の顔を見るのが筋でしょうに!」

リサーナが扇子を鋭く閉じた。

「エミリア、行きますよ。アカデミーで、その『理由』とやらを直接問いただしてやります。ジュリアスが道を違えているのなら、この場で叩き直さねばなりません」

ヴィンセントは無言で道を空けた。その瞳の奥には、すでに「最悪の事態」を想定した冷徹な光が宿っていた。



アカデミーの学生食堂は、昼食時を前にして、異常な緊張感に包まれていた。

一般の生徒たちは遠巻きに事態を見守り、中央には、血の気の引いた顔で対峙する兄弟の姿があった。

「いい加減にしろ、エレーナ! お前は自分の嘘で、帝国を、そして叔父上を泥沼に引きずり込むつもりか!」

ジュリアスの怒声が、高い天井に反響した。その瞳は、留学前の穏やかさを失い、何かに取り憑かれたような鋭さを放っている。

「記録は嘘を吐かない。あの日、我が帝国は快晴だった。雪など一粒も降っていない。……お前が語る『雪の日の記憶』は、叔父上がお前に植え付けた偽りの物語だろう!?」

「……ジュリアス」

その言葉を遮るように、低い、しかし地を這うような重圧を持った声が響いた。

第2王子のクロードが、エレーナの前に立ち塞がっていた。

クロードの体躯は二年の間に一回り大きくなり、その肩幅は、後ろに立つエレーナを完全に隠しきっていた。

「……実の弟にこんなことを言いたくはないが、その薄汚い口を今すぐ閉じろ。それ以上エレーナを侮辱するなら、僕はこの場で、お前を王子とは見なさなくなる」

「どけ、兄上は、この女の嘘に騙されているんだ!」

「嘘を吐いているのは、お前にそのデタラメを吹き込んだやつだ!」

一触即発の空気。エレーナのすぐ後ろでは、侍女カミラが音もなく腰の刀に手をかけていた。彼女から放たれる殺気は、訓練された兵士ですら気絶させるほどに濃い。主人の許しがあれば、コンマ一秒で目の前の王子の喉元を切り裂く――その決意が、彼女の無表情な瞳に宿っていた。しかし、エレーナの「動くな」という無言の指示が、辛うじて彼女を繋ぎ止めていた。



リサーナとエミリアが食堂の扉を押し開けたのは、その瞬間だった。

「ジュリアス!! 何をしているのです!!」

エミリアの叫びが響く。だが、二人はその場に立ちすくむしかなかった。

そこには、クロードの背中から一歩、静かに踏み出したエレーナの姿があった。

彼女は、震えてはいなかった。

ジュリアスの激昂を受け、兄と弟が剣を抜かんばかりの状況にあって、エレーナだけが、澄み渡った泉のような瞳でジュリアスを見据えていた。

「ジュリアス様。貴方様がご覧になった『記録』には、何が記されていたのでしょうか」

エレーナの声は、驚くほど冷静だった。

「あの日、私を拾い上げてくださったお父様の掌の熱。冷たくなった私の頬に落ちた、雪のひとひらの感触。……それらは、貴方様が信じる紙の上の文字よりも、私にとっては遥かに重い真実です」

「……黙れ! 感傷で真実を塗り替えるな!」

「塗り替えてなどいません。……ジュリアス様。貴方様はあの日、あの場所にいらっしゃいましたか?」

エレーナの問いに、ジュリアスが言葉を詰まらせる。その背後で、フェミリア・ヴァルクレイが、勝ち誇ったような、あるいは楽しげな薄笑いを浮かべて状況を眺めていた。まだ誰も、その少女が放つ微かな「魔」の気配には気づいていない。

「私はあそこにいた。雪の中で、死を待っていました。……私を救ったのは、快晴の空でも、完璧な記録でもありません。……お父様が運んできてくださった、雪の中の奇跡です。誰が何を言い、どんな証拠を並べようとも、私は私の命に嘘を吐くことはできません」

エレーナは、一歩も引かなかった。彼女の全身から溢れ出すのは、守られるだけの「至宝」ではなく、自らのルーツと、自分を愛してくれたヴィンセントへの誇り。

扉の側でその光景を見ていた皇太后リサーナは、戦慄を覚えた。

エレーナの強さではない。ジュリアスの、あの異常なまでの執着。

「(……おかしいわ。あの子の知性は、こんなに脆かったかしら。まるで、何かに思考を固定されているような……)」

しかし、その疑念が確信に変わる前に、事態は最悪の決裂を迎える。



「……連れて行きなさい。二週間の謹慎です」

王妃エミリアの冷酷な宣告が食堂に響いた。

「ジュリアス。貴方は真実を求めたつもりかもしれませんが、その手段は暴力に等しい。……王宮の離宮にて、頭を冷やしなさい」

「母上! 祖母上! 貴方たちも騙されているんだ! この女は、ロズレイドと王室を食い潰す毒婦だぞ!!」

近衛兵に拘束され、引きずられていくジュリアスの叫びが、廊下に虚しく反響した。

残された食堂には、重苦しい沈黙と、壊れた家族の残骸だけが残った。

クロードは、去りゆく弟の背中を、憎悪の入り混じった瞳で睨みつけていた。

「……エレーナ、もういい。あんな奴の言葉、二度と聞かなくていい」

クロードはエレーナを抱き寄せた。その腕には、かつての優しい身内へのそれとは違う、何をも寄せ付けないという「狂気的な独占欲」が滲み始めていた。

「……お父様に報告する。エレーナを傷つける奴は、たとえ家族であっても僕が排除する」

エレーナは、クロードの腕の中で、ただ静かに目を閉じた。

彼女は気づいていた。ジュリアスの豹変の影に、フェミリアという名の少女がいることを。そして、その少女が、これから二年の歳月をかけて、この国と家族を、ゆっくりと、確実に蝕んでいくことを。

「……カミラ」

エレーナが、影のような侍女に囁く。

「……はい、お嬢様」

「これから二年間。……私は、誰にも負けない『至宝』になります。……お父様を守るために。そして、あの人を救い出すために」

カミラは無言で、しかし深く頭を下げた。

こうして、帝国を揺るがす「潜伏の二年間」の幕が開いた。

王宮の闇で「偽りの快晴」という毒を喰らい、怪物へと変貌していくジュリアス。

エレーナを聖域に閉じ込め、周囲を焼き尽くさんとするクロード。

そして、その中央で、誰よりも気高く、孤独な戦いに身を投じるエレーナ。

すべての決着は、二年後のデビュタント(社交界デビュー)の夜まで、持ち越されることとなった。

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