至宝の断捨離 ――混沌の演習場と、皇太后の強行突破―
事の重大さにきづいたエレーナ。
「大丈夫だ。大丈夫だよ、エレーナ」
第2王子クロードは、震えるエレーナをその腕の中にしっかりと抱きしめていた。
「クロード様……どうしましょ!わたくし、大切な石を……」
「いいんだ。そんなもの、怪我はないか?!大丈夫か?まずは君が無事なら、それだけでいいんだ」
クロードは彼女の銀髪に顔を寄せ、慈しむように囁く。エレーナはその温もりにすがるように、彼の胸元に顔を埋めた。
演習場のゲートを破壊せんばかりの勢いで突っ込んできたのは、ロズレイド家本邸にいたバッシュ、カイン、シオン、ゼノの面々でした。
「お嬢様!!」
バッシュが馬から飛び降りた時には、すでにクロードがエレーナを抱きしめていました。
「……殿下、お嬢様を……。いや、それよりこれ、何が起きたんですか!?」
バッシュは周囲を警戒しましたが、敵はいません。あるのは、ドロドロに溶けた「何か」だけ。
「……バッシュ殿。私の端末が、測定不能のエラーで火を噴きました」
シオンが煙の上がる機械を掲げ、幽霊のような顔で立ち尽くします。
「これは、攻撃ではありません。お嬢様の『お掃除』の……結果です」
屋敷から駆けつけた彼らは、自分たちが守るべき主の「底知れぬ力」を目の当たりにし、最初に思考を停止させました。
一方、その頃。王宮の執務室では、窓ガラスがガタガタと震えるほどの魔圧を感知していました。
「……今の、何!? 演習場の方だぞ!」
調査局のフェイは、窓から身を乗り出して叫びました。
「フェイ、行かねば! 皇帝陛下も父上も、すでに向かわれた!」
法務のアルベルトが書類を放り出し、二人は馬を飛ばして学園へと急行しました。
彼らが演習場に滑り込んだ時、目にしたのは「あふたふた」と右往左往する学園職員や騎士たち。そして、中央で固まっているバッシュたちの姿でした。
「バッシュ! 何があった、刺客か!?」
フェイが馬を降りながら叫びましたが、バッシュは無言で足元の「泥」を指差しました。
「……刺客はいねぇよ。……これ、測定石だ」
「……は?」
フェイの動きが止まりました。
「アルベルト様……これ、法的にどうなります? 帝国の至宝が、エレーナの掃除で『液体』になった場合……」
「……フェイ、私に聞くな。法務官として、私は今、視力を失ったことにしたい……」
王宮から駆けつけた実務家たちは、その「損害額」と「説明の不可能性」に、現場で膝を突きました。
さらに王宮から遅れて、王宮魔導師団の専門家たちが観測器を持って現れました。
「演習場で禁呪級の反応あり! 全員、防護壁を……っ!?」
彼らが展開しようとした魔法壁は、爆心地に残るエレーナの魔力残滓に触れた瞬間、パリンッ!とガラスのように砕け散りました。
「……馬鹿な! 結界が、触れただけで中和された!? 誰がこんなデタラメな魔力を……」
「隊長、見てください! 測定石が……沸騰しています! 溶解ではなく、存在そのものが魔力に耐えきれず崩壊している!」
王宮の魔導師たちは自分たちの教科書がすべて灰になったような衝撃に、言葉を失いました。
そこへ、皇帝、ヴィンセント、そしてレオンと第4王子のアレンが、近衛兵を率いて到着します。
「エレーナ! どこだ!」
ヴィンセントが、抱き合うクロードとエレーナを見つけ、その背後に渦巻く「親馬鹿の殺気」と「至宝消滅の絶望」を同時に爆発させました。
「……第2王子殿下。いつまで、私の娘を、抱きしめておいでですか」
とヴィンセントとクロードが火花を散らす背後で、ようやく我に返った大人たちが「アタフタ」という言葉を体現するような大混乱に陥っていた。
「おい、冗談だろ……? あの不壊の測定石が、跡形もなく溶けてるぞ!」
駆けつけた騎士団の精鋭たちが、腰の剣に手をかけたまま、一歩も近づけずに固まっている。
「物理的な破壊じゃない……熱量だ。いや、高濃度の魔力による分子崩壊か!? どんな禁呪を使えばこんなことが……!」
王宮魔道騎士団の面々は、手に持った測定器が火を噴いて煙を上げているのを呆然と見つめていた。彼らにとって、この光景は「世界の理」が崩壊したも同然だった。
「これ、どうするんだ? 国家予算何年分だと思ってる!」
「誰が責任を取るんだ……。いや、それより、お嬢様はどうなる? 反逆罪……いや、国家物損罪か!?」
「馬鹿を言え! あれほどの力を持つ御方を、誰が捕らえられるっていうんだ!」
「そもそも閣下の娘さんだぞ!俺たちが消されるわ!」
「子供に罪償わせる気か!」
騎士たちは、あまりの事態の大きさに、叫ぶことも逃げることもできず、ただその場で右往左往しながら、自分たちの常識が通用しない現実に狼狽え続けていた。
演習場を取り囲む生徒たちの間にも、激しい動揺が広がっていた。
「エレーナ様……あんなに震えていらっしゃる。大丈夫かしら」
「だって、わざとじゃないんでしょ? 測定しようとしただけなのに、あんなにひどいことになって……お可哀想に」
「エレーナ様が罰せられたりしないよね? 私、そんなの嫌だよ!」
生徒たちは、測定石の価値よりも、泣きそうな顔でクロードに抱かれているエレーナの身を案じていた。
「でも、あの力……。エレーナ様って、実はとんでもない魔法使いだったの?」
「凄すぎる……。綺麗だったけど、怖いくらいの光だった……」
憧れと、畏怖。そして純粋な心配が、演習場を大きなざわめきとなって包み込んでいった。
その混沌とした、救いようのない空気を、一振りの扇の音が真っ二つに切り裂いた。
パシン――!!
皇太后リサーナが、凍り付いた男たちの間を、悠然と歩いてきた。
「――ええい、おだまりなさい! 揃いも揃って、そんな情けない面をして、いつまで狼狽えているのです!」
一喝。ヴィンセントの殺気が霧散し、クロードが直立不動になり、ざわめいていた騎士たちも一瞬で静まり返った。
リサーナは、クロードの腕からエレーナをひょいと引き寄せると、自分の懐へ抱き込んだ。
「皆様、お祝いを言わなくてはいけませんわね! この測定石、数百年も前のもので、デザインも古臭くて、わたくし、ずっと美観を損ねていると思っていましたの。ちょうどいい時期でしたわ!」
「「「「…………えええっ!?」」」」
リサーナは怯まない。「学園長! 貴方もいつまで口を開けているのです。今日は、エレーナお嬢様がその『危ない粗大ゴミ』を、見事に処分してくださった、記念すべき『学園断捨離の日』なのですわ!」
学園長は、リサーナの強烈な視線に、即座に魂を売った。
「は、はひぃっ!? 左様でございます! これこそ我が校が切望していた最新式への入れ替え! お嬢様のおかげで命拾いいたしました!」
「……えっ? そう……なのですか?」
エレーナが不思議そうに首を傾げると、周囲の生徒たちも「あ、そうなんだ!」「良かった、エレーナ様はいいことをしたんだ!」「さすがロズレイド家の令嬢だ」と、一気に安堵の拍手が沸き起こった。
「というわけで、学園長。この子と王子たちは、わたくしがいったん王宮へ連れていきますわね。……ええ、第2王子のクロード、そしてそこに隠れている第4王子のアレンも一緒ですわよ」
植え込みから「ひえっ」と第4王子の悲鳴が上がる。
「学園長、夜には王宮や屋敷に返しますから、心配いりませんわ。……あ、そこのドロドロのゴミ掃除と、廃棄記録の作成は、そこにいる『呆けていた男たち』に任せなさい。よろしいわね、ヴィンセント?」
名指しされたヴィンセントは、娘を連れて行かれる不満を飲み込み、直立不動で答えた。
「……はっ。仰せのままに、母上」
「さあ、エレーナ。行きましょう」
おばあ様はエレーナの手を引き、まだ魂が半分抜けたようなレオンとクロード、そしてトボトボと付いてくるアレンを引き連れて、颯爽と歩き出した。
去り際、エレーナは少し安心したように振り返った。
「……良かった。皆様ごめんなさい!」
と言葉とはウラハラに可憐な笑顔で手を振るエレーナ。
その姿が見えなくなった瞬間、演習場には、本当の「絶望」が戻ってきた。
残されたヴィンセント、皇帝、シオン、バッシュ、フェイ、アルベルト。
彼らは再び、足元の「ドロドロの国家予算」を見つめ……これから一晩で数千枚の「老朽化による自壊報告書」を偽造し、おばあ様が約束した「最新式の石」を明日までに調達するという地獄の作業に、揃ってその場に膝を突くのだった。




