託される至宝 ――学園長室の静かなる嵐
学園長室の扉が開いた瞬間、中にいた学園長は反射的に椅子から立ち上がりました。
「ロ、ロズレイド公爵閣下! お待ちしておりました!」
ヴィンセントは無言でソファに深く腰掛け、エレーナをその隣に座らせました。彼がただそこに座っているだけで、部屋の豪華な調度品さえも色褪せ、空気が希薄になったかのような錯覚を覚えます。
「学園長。今日から娘を預ける。……手短に済ませよう」
ヴィンセントの声は低く、そして重い。
「娘は、ロズレイドの至宝だ。……彼女が、不自由なく、かつ安全に学べる環境を整えることが、この学園の唯一にして最大の任務であると心得てもらいたい。……もし、娘に『不測の事態』があれば、私は、手段を選ばずその原因を刈り取る」
学園長は、公爵の瞳の奥に宿る「本物の死神」の光を見て、滝のような汗を流しながら深く頭を下げました。
「も、もちろんでございます! 万全の体制でお迎えいたします……!」
「……よろしい」
ヴィンセントは一つ頷くと、スッと威圧感を消し、エレーナに視線を向けました。
「学園長、担当の者を呼んでくれ」
ノックの音と共に、一人の女性教師が入室してきました。
銀縁の眼鏡をかけ、隙のない夜会巻きに結い上げた髪。彼女は、学院でも最も厳しいと評判の、歴史と礼法を司るクラリス先生でした。
彼女は公爵を前にしても過度に怯むことなく、美しい姿勢で一礼しました。
「お呼びでしょうか、学園長。本日よりエレーナ・ロズレイド嬢を担当いたします、クラリスでございます」
ヴィンセントは、彼女の迷いのない所作を【並列思考】に近い鋭い観察眼で見極めると、わずかに口角を上げました。
「……クラリス先生。娘は少々、物覚えが良すぎる。退屈させないよう、厳しく、かつ愛情を持って導いてやってほしい」
「お任せください、閣下。……ロズレイドの名に恥じぬよう、徹底的に指導させていただきます」
手続きを終え、いよいよエレーナがクラリス先生と共に教室へ向かう時が来ました。
学園長室の重厚な扉の前で、ヴィンセントは足を止め、エレーナの両肩を優しく掴みました。
「エレーナ……」
「はい、お父様」
周囲には学園長も先生もいましたが、ヴィンセントは構わず、娘の銀髪を愛おしそうに撫でました。
「……本当は、今すぐ抱えて連れ帰りたいほど寂しい。だが、君はもう、広い世界へ羽ばたく翼を持っている。……頑張るんだぞ。何か困ったことがあれば、我慢せずに、すぐに私を呼びなさい。いいな?」
「ふふ、大丈夫ですわ、お父様。私、ロズレイドの娘として、おばあ様や先生方に恥じないように過ごして参ります」
エレーナは優雅に微笑み、ヴィンセントの大きな手に自分の手を重ねました。その手には、一年間の特訓で得た「自信」と、家族への「愛」が宿っていました。
ヴィンセントは、断腸の思いで手を離すと、振り返らずに校門へと歩き出しました。
その背中は相変わらず「死神」のような威厳に満ちていましたが、エレーナには、お父様が寂しさを堪えて背筋を伸ばしているのがよく分かりました。
「エレーナ様、参りましょうか」
クラリス先生が、静かに促します。
「はい、先生。よろしくお願いいたします」
エレーナは銀髪を美しくなびかせ、一歩を踏み出しました。
お父様が見守り、王子たちが疑念の目を向ける中、彼女の「学院生活」という名の、新たな戦場……もとい、社交場が、今、静かに幕を開けたのです。




