月光の令嬢、降臨 ――死神が捧げる最後のエスコート
帝立貴族学院の正門前。そこは本来、華やかな貴族の子女たちが再会を祝して談笑する場ですが、今朝に限っては、誰もが声を失い、石像のように硬直していました。
砂煙を上げることなく、完璧な制動で停車した一台の馬車。
漆黒の車体に彫り込まれたのは、「ロズレイド公爵家」の双頭の獅子の紋章です。
「……バカな。あの紋章、本物か?」
「なぜ公爵閣下がここに……。まさか、学院の視察か?」
生徒たちの間に、戦慄に近い動揺が走ります。
御者が扉を開けるよりも早く、内側から重厚な扉が押し開かれました。
降り立ったのは、軍礼装を纏ったヴィンセント・ロズレイド。
「――っ!?」
彼が一歩踏み出した瞬間、周囲の空気が物理的に重くなったかのような錯覚が広がりました。
整えられた漆黒の髪、冷徹なまでの美貌。そして、数多の戦場を潜り抜けた者にしか宿らない、鋭利な刃物のような眼光。
「帝国の死神」と恐れられる男の威厳は、ただそこに立っているだけで周囲を支配し、居並ぶ若き貴族たちの膝を震わせました。
ヴィンセントは周囲を一切見ず、ただ後方から降りてくる「誰か」のために、恭しく、そして慈しむように手を差し伸べました。
彼が恭しく差し出した大きな手の上に、雪のように白い指先が重なります。
ゆっくりと馬車から降り立ったのは、12歳になった銀髪の少女、エレーナでした。
「――っ!」
その瞬間、周囲から言葉にならない溜息が漏れました。
一年前よりも長く伸びたプラチナ・シルバーの髪が、朝の陽光を受けてさらさらと流れ、まるで生きた銀の糸のように輝いています。その銀髪は、彼女の透き通るような肌と、ロズレイド家特有の理知的な瞳を際立たせていました。
「お父様、ありがとうございます」
鈴を転がすような清澄な声。
エレーナは、ヴィンセントの手に導かれながら大地に降り立ちました。その一歩、その踵が地面を打つ音は、かつて10歳の誕生日に王宮の石畳を鳴らしたあの鋭い「軍礼」の音とは対照的に、羽毛が落ちるほど静かで、それでいて一点の揺らぎもない完璧な重心移動でした。
「なんて……なんて美しい銀髪なんだ……」
「伝説の『至宝』……。噂以上に、神秘的だわ」
一般生徒たちがその神々しさに目を奪われる一方で、窓際から見ていた王子たちは、彼女の銀髪が風に舞う一瞬、その奥に潜む「獲物を狙う鷹」のような鋭い視線を見逃しませんでした。
(((……叔父上の後ろで、あの日と同じ『強者の気配』を消し去っている。あのお淑やかさは、銀の鎧よりも堅牢な擬態だぞ)))
ヴィンセントは、エレーナを優しく、しかし外界の毒から守るように自らの腕に添えさせると、周囲の生徒たちを一度だけ冷徹に一蹴しました。
「さあ、行こう。学園長が待ちわびている。……君の学び舎として相応しいかどうか、私がこの目で見極めなくてはならないからね」
「ふふ、お父様ったら。……皆様、ごきげんよう」
エレーナが、銀髪をふわりとなびかせて会釈をすると、まるでモーセが海を割ったかのように、生徒たちが一斉に左右へ道を開けました。
帝国の死神に守られ、月光のような銀髪を揺らしながら進む少女。
10歳のあの日、軍礼で一部の特権階級を震え上がらせた彼女は、12歳の今日、その美貌と完璧な気品をもって、学院という名の新たな領土へと足を踏み入れたのです。




