陽だまりの再会と、断たれた消息
最初は庭を1周歩くだけでも疲れていたエレーナ。
今では特注の訓練着に身を包み、広い庭園を走り回っても息一つ乱さない。
「バッシュさん、もう一周行けます!」
「ははっ、お嬢様!勘弁してくれ! 俺の方が先に音を上げちまうよ」
銀髪をなびかせ、陽光の下で弾むように笑うエレーナ。その姿には、かつての病弱な影はどこにもなかった。
そんなある日の夕暮れ。
汗を拭い、清々しい顔で戻ってきたエレーナに、ヴィンセントが穏やかに語りかけた。
「エレーナ。……帝国の王妃、エルシア様がお前に会いたいとおっしゃっている。……彼女は私の兄、つまり陛下の奥方だ。お前にとっては叔母にあたる方だな」
「王妃様が……私に?」
「ああ。『姪の顔を見に行くような気軽なノリで伺いたい』と。……どうかな、会ってみてくれるか?」
エレーナは少し緊張したが、信頼するヴィンセントの言葉に力強く頷いた。
「はい。お父様の大切なご家族なら、ぜひお会いしたいです」
数日後、公爵邸を訪れた王妃エルシアは、王妃という肩書きを忘れさせるほど親しみやすい笑顔を浮かべていた。
「あら、貴女がエレーナね! ヴィンセントから聞いていた通り、なんて可愛らしいのかしら。今日は叔母様として遊びに来たの、堅苦しい挨拶は抜きにしましょう」
エルシアは、庭を元気に走り回っていたというエレーナの健康そうな様子を眩しそうに見つめた。二人はお茶を飲みながら、好きな花や本の話、そして公爵邸での楽しい生活について語り合った。
エルシアは終始、優しい「叔母様」として振る舞い、エレーナの心を解きほぐした。
「また来るわね、エレーナ。貴女と話せて、今日は本当に幸せだったわ」
そう言い残し、王妃は名残惜しそうに邸を後にした。
翌朝、公務のために王宮へ出向いたヴィンセントを待っていたのは、皇帝、王妃、そして教育係のリサーナだった。
昨日の穏やかな雰囲気とは打って変わり、部屋には張り詰めた空気が漂っていた。
「……それで、どうだった。エルシア」
皇帝が静かに問いかけると、王妃は深く、震えるような溜息をついた。
「間違いありませんわ。……ルチアに、あの子にそっくりだわ。……エレーナが、あの子が生き残ったルチアの魂そのものよ」
エルシアの瞳には、昨日は隠していた激しい感情が渦巻いていた。
「ルチアは、愛する人を残して逝ってしまったけれど……。エレーナには、彼女が生きられなかった分まで、この帝国の光の下で幸せに生きてほしい。私は王妃として、いいえ、一人の女性として、あの子を全力で守り抜くと誓いますわ」
リサーナも神妙な面持ちで頷く。
「エレーナの生命力と知性は、かつてのロイス家そのものです。彼女こそが真実を照らす光となるでしょう」
「そうよ! こんなに喜ばしいことはないわ!」
エルシアはハッと思い出したように顔を上げ、ヴィンセントの手を掴んだ。
「ヴィンセント! すぐにロイス伯爵にお知らせしなきゃ! 『貴方の娘は生きているわよ、死んでなんていなかったのよ』って! あの人、あんなにエレーナを愛していたんですもの。知らせを聞けば、きっと……」
しかし、ヴィンセントの表情は氷のように冷たく、沈んでいた。
「……それが、できないのです。義姉上」
「どういうこと? まさか、あの女(後妻)が邪魔をすると?」
「いいえ。……伯爵自身の行方が、分からないのです」
会議室に衝撃が走った。
「エレーナが『死んだ』と聞かされたあの日から、伯爵は抜け殻のようになってしまった。愛する妻に続き、唯一の希望だった娘まで失った絶望。……外交官としての鋭い才気も消え失せ、何も手に付かなくなった彼は、ある日突然、使用人たちに『旅に出る』と言い残したきり、姿を消したのです」
「旅に出るって……どこへ?」
「それが、誰にも分からないのです。行き先も告げず、供も連れず、ただ一人で。……陛下が『長期休暇』扱いにして表向きは守っておられますが、実際には半年以上、帝国中のどこを探しても、彼の足取りを掴むことはできていません」
エルシアは言葉を失い、椅子に崩れ落ちた。
娘は生きていた。しかし、その娘を誰よりも愛していたはずの父は、絶望の果てに消息を絶っていた。
「……なんてこと。親子が、こんなにも近くにいるというのに……」
ヴィンセントは、窓の外に広がる帝都の景色を見据え、静かに、しかし断固とした声で言った。
「だからこそ、エレーナを『ロゼレイドの至宝』として、帝国の誰もが傅く圧倒的な存在に育て上げる必要がある。……彼女が社交界の頂点に立ち、その名が帝国の隅々まで轟いた時。……その声こそが、彷徨う伯爵を呼び戻す、唯一の道標になるはずです」
大人たちの決意が、一つに重なった。
父を探すため、そして亡き母の誇りを取り戻すため。
エレーナという名の「聖剣」が、今、本格的に研ぎ澄まされようとしていた。




