リサーナの一喝
ロゼレイド公爵邸の二階、エレーナの寝室。冬の柔らかな陽光が、眠れる少女の睫毛を優しく撫でていた。
しかし、その静寂は、階下から響いてくる凄まじい絶叫によって無残に引き裂かれる。
「やすむーーー!! いやだぁぁぁぁ! リサーナのそばにいたいんだぁぁーーー!!」
その叫び声に、枕元でエレーナの髪を整えていた皇太后リサーナの眉間が、彫刻のように深く刻まれた。
「……また、あの男たちは。マギー、何事です!」
リサーナの問いに、背後に控えていたメイド長マギーが、一切の感情を排した声で答える。
「リサーナ様。お嬢様を心配しすぎてフェイ様が階段の縁にしがみつき、ジョエル様とシモン様が引き剥がそうとしておりますが、ヴィンセント様とアルベルト様も玄関の扉と同化し、クラウス様が限界を迎えておいでです。」
「……この子をを静かに休ませなさいと言ったそばから。マギー、あなた先に行ってどうにかしてきなさい。わたくしもすぐに向かいます」
「かしこまりました。……徹底的に、片付けてまいります」
マギーが静かに一礼し、音もなく部屋を辞した。リサーナは次に、側に控える筆頭メイドのアンを振り返る。
「アン、あなたはリサ、カレン、ニーナたちにこの場を任せなさい。あの子が目覚めたときに最高のミルクを飲めるよう、準備に入りなさい」
「はい、リサーナ様!」
アンは、カレンやニーナたちに「お嬢様を頼むわね」と目配せし、足早に厨房へと向かった。リサーナは眠るエレーナの額に一度だけ唇を寄せると、静かに、しかし業火のような威圧感を纏って立ち上がった。
「……やはり、今日は休む。陛下には、私が不治の病で今まさに精霊の元へ旅立ったと伝えてくれ」
玄関ホールでは、ヴィンセントが取っ手を握りしめ、扉と一体化していた。
「閣下、縁起でもない! さあ、離して!」
執事クラウスが必死に主人の腰を抱えて引き剥がそうとするが、ヴィンセントの握力は城門を砕くほどだ。
「父上、私もです! エレーナの側に兄がいないなど、騎士道にもとる……!」
その横で扉の枠にしがみつくアルベルト。
「アルベルト様、騎士道よりも職務です。ほら、指を一本ずつ剥がしますよ」
侍従シモンが、無表情で主人の指をパキパキと剥がしていく。
そして、最も凄まじいのは階段だった。
「いやだいやだいやだぁ! お嬢様におはようって言ってもらうんだぁー! 離せジョエル! 離せぇぇー!!」
第一部隊長フェイが、階段の一番下の縁に爪を立てるようにしてしがみついていた。
「フェイ様、見苦しいですよ。ほら、指を離して」
専属侍従のジョエルが脇に腕を差し込むが、お嬢様愛に狂ったフェイの粘りは異常だった。
そこへ、静寂の死神が如くマギーが歩み寄った。
「……騒がしいですわね。皆様」
「「「「……っ!!」」」」
「ジョエル様、腰を。私がフェイ様の脚を持ちますわ」
マギーは一切の躊躇なく、フェイの足首をガッチリと、鉄の枷のような力で掴んだ。
「ひぃっ! マギー! 足を掴むなぁぁ! お前ら、侍従とメイド長の連携をそんなことに使うなぁぁ! ぎゃあああ!!」
従者三名とメイド長。公爵邸の全管理職が一致団結し、駄々をこねる最強の男たちを「物理的」に排出しようとする壮絶な乱闘が繰り広げられた。
「「「「離せぇぇぇぇ!!!(離してください!!!)」」」」
ヴィンセント、フェイ、アルベルトの絶叫が最高潮に達した、その瞬間。
カツ。
二階の回廊から、凍りつくような靴音が響いた。その音一つで、ホールの喧騒が、まるで真空に包まれたかのように消え失せる。
ゆっくりと階段を降りてきたのは、皇太后リサーナ。彼女は手に持った扇を、パシリと左手に打ち付けた。マギーたちは瞬時に作業を止め、完璧な礼で迎える。
「ヴィンセント。アルベルト。……そして、フェイ」
その声は決して大きくなかったが、ホールの隅々まで、鋭い刃のように染み渡った。
「……あなたたちは、何をしているのですか? ロゼレイドの男たちが揃いも揃って職務放棄? 恥を知りなさい。あの子がこの醜態を見たら、二度とあなたたちに心を開かなくなりますわよ」
「「「……っ!!」」」
その一言が、何よりも効いた。男たちは凍りついたように動きを止める。リサーナは鼻先に扇を突きつけた。
「いいですか。あの子の心の綻びは、わたくしとマギーが繋ぎ止めておきます。あなたたちの仕事は、あの子の不安を払拭するための盤石な城壁を築くこと。真面目に職務に励み、あの子を怯えさせる元凶を特定するための情報を、一つ残らず拾ってきなさい! クラウス、ジョエル、シモン! あなたたちもです。この情けない男たちが逃げ出さぬよう、しっかり見張りなさい!あーヴィンセント.... 女性の交友関係や家族の仔細については、兄上よりも王妃様の方が詳しいかもしれない。王妃を訪ねなさい。」
「「「ハッ、直ちに!!」」」
「マギー、お疲れ様。男たちの『掃除』を。それからアンに、ミルクの準備を急がせなさい」
「畏まりました、リサーナ様。お嬢様には最高の朝を準備いたしますわ」
リサーナとマギーが静かに頷き合う。その冷徹なまでの完璧さに、男たちはもはや抗う術を失っていた。
一台目の馬車にはヴィンセント、アルベルト、そして彼らを管理するクラウスとシモンが。
二台目には、ジョエルに無理やり押し込まれたフェイと、護衛の騎士たちが。
「……行くぞ、クラウス。……一分一秒を惜しめ」
ヴィンセントの瞳から湿っぽさが消え、極寒の「守護卿」へと戻った。
「既に。王宮に到着するまでに、二年前の全記録に目を通していただけるよう整えております」
「……ジョエル、俺を階段から引き剥がした報い、ゴミどもにたっぷりと支払わせるぜ?」
フェイもまた、眼鏡を光らせ、不敵な笑みを浮かべる。
「「「出陣だ!!」」」
朝日を浴びて、ロゼレイドの家紋を刻んだ馬車が、王都へと向けて爆走を開始した。
背後で見送るリサーナとマギーの瞳には、愛するエレーナを泣かせた者たちへの、峻烈な報復の意志が宿っていた。




