制御への苦闘と、沈黙の三ヶ月
七歳の誕生日に目覚めた「魅了」の波動は、エレーナの生活を一変させた。
かつては笑い声が絶えなかった公爵邸のテラスも、今は静まり返っている。エレーナが少しでも感情を昂らせれば、無意識に黄金の魔力が漏れ出し、周囲の者たちを恍惚とした熱狂に叩き落としてしまうからだ。
「……また、やってしまいましたの」
エレーナは、自分の足元で跪き、うっとりと自分を見上げる若手のメイドを見て、悲しげに瞳を伏せた。エレーナにとっては大好きなメイドだが、今の彼女の瞳にはエレーナへの「純粋な親愛」ではなく、魔力によって強制された「狂信的な愛」しか映っていない。
これが、エレーナが最初にぶつかった「孤独」という壁だった。
事態を重く見た皇太后リサーナは、週に三回、帝国最高位の宮廷魔導師を伴って公爵邸を訪れるようになった。
特訓の場は、窓一つない石造りの地下瞑想室。
「いい?エレーナ。あなたの魔力は、あなたの心そのもの。心が揺れれば、魔力は器から溢れます。まずは自分の感情を、冷たい氷の底へ沈めるイメージを持ちなさい」
リサーナの厳しい声が響く。魔導師がエレーナの魔力を計測する水晶を置くが、エレーナが集中しようとすればするほど、水晶は禍々しい黄金色に輝き、パリンと音を立てて砕け散った。
「くっ……。おばあさま、わたくし、どうすればいいの……? 抑えようとすると、逆にもっと溢れてくるの!」
エレーナの瞳から涙がこぼれそうになる。しかし、その「悲しみ」に反応して、さらに強力な魅了の波動が部屋を満たしてしまう。同席していた宮廷魔導師でさえ、一瞬意識を飛ばしそうになり、慌てて精神防壁を張り直す有様だった。
特訓は難航した。
エレーナにとって、感情を押し殺すことは「自分を消すこと」と同じだったからだ。パパに会いたい、マギーと笑いたい。その当然の願いさえ、今の彼女には暴走の引き金になる毒でしかなかった。
特訓の後の、一時間のお茶会。
リサーナは決してエレーナを叱ることはしなかった。ただ静かに、優雅な手つきで茶を淹れる。
「エレーナ、無理に押し込める必要はありません。ただ、魔力に『行き先』を与えてあげるのです。あなたの光を、外に放つのではなく、体の中に巡らせる『道』をイメージしてごらんなさい」
エレーナはおばあ様の言葉を聞きながら、その手の動きをじっと見つめた。
ここでエレーナの才能――「視界共有」が、意図せずして発動する。
(おばあ様の魔力が、指先からティーカップへ、そして体の中へと……。あ、なんて静かな流れなのかしら……)
エレーナは、リサーナの体内を流れる魔力の「リズム」を視覚的に捉えた。それは、嵐のような自分の魔力とは対照的な、凪いだ海のような穏やかさだった。
特訓開始から二ヶ月が過ぎた頃。
その日は、エレーナにとって最も辛い日になるはずだった。
訓練中に、エレーナの目の前で大切にしていた花瓶が割れるという、魔導師による「動揺のテスト」が行われたのだ。
「あっ……」
反射的に心が揺れる。黄金の魔力が爆発的に膨れ上がろうとしたその瞬間。
エレーナは昨日見た、おばあ様の魔力のリズムを思い出した。
(外に出しちゃだめ。おばあ様のように……静かに、自分の中へ……!)
エレーナの瞳が黄金に輝く。しかし、光は外へは飛ばなかった。
彼女は溢れ出そうとした膨大なエネルギーを、自分自身の魔力回路の中へと強引に引き戻し、リサーナと同じ「凪」のリズムで循環させ始めたのだ。
瞑想室を包んでいた重苦しい熱気が、スッと消える。
魔導師の持つ計測水晶は、砕けることなく、ただ淡く、透き通るような黄金の光を湛えていた。
「……成功ですわ。リサーナ様、お嬢様が魔力を完全に『内封』されました!」
魔導師の声に、リサーナは深く頷き、エレーナを抱きしめた。
「よくやりましたね、エレーナ。これであなたは、自分の力に飲み込まれることはありません。……」
ようやく、魔力を一定時間完璧に抑え込めるようになったエレーナ。
その知らせを扉の外で今か今かと待っていたヴィンセントは、歓喜の声を上げた。
「エレーナ! お前ならやれると信じていたぞ!」
ヴィンセントが駆け寄り、娘を高く抱き上げる。エレーナが笑っても、もうパパがうっとりして動けなくなることはない。
「パパ、わたし、やったのね!頑張ったでしょ! 」
「ああ、もちろんだとも! ものすごく頑張ったぞ」
こうして、ようやく「自分を保つ」術を手に入れたエレーナだった。




