夜明けの確信-父の眼差し-
徹底洗浄を終え、清潔な石鹸の香りを纏ったヴィンセントは、食堂へ向かう足を止め、最上階へと向かった。
扉を羽が触れるほどの静かさで開けると、そこには朝日を浴びて眠るエレーナがいた。
いつもなら壁との僅かな隙間に身を寄せていた少女が、今朝は、広大なベッドの……ちょうど中央で眠っている。
傍らで控えていたメイドのアンが、ヴィンセントの来訪に気づき、ハッと背筋を伸ばす。彼女の目は感動で真っ赤に腫れていた。ヴィンセントは静かに指を唇に当て、「声を出すな」と制した。
ヴィンセントは、ベッドの傍らまでゆっくりと歩み寄った。
逃げる場所を求めず、この開かれた場所を「自分の居場所」だと認め、身を委ねている娘の姿。
「…………」
ヴィンセントは泣かなかった。ただ、その黄金の瞳には、かつてないほど穏やかで温かな光が宿っていた。
彼は、エレーナの寝顔をじっと見つめ、噛みしめるように、誰にも聞こえないほどの小さな声で呟いた。
「……そうか。一歩、踏み出してくれたようだな」
その一言には、無理強いせず、彼女が自ら心を開くのを待ち続けてきた父親としての深い安堵が込められていた。
ヴィンセントは、主の目覚めに備えるアンに向け、優しく告げた。
「……アン。このまま寝かせておけ。あの子が自分のタイミングで目覚めるまで、誰も、物音一つ立てることは許さん。……ゆっくり、休ませてやるんだ」
「……はい、閣下」
アンが深々と頭を下げると、ヴィンセントは満足げに一度頷き、気配を殺したまま部屋を辞した。
一階の食堂。
そこでは、ピカピカに洗われて石鹸の匂いをさせたフェイ、アルベルト、そして幹部たちが、主君の到着を待ちわびていた。
廊下から現れたヴィンセントは、いつになく穏やかな、憑き物が落ちたような表情をしていた。
「閣下! どうだった? エレーナ、大丈夫だった?」
フェイが椅子から身を乗り出して尋ねると、ヴィンセントは静かに自らの席へと腰を下ろした。
「……ああ。エレーナは今、ベッドの中央で眠っている。……あの子なりに勇気を出して、一歩踏み出してくれたようだ」
「えっ……隙間じゃなくて? 本当に、真ん中で?」
フェイが驚きに目を見開くと、ヴィンセントは柔らかく微笑んだ。
「そうだ。……フェイ、貴様の罰はなしだ。……貴様たちが繋いでくれた絆が、あの子に勇気を与えたのだろう。……感謝する」
「……っ、閣下に感謝されちゃったよ。……へへ、エレーナ、すげえや。本当に頑張ったんだね」
ヴィンセントの落ち着いた、けれど確かな喜びに満ちた言葉に、食堂の空気は一気に温かなものへと変わった。
いつもは騒がしい面々も、主君のその深い慈愛を感じ取り、エレーナの成長を祝うように静かに食事を始めた。
こうして、ロゼレイド公爵邸の、最高に幸福な朝食が始まったのである。




