9 秘密
火曜日。窓の外は、今日を応援してくれているかの快晴だ。
いつもと同じ時間に起床し、出勤用のスーツではなく、ネイビーのシャツと白パンツに着替えた。もちろん、今日は有休をとっている。
数日前に
「誕生日、高志残業になるかもしれないから、お祝いはその週末でもいいよ」
と言われた。
そして、冗談めいた口調で照れくさそうに続けた。
「でも、誕生日だから会いたくなって呼んじゃうかも。その時は……来てくれる?」
この、とてつもなく可愛い台詞の後半部分こそが本心だ。本心と気遣いの違いくらいは俺にでもわかる。
「俺は大丈夫だよ。数分だけだとしても会いにくるから」
そう言って頭をなでた。
「やったぁ……ありがと」
早く喜ぶ顔を見たくて、危うく計画を打ち明けそうになった。
これで火曜の約束はしたも同然。
言われた通りに週末への変更も考えたが、もう、自分がそこまで待てない。早く、この気持ちを形にしてしまいたかった。
10時に家を出てスーパーで食材を購入し、合鍵で805号室に入った。
玄関のたたきに立ち、廊下の先のリビングを見据える。耳を澄ませてごくりと唾を飲み込んだ。
幽霊とやらよ、今日は予定がつまっているんだ。頼むから出てくるなよ。
得体の知れない恐怖の対象へ切に願い、意を決して靴を脱いだ。
花のプレゼントから始まり、手料理をふるまい、メインディッシュに指輪。麗奈はどんな顔をするだろう。無断で部屋に入られたと知れば不機嫌になるかもしれないが、訳を話せばきっと許してくれるはず。 昨日まで一緒にいた場所なのだから、都合が悪いはずがない。
インターネットで検索したレシピ通りに、ボロネーゼパスタとローストポークを作り、カット済のサラダを皿に移し替えてラップをかけた。ローストポークは炊飯器で一時間ほどかかる。その間に、指輪を隠すことにした。
部屋をうろついていると、急に腹が痛くなり、トイレへ走った。
一生に一度のプロポーズに緊張しているのか、朝からどうも腹の調子が悪い。
洋式便器に座り、腹を押さえながら隠し場所を悩み、天井を仰いだ。
上を向いたまま、何とはなしに埋め込み型の換気扇を眺めていると、ふと、かすかな違和感を覚えた。
よくある二十五センチメートル四方のフタの隙間から、赤い点が見える。
目を凝らして数秒間見つめた。
じわじわと迫る胸騒ぎを感じて、反射的に下半身を手で隠した。
まさかな……と思いつつ、慌てて拭き、ズボンとパンツを一気に持ち上げる。フタを閉めて水を流し、立った状態で数秒考えた後、便座に足をかけた。
壊さないようにゆっくりと体重を乗せながら便座の上に立ち、天井のフタに顔を近づけた。
フタの奥に、黒い物体が見える。
赤い点が、小さなランプのように光っている。何かが作動しているのか。
換気扇の一部とも考えたが、先ほどから胸にある違和感から、頭の隅で、盗撮……盗撮……の言葉が繰り返されていた。
換気扇に手を伸ばしてフタに爪をひっかけ、慎重に手前に引いて外す。さほどの重さはないが、フタの上に何かが乗っているのは確かだ。そっと腕をおろしてフタを顔に近づけると、三センチほどの、黒く四角い物体が乗っていた。
指で持ち上げてみるとサイコロのように軽く、裏側の中央にはレンズらしきものが見える。
機械には疎いが、テレビなどで目にしてきた程度の薄い情報でも、小型カメラだと確信した。赤いランプが点いているということは、録画中のサインだ。
本物の盗撮かよ!
心で叫んだ自分の言葉ではっとして、腕に鳥肌がたった。
まさか麗奈が!
一瞬ドキリとしたが、さすがにそれはないだろうとすぐに思い直した。
彼女は恋愛に対して独占欲が強い傾向にあるが、性的にアブノーマルな一面は見たことがない。そばにいてあげさえすれば安心できる子であり、体温を感じない画像などには興味は持たないはずだ。
麗奈の用を足す姿を見たい人間が設置したとしか考えられない。一体誰が。
まてよ。
麗奈がここに越してきて約三ヶ月。とすると、引っ越し前からカメラがあったとも考えられる。
大家や建設途中の作業員が、カメラや盗聴器を仕込んでいたというニュースを見たことがある。ましてやこの部屋はいわくつき。ここでストーカー被害に悩んだ果ての殺人や自殺があったとすれば、加害者であるストーカーが設置した可能性もゼロではない。
いずれにせよ、この部屋に出入りしている俺が犯人と思われてはたまらない。処分すべきと思い、それを握りしめた。
トイレに流してしまおうと視線を脚に向けた瞬間、ふと思いとどまった。
唯一の証拠品を捨ててしまえば犯人がわからずじまいだ。安易に捨てるのは早計だ。
警察への通報も考えたが、それもなかなか決心がつかなかった。オバケ以上に身の毛がよだつそんな話は、サプライズ計画の今夜だけはなんとしても避けたい。
ならばどうする?
例えば、麗奈に見つからないようにポケットやバッグに隠すとする。
会社に迎えに行った際、万が一、受けたこともない職務質問につかまったら一巻の終わり。かといって、室内に隠すとしても、指輪ですら隠し場所を悩んでいるというのに、盗撮カメラなどもってのほか。麗奈の行動予想はつかないし、隠しているのを見つかった時の空気を想像するだけで気絶ものだ。
悩んだ結果、一旦カメラを換気扇に戻すことにした。
ただ、カメラのレンズは横向きにして闇へ向けた。これ以上、麗奈のトイレシーンなど撮らせてたまるか。
どのくらいの時間、便座で考える人のポーズをとっていただろうか。
腕時計を見て飛び上がった。もう4時。料理の手際が悪い上、思わぬハプニングでだいぶ時間を無駄にした。
この後、花束を購入して一度戻って隠す。そして、麗奈の会社前で待ち伏せする手筈だ。急がなければ間に合わない。
花屋は麗奈の職場近くの小さな店に決めてある。
いつも金曜は、仕事を早く切り上げて迎えに行き、近くの空き地にバイクを停めて待つ。その隣が花屋で、店番の女性とは顔見知りだ。
何度か言葉を交わすうちに、自然と話すようになっていた。
彼女になら、照れずに要望を伝えられる。なんといってもプロポーズの花束だ。ここは大いにかっこつけたい。
トイレの水を流して手を洗い、慌てて飛びだした。




