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6 チェンジ

 十畳一間の愛の巣に通い始めて三ヶ月が経った。

 青空に雲ひとつないある日の土曜、何の前触れもなく、麗奈が言った。


「明日、引っ越し先の内見に付き合ってほしいの」


 たとえ週末だけであっても、半同棲している者として、引っ越すという大イベントが事後報告であることに多少の不満を覚えた。

 だが、聞けば購入ではなく賃貸とのこと。

 あーだこーだと不満を述べて麗奈の気分を害すべきではないと判断し、意見も反論もせずに了承した。

 

 翌日、昼食を済ませた後、部屋を見にでかけた。

 電車で二駅移動し、駅から十分ほど歩いたところで、


「ここ」


 と言われたときは、麗奈の十倍は超える声量で、


「ここ?!」


 と訊き返した。


 麗奈が指をさした建物は、明らかに築浅(ちくあさ)の高層マンションで、ガラス張りの自動ドアの先には、白を基調(きちょう)とした広々としたエントランスが見えた。


 正面奥の壁には巨大な絵画が飾られているが、何が描いてあるのかは見えないほどに突き当りが遠い。

 ホテルさながらの豪華な(たたず)まいを目にして、実は、麗奈との年収に大きな差があるのではないかと不安になった。


 麗奈は大手自動車メーカーの受付をしている。受付嬢の給料はそんなにいいのだろうか。

 もしかして、社長令嬢だったり……。またはパトロン……。

 金から派生する疑問が立てつづけに頭に浮かび、一抹(いちまつ)の不安を覚えた。


 俺の給料は、同年代と比べればもらっている方だが、このような豪奢(ごうしゃ)なマンションでの生活は、せいぜい妄想どまりだ。


 あんぐりと口を空けてマンションを見上げていると、麗奈が言った。


「ここ、事故物件で、破格の家賃なのよ」


 麗奈は、「昨日食べすぎちゃったのよ」程度の軽い口調で言い放ち、はにかむように笑った。


 事故物件? 


 いわくつきってこと? 


 ――オバケでるじゃん


 恐怖よりも家賃につられて契約の最終段階に向かっている彼女の大それた行動に、ますます口がふさがらなくなった。

 いくら快適に暮らせる設備が整っていようと、俺なら絶対に住まない。住めない。眠れない。


「へ、へえ……」


 平静を装い、同調するていで(うなず)いていると、通りの向こうから、グレーのスーツを着た若い男が小走りでこちらに向かってきた。麗奈が片手をあげて、小声で言った。


「不動産のひと」


 麗奈と不動産屋の男は、親し気な口調で挨拶を交わした。

 高志は名刺を手渡され、見ると“江崎(えざき) 成美(なるみ)”と書いてあった。

 年は同じくらいか。

 不動産屋の身長も高い方ではなく、ヒールを()いた麗奈よりわずかに低い。黒ぶち眼鏡(めがね)をアクセントとした大きな目で、濃すぎないがハッキリとした顔立ちだ。先のとがった革靴(かわぐつ)はどうもいけすかないが、細身のスーツが似合うイケメンで、仲よさげなやりとりを見ていると少々不安を覚える。


 案内された部屋は八階で、同じ階に十戸ほどの扉が見える。

 麗奈は、鍵を開けようとしている江崎の顔を横からのぞき込み、更なる値段交渉をはじめた。

 普段よりも若干(じゃっかん)声が甘えている。

 俺が江崎の立場だったら、二つ返事で値下げに応じるだろう。

 

 交渉する姿を見て、彼女の本日の服装理由が判明した。

 美しさに変わりはないが、どうもいつもよりスケベったらしく見え、今朝、家を出る間際まで、服装について言い合いをしていた。

 

 胸元が広く開き、膝上(ひざうえ)丈のタイトスカートには不必要なスリットが入っている。

 気に食わない。


 案の定、江崎の視線は、麗奈が上部の収納扉を開けようと背伸びすれば(しり)にいき、(かが)んで引き出しを確認すれば胸を盗み見していた。 


 麗奈も麗奈で、視線に対してアングルを合わせているような動きをしている。これで江崎が何も感じないわけはない。


 納得しかねる彼女の行動ではあったが、その努力の甲斐(かい)があってか、江崎はその場でオーナーに電話をして、値段交渉をかけあった。よくそこまでできるなという必死さで、ゴルフの話などを交えて説得し、結果、ごますり野郎の手腕(しゅわん)で冗談のような家賃にまで下がった。


 八〇五号室の部屋は、俺のアパートと比べると泣きたくなるような広さだった。

 二十畳はありそうなカウンターキッチン付きのリビングダイニングの他にも、六畳や八畳の部屋が三つある。麗奈の現在の住まいよりも、会社までの距離が二駅離れるが、引っ越し先はこの区を希望していたようだ。


 行きつけのネイルサロンや美容室、大型スーパーやカフェが多いらしく、絶対条件だとあげていたペット飼育の希望も叶い、とにかく貯金ができるからという、全てが納得のいく理由だった。  


 ――事故物件という以外は。


 麗奈はバリバリの理系で、江崎もそっち系らしく、二人の会話は設備や収納についてばかりで、安さの理由にはふれなかった。

 こちらとしても、出会ったことのないオバケを信じているわけではないが、この二人のように、全く無関心とまではなれない。


「高志、浴槽が広いよ。見て見て」


 浴室をのぞく麗奈の背後から、肩を抱くようにして浴室内を見た。床や壁は(まぶ)しいくらいに白く、浴槽は足を伸ばしても入れる大きさだ。二人で湯に浸かる想像をすれば未来は明るいのだが、風呂、トイレ、寝室、どこを見ても事故物件の文字が頭にちらつき、うすら寒い嫌な気分が続いていた。


 麗奈が下駄箱収納を確認している間、廊下の壁に寄りかかっていると、浴室のほうから、ピチャリと、水が床で跳ねるような音が聞こえた。


 水道の開栓(かいせん)って、引っ越しの日に合わせるものだよな……。


 あらゆる物陰に視線をはわせながら、今の音は気のせいだと自分に言い聞かせて、全神経を耳に集中させた。


 ……ピチャリ。


 なんだよ、気持ち悪いなぁ。


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