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4 美しい人

 翌週の金曜日、二時間ほどの残業を終えて帰り支度をしていると、

同じ部署の一つ先輩、川村マイに「軽く飲んでいかない?」と誘われた。


 いつもの居酒屋へ二人で入り、何品かつまみを頼んでビールを飲んでいると、ほんのり頬を赤くそめたマイが唐突(とうとつ)に、隣の部署のマネージャーへの恋心を打ち明けてきた。


 いかに彼が素敵かを滔々(とうとう)と語る生産性のない話を聞きながら、ふと気がついた。


「マネージャーって、既婚者ですよね」


 訊くと、マイはしれっとして応えた。


「そこが厄介なのよ」


 あんたね……。

 そこからは先輩後輩を忘れて、ねじ曲がったマイの恋愛飛行を猛反対した。にもかかわらず彼女は、


「だめ、会いたい。我慢できない」と、マネージャーに電話をかけはじめた。


 暴走を止めるべきなのだろうが、所詮(しょせん)は他人事。電話を取り上げてやめさせる程の熱量がこちらにはなく、店員を呼び止めて次のビールを二人分注文した。


 マイは、携帯を耳に当ててもじもじと(しゃべ)りながら、今いる店の名を言った。

 まさか、呼ぶのか? 

 視線を感じてマイに目を向けると、トロンとした上目遣いの目と目が合った。

 仕方なしに要求を()み、微笑みながら口パクでオッケーと応えて、心の中で舌打ちをした。


 金曜日ということもあり、マネージャーも近くで飲んでいたらしい。

 間もなくこの店に移動してくるという。

 マイは電話を切るなり、何を告げるでもなくバッグを抱えてトイレにかけこんだ。一緒に飲んでいる男がいることは頭になさそうだ。

 十五分経っても戻らず、口をつけていないマイの分のビールも飲みほした。

 次の注文をしようと店員を探していると、店の出入口にマネージャーが立っているのが見えた。

 その背後には、なぜか赤ら顔のススムがいて、更に後ろに女性二人が立っていた。

 そのうちの一人を見て、思わず立ち上がった。


「ええっ」


 と声を上げると、その女性と目があった。


「麗奈ちゃん!」 


 声を発したことで店内の客の視線を集め、出入口にいた麗奈以外の視線もこちらを向いた。


 四人が、談笑(だんしょう)しながら近づいてくる。

 高志は、平静を装ってマネージャーに挨拶(あいさつ)をした。

 マネージャーに、マイがトイレにいると伝えると、「俺も先にトイレ」と言って、足早に遠ざかっていった。


「タカシッチ、マイさんとデートかよ。羨ましいな」


 ススムが、ろれつのまわらない口調で言う。


「いや違う、マイさんから誘われたんだ。話しがあったとかで」


 麗奈の手前、勘違いされないように強く否定した。


 麗奈が、「お邪魔します」といいながら、前回同様、隣に腰を下ろした。

 あぁ……今日も美しい。はす向かいに座ったもう一人は、見知らぬ女性だ。


「この間会ったばかりの四人が、偶然また出会うなんて、なんだか変な感じね」


 麗奈はそういうと、上品に笑った。

 もう一人の女性に、危うく「はじめまして」と言う(すん)でのところだった。


 高志は、先週もいたという女性の顔を二度見してから、「ほんとだね」と調子を合わせた。女性の顔を忘れるなんて失礼だと反省しながらも、やはり視線は麗奈に吸い寄せられていく。


 ほどなくして、マネージャーとマイが一緒に戻ってきた。マイは、残業から居酒屋への経路をたどったとは思えないほどに完璧なメイクを施している。

 先ほどまでは眉尻(まゆじり)が消えかかっていたが、今は、朝に目にするマイの顔だ。

 一度、洗顔してから化粧をし直したのかと見紛(みまが)うほどにツヤツヤに仕上がっている。 

 恋する女だなぁと微笑ましく思えたが、恋するその目が既婚者に向けられているものだと考えると、どこか薄汚れて見えた。


 メイクが崩れようと眉がなくなろうと、熱心に仕事をするいつものマイのほうがよほど素敵だ。

 真っ赤な唇で照れ笑いする顔を見て、本来抱いていた好感が薄れていくのを感じる。同時に、男どもにも激しい嫌悪感を抱いた。


 マネージャーだけではなく、ススムも既婚者だ。既婚者がそろって独身女性と二対二で飲む合コン紛いの集いは、許しがたい犯行だ。

 ふと男二人の指を見ると、薬指から指輪が外されていた。なんてやつらだ。


 こちらは二十四歳、独身、彼女なし。対して、既婚者が指輪を外して女と飲んだくれている。

 しかも麗奈とだ! 

 彼女と再会できた喜びはさておき、こうした場にひょこひょこと顔をだしている麗奈にも、多少の腹立たしさを覚えた。

 先週のラインのやり取りは社交辞令的な挨拶で終わっていたのに、ススムとは飲みに行くまでの仲に発展していたことを思うと、嫉妬(しっと)敗北感(はいぼくかん)で髪を()きむしりたくなった。


 (くや)しいが、女慣れした既婚者どもの話術でテーブルは盛り上がり、酒もすすんだ。

 時折、ススムが麗奈との仲の良さをアピールしてくるのが不愉快(ふゆかい)だったが、下手な事をいえば嫉妬の(みにく)さが露呈(ろてい)しそうで怖い。

 笑顔を張りつけて本心をひた隠しにした。

 

 いつしか会話は、過去の恋愛遍歴(へんれき)の話となり、好みのタイプについての発表会が始まった。


 ススムが「俺は、どっぷり女に()かるタイプ。相手を好きすぎて不安になっちゃうから、ひかれるくらいベタベタしていたい。とにもかくにも彼女一色になるわけよ」と、男らしくジョッキを豪快にあおりながら、気持ちの悪いことを言い放った。

 完全な恋愛依存体質だ。


 職場でのススムは、処理能力が高く、野心の高い切れ者といった印象だが、自信のない女子が言いそうなセリフを、こうして至極(しごく)まじめに語られると、軽蔑(けいべつ)すら覚える。


「じゃあ、ススムッチさんは、奥様と今でもラブラブなんですね」


 マイは、胸の前で手を組み、(うらや)ましそうに言った。


「いや、奥さんとじゃないんだな。奥さんのラブラブ相手は、子供だけだからね」


「じゃあススムッチは、誰とのことを話しているんだよ。それ、奥さんへの裏切りだぞ」


 高志は内心呆れつつも、冗談めいた口調でたしなめた。


「そういう現実的な事を言うなよ。時には独身気分を味わってもいいだろ。変な事するわけでもなく会話を楽しんでいるだけ。ですよねマネージャー」


 ススムは、だらしのない赤ら顔でマネージャーに同意を求めた。

 高志は、女三人も笑っているのを見て、この場をしらけさせないように気持ちを切り替えることにした。


「わかったよ。じゃあ結婚は置いておいて、ススムッチが依存タイプだってのは意外だな」


「そう? よくいるじゃん、そういう男女。トイレまでくっついていっちゃうような」


 変態かよ。

 高志が眉根(まゆね)を寄せると、マネージャーが口を開いた。


「ストーカー気質の人って、そんなにいるものなのかねぇ。俺はわりと、離れている時間や距離なんかも楽しめるけどな」


 マネージャーはそう言いながら、隣に座るマイをチラリと見遣った。

 イケナイ関係のアイコンタクトにまるで気付いていない様子のススムは、前のめりになってマネージャーに言った。


「俺が思うに、男の方がストーカーになりやすいんですよ。理性が崩壊して、別れた女に復讐(ふくしゅう)する事件とか多いですじゃないですか。最近も、通り魔事件ありましたよね」


 マネージャーが、口の端をもちあげてススムを指さした。


「確か君の家は、犯行現場から近かったよな」


「近いって言えるほど近くないです。もし、もしですよ。その犯人、俺だったどうします?」


 ススムは、自分の顔を指でさしてにやついていた。


「いつかやると思ってたと、インタビューに応える」


「私もー」


 マイがマネージャーに賛同して、右手を高く挙げた。


「やめてくださいよぉ。俺、子供もいるんですからぁ」


 マネージャーは、ガハガハと豪快に笑い、女性たちを見回すようにして言った。


「君たち、こういう危なっかしいのがうようよいる物騒な世の中だから、夜道には気をつけるんだよ」


 よく言うよ。

 女性を遅くまで連れまわしているのはあなたでしょうが。

 高志は、心の中でぼやきながら、ジョッキの三分の一ほど残ったビールを一気に飲み干した。

 

 グラスをテーブルに置いた時、袖に何かが引っ掛った。

 腕を持ち上げると、ベージュのマニキュアが塗られた綺麗な手が、(そで)にぶら下がっていた。


 ワイシャツの袖をつままれているとわかり、顔を横に向けると、至近距離で麗奈と視線がぶつかった。


「高志さんの家、私と同じ方向でしたよね。途中まで一緒に帰りませんか? 男性が一緒だと心強いので」


 心の中で万歳三唱をしながら、平静を装って咳払いをした後、きどって応えた。


「いいですよ。俺はストーカーのススムッチと違って、送り狼にはならないので」


 ススムは、どう聞き間違えたのか、


「そうなんだよ、タカシッチはさぁ、結婚できないんじゃなくて、したくないんだろ」


 と、わけのわからないことを言って(から)んできた。飲みすぎだ馬鹿。


 すると麗奈が、「狼にならないのかー、残念」と、冗談っぽく返してきた。

 もうっ、そういうこと言われると、心が揺さぶられるからやめてくれ。

 罪を問われないのであれば、狼になるのは造作もない。

 気分はススムのように「おそっちゃうぞー」とアホ丸出しで襲いかかりたいところだが、理性がそれを頑として許さなかった。


 その後、一時間ほどして飲み会が終わり、麗奈と二人でタクシーに乗り込んだ。


「マイさんは、高志さんの彼女さんですか?」


 唐突(とうとつ)に聞かれ、慌てて否定した。ついでに、現在彼女がいないことも補足した。


「でも彼女、高志さんのこと好きですよね。私と二人で帰るのを見て悲し気な顔をしていましたよ」


 それは確実にないと断言できるが、口にはしなかった。

 モテ男の印象をもたれているのも悪い気はしない。


「今日は、皆で飲もうとススムさんから誘われたんですが、てっきり高志さんもいると思って、最初がっかりしちゃいました。あ、これススムさんには内緒ですよ。けど、結果的に会えたから良かった」


 麗奈の視線がゆっくりとこちらを向くのが分かった。横を見ると、上目遣(うわめづか)いの黒目がちな瞳と目が合い、鳥肌が立つほどの喜びを感じた。

 高校、大学、社会人と、いたって人並みに送ってきた人生に、スポットライトが当たった瞬間だった。


 薄暗いタクシーの中でも、麗奈が(まぶ)しくみえる。

 心の中では、やかましく鐘が鳴り響き、ものすごい数の白鳩が音をたてて羽ばたいていた。


 脈ありとみた会話から自信がわき、思い切ってデートに誘った。今夜が酒の席でよかった。しらふでは絶対にこの勇気は出なかっただろう。


 麗奈は、こちらが不安になるような間をあけることなく、首を(たて)に振って微笑んだ。抱きしめたい衝動に()られたが、運転手の手前、ぐっとこらえる。


 身体の線が細く可憐(かれん)な麗奈は、意外にも運動好きとのことで、初デートはバッティングセンターに決まった。

 ショッピングやおしゃれなカフェではなく、彼女のほうから地元のバッティングセンターに行きたいと言われた時は、思わず訊きなおした。

 見た目とのギャップが、好感度をうなぎ上りに高めていく。

 

 今後、夢中になっていくであろう自分の未来がはっきりと見えた。


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