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18 セカイノオワリ

 桃子が部屋を出てから一時間が経過した。

 夜のカーテンが下りようとしている窓の外を眺めていると、桃子が戻ってきた。


「おかえり、隣、犬いなかった?」


「いたー。すっごくかわいかった。まとわりついて離れないの。撫でられないのが残念」


 ったく、どいつもこいつも。

 なんで俺だけ敵視されるんだ。  


「それで、倫太郎は何て?」


「うん……。あの……ごめんなさい」


 桃子は、顔の前で手を合わせた。


「予想してたから大丈夫。行ってくれてありがとう」


「ごめんね」


 桃子は眉を寄せて頭を下げ、高志の横に座った。


「あの子ね、やっぱりいじめられてるって」


「え、あいつがそう言ったの?」


「うん」


 奴が他人に身の上話をするとは思えない。けれど、桃子が相手だと話してしまうのもわかる気がした。

 


 夜の8時過ぎに、麗奈が帰宅した。

 すぐにルームウェアを手に、風呂場へ向かった。

 一時間ほどして、髪をタオルで拭きながらリビングに戻ると、部屋にチャイムが鳴り響いた。

 

 インターホンの画面いっぱいに、不機嫌顔の倫太郎が映っている。


「隣の者ですけど」


 ふてくされた声が聞こえ、それを聞きつけた桃子が、リビングに入ってきた。


「はーい、今でますね」


 麗奈は、姿見に近寄って前髪を手ぐしで直してから、玄関に向かった。高志と桃子も後を追った。


 扉が開くと、眉間にしわを寄せて口を真一文字に結んだ倫太郎が立っていた。

 高志は、麗奈の後ろからすかさず声をかけた。


「伝えてくれる気になったのか、サンキューな」


 倫太郎から、あからさまな舌打ちが聞こえた。

 究極のツンデレかよ。


「桃子さんに頼まれたから」


 おそらく、俺に向けて答えたのだろうが、麗奈が応じた。


「え? なに?」


「桃子さんです。その人から伝言があります」


 どうやら、桃子と麗奈が知り合いだと勘違いして話しているようだ。


「違う! 桃子じゃなくて俺の名前を言ってくれ。俺の名を」


 倫太郎は、眉の皺を深めて続けた。


「亡くなった彼氏が、お姉さんに伝えたいことがあるみたいです」


「え……」


 麗奈は、顔に警戒の色をみせて、倫太郎を見下ろしている。


「渡したかったものがあるそうです」


「私に?」


「はい。それで場所は」


 倫太郎が隠し場所を言いかけたところで、高志は遮った。


「指輪って言わないでね。麗奈を驚かせたいから」


 先ほどよりも大きな舌打ちが聞こえた。


「ああ……と、場所は……」


 言いよどむ声を聞いて、はっとした。


 倫太郎は、指輪の隠し場所を知らない。おそらく今、俺の言葉を待っている。


 まずいぞ……。


 まさか、こんな唐突に進展するとは思っていなかったため、言葉を詰まらせた。


 指輪は、麗奈が見ない場所を選び、寝室の収納棚の引き出し、コンドームの箱下に隠した。

 どうする。早く言わないと。


 これ以上の無言は厳しいと判断し、仕方なしに伝えた。


「寝室の棚の……二段目引き出し……アレの下って言ってもらえるかな。――倫太郎、ごめん」


 前もって謝罪の言葉を付け足した。倫太郎は、なにを疑うでもなくそのままを口にした。


 麗奈は、考えているような表情で首を傾げた後、顔を赤らめた。


「どうして、君がその場所を知っているの?」


「聞いたので」


「彼に?」


「はい。では」


 倫太郎は、軽く一礼して廊下を歩きだした。高志は慌てて呼び止めた。


「倫太郎、ちょっと待って。もう一つ伝えたいんだ。トイレ、トイレにも」


 倫太郎は、言葉が終わらないうちに嫌悪むき出しの顔で振り向いた。


「あと、トイレにも隠しているそうです」


 高志は、全身の血の気が引くのを感じた。


 トイレのはプレゼントじゃない。この流れでは、大変な誤解を生むことになる。


「え、トイレに何? あなたが何かを隠したの?」


「違います。僕ではなくて、……ええと」


 高志は、倫太郎の横へ走り、大声で否定した。


「倫太郎、トイレのは違うんだ! 注意してほしいだけなんだよ」


「……忘れた」


 倫太郎がポツリと言うと、麗奈が眉間にしわを寄せて訊いた。


「何を?」


「男の名前……」


 倫太郎は、冗談か本気かわからない顔で首をひねっている。


 こいつ、まじだ。

 高志は、焦りと腹立たしさから、喚くように言った。


「おまえ最低だな。高志だよ! たかしっ!」


 倫太郎の顔が般若の形相になった。やばっ。

 慌てて口調を戻した。


「いや、名前なんて忘れるよな。ごめん倫太郎君。あのね、聞いて。トイレに盗撮用のカメラがあるんだ」


 すると、倫太郎は、苦虫をかみつぶしたような顔をして言った。


「最低はあんただろ」


 高志が言い訳するより先に、麗奈の方が返事をした。


「え、今なんていったの?」


「何でもありません。それから、名前は高志です」


「え……っと、高志がトイレになにを?」


「わかりません。自分で探してください」


 高志は、倫太郎の口をふさぐようにめちゃくちゃに手を振って否定した。


「違う! だからトイレのは違うんだってば!」


 倫太郎は、もうこれ以上は話しませんといった態度で、再び歩き出した。

 すぐさま訂正を求めて追いかけると、桃子の声が聞こえた。


「麗奈さんがトイレに入っちゃう!」


 慌てて805号室に駆け戻った。

 麗奈がトイレ方向へ歩いているのを見て、


「わああああああっ」

 と叫んだ。

 生きていたら、おしっこを漏らしていただろう。

 

 頭を掻きむしって騒いでいると、麗奈は予想に反して、トイレの前を通り過ぎていった。

 そのまま廊下を進み、小走りでリビングを抜けて寝室に入っていく。

 

 タンス二段目の引き出しを開けて、動きを止めた。

 コンドームは引き出しの右側。

 麗奈の視線が、右を向いている。


「やだぁ、なにあの子」


 麗奈は、言いながら箱を掴み上げた。


 これでは、コンドームの置き場所を隣人に知られているという恐怖心を与えただけだ。


「桃子ちゃん、どうしよう!」

 後ろの桃子を振り返ると、視線をすっと逸らされた。無言の非難を感じる。

 

 麗奈は、箱の下の見知らぬモノに気がついたらしく、小箱を手に取り、床に座り込んだ。

 膝の上に置いた箱の蓋を、ゆっくり開けた。


 うつむいたまま、動かない。


 濡れた髪が頬にかかり、表情は見えない。


 ――見たくなかった。


 予想していたサプライズの画とあまりにもかけ離れているせいで、渡せた喜びは少しもない。

 二人の幸せを詰めたはずの小箱には、ただの指輪が残っている。


 麗奈は、箱からそれを取り出して、自分の手で左の薬指にはめた。

 指輪を覆うように右手を重ね、その手を胸に引き寄せて涙を流した。


 高志は横にしゃがみ、背中の位置に手を当てた。


「麗奈……俺と、結婚……」


 何度も練習した言葉があまりにも重く、最後まで言えない。


 伝えることができないもどかしさが悲痛な叫びとなり、その声は泣き声に変わった。

 生きたかった。

 麗奈と、一緒に生きていきたかった。

 人は乗り越えられる試練しか与えられない、という言葉を聞いたことがあるが、これはあまりに残酷すぎる。

 短い人生で培ってきた忍耐力では、とても耐えられそうにない。

 

 以前は笑いで満ち溢れていた寝室に、鼻をすする暗い音だけが響いていた。


 ふと後ろを見ると、いつのまにか桃子の姿はなかった。


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