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第三章 集合意識の調べ

 夢から覚めた翌朝、三人は食堂で朝食を取りながら、昨夜の共通の夢について静かに語り合いました。他の生徒たちには聞こえないよう、声を潜めながら。


「あの光のネットワークは、本当に美しかったわね」


 詩織が、パンにジャムを塗りながら、夢見るような表情で言いました。


「ええ、そして、あの中で私たちが果たすべき役割も、はっきりと理解できた」


 澄香が、紅茶を一口飲んでから続けました。


「科学と芸術と直感……三つの道を通して、真理を人々に伝えること」


「でも、具体的にはどうすればいいのかしら」


 理央が、眼鏡を掛け直しながら考え込みました。


「私たちは、まだ学生よ。社会的な影響力もない」


「焦る必要はないと思うわ」


 澄香が、穏やかに微笑みました。


「まずは、私たち自身が、この新しい認識を深めていくことから始めましょう。そうすれば、自然と道は開かれるはず」


 その日の午後、三人は再び図書館に向かいました。今度は、心理学と哲学の棚を中心に、様々な文献を集めました。


「ユング博士の『集合的無意識』について、もっと詳しく調べてみましょう」


 理央が、厚い心理学書を開きながら言いました。


「そして、東洋思想の観点からも調べてみたいわ」


 詩織が、仏教哲学の本を手に取りました。


「禅の思想や、ヴェーダンタ哲学なども参考になるかもしれません」


 澄香は、直感に従って、神智学協会の機関誌を選びました。そこには、ブラヴァツキー夫人やアニー・ベサント女史の論文が掲載されていました。


 三人がそれぞれの文献を読み進めるうち、驚くべき共通点が見えてきました。


「ユング博士は、人間の無意識の最深層に、全人類共通の『元型』が存在すると主張しているのね」


 理央が、興奮を抑えながら要約しました。


「そして、特定の条件下では、個人の意識がこの集合的無意識と直接接触することができるとされている」


「禅の思想でも、似たような概念があるわ」


 詩織が、別の本から顔を上げました。


「『一心』と呼ばれる、すべての存在の根源となる意識のことね。個人の心は、この一心の表れに過ぎないとされているの」


「神智学では、『宇宙意識』について詳しく論じられているわ」


 澄香が、機関誌のページをめくりながら言いました。


「すべての存在は、根本的には一つの宇宙的な意識の現れであり、進化と共に、その真実に気づいていくとされているの」


 三人は、目を見合わせました。西洋の最新心理学、東洋の古代哲学、そして神智学という、全く異なる分野の思想が、同じ真理を指し示していたのです。


「これは偶然ではないわね」


 理央が、興奮で頬を赤らめながら言いました。


「きっと、時代が変わろうとしているのよ。人類全体が、新しい意識のレベルに到達しようとしている」


「そして、私たちは、その先駆けなのかもしれませんわね」


 澄香が、窓の外の秋空を見つめながら呟きました。


 その時、図書館に、美しいピアノの音色が響き始めました。音楽室は図書館から少し離れた場所にあるため、通常はこれほどはっきりと聞こえることはありません。


「誰かしら……」


 詩織が、耳を澄ませました。


 演奏されているのは、ショパンの『ノクターン第二番』でした。しかし、その演奏は、ただ美しいだけではありませんでした。まるで、演奏者の魂が直接音楽となって流れ出しているかのような、深い感動を呼び起こすものでした。


「行ってみましょう」


 澄香が立ち上がりました。


 三人は、音楽室に向かいました。ドアを静かに開けると、一人の少女がピアノに向かっているのが見えました。それは、一年生の桜井響子でした。


 響子は、普段はとても内気で、ほとんど誰とも話をしない少女でした。しかし、今、ピアノの前の彼女は、まるで別人のように輝いて見えました。


 曲が終わると、響子は、はっと我に返ったような表情を見せました。そして、三人の存在に気づくと、真っ赤になって立ち上がりました。


「す、すみません……勝手にピアノを……」


「いえいえ、とても美しい演奏でした」


 詩織が、優しく微笑みかけました。


「でも、少し変わった感じがしたわ。まるで、あなたではない誰かが演奏しているような……」


 響子は、さらに頬を染めました。


「それが……最近、ピアノを弾いている時、不思議な感覚になることがあるんです」


「不思議な感覚?」


 澄香が、興味深そうに尋ねました。


「はい……まるで、どこか遠くから、美しい音楽が流れてきて、それを私の手が受け取って、ピアノで表現しているような……」


 三人は、驚いた表情で顔を見合わせました。


「響子さん」


 理央が、慎重に尋ねました。


「その感覚は、いつ頃から始まったの?」


「三日前の夜からです……空に綺麗な光が見えた夜から……」


 オーロラが現れた夜。三人が初めて手を繋いだ夜でした。


「もしかすると……」


 澄香が、小さな声で呟きました。


 その時、音楽室のドアが再び開かれました。現れたのは、二年生の田中聡美でした。彼女は普段、数学が大の苦手で、いつも理央に質問をしに来る生徒でした。


「あ、理央先輩……」


 聡美は、少し戸惑ったような表情を見せました。


「実は、お聞きしたいことが……」


「何かしら?」


 理央が、優しく微笑みかけました。


「それが……昨日の夜から、数学の問題を解いている時、急に答えが頭に浮かんでくるようになったんです」


「答えが?」


「はい……まるで、どこかから教えてもらっているような感じで……でも、その解法は、私が習ったものとは全然違っていて……」


 聡美は、ノートを取り出して見せました。そこには、確かに正解が書かれていましたが、その解法は、高校レベルを遥かに超えた、大学の数学で使われる高度な手法でした。


「これは……」


 理央が、驚愕の表情を浮かべました。


「微分幾何学の手法ね……聡美さん、あなた、これをどこで習ったの?」


「習っていません……ただ、頭の中に、自然と浮かんできたんです」


 澄香、理央、詩織は、再び顔を見合わせました。響子の音楽的直感と、聡美の数学的直感。二人とも、オーロラの夜から、自分の能力を超えた知識にアクセスできるようになっていたのです。


「お二人とも」


 澄香が、決意を込めて言いました。


「今度の日曜日、私たちと一緒に、特別な勉強会をしませんか?」


「勉強会?」


 響子と聡美が、同時に尋ねました。


「はい……でも、普通の勉強会ではありません」


 詩織が、神秘的な微笑みを浮かべました。


「私たちの心と心をつなげて、もっと大きな智慧にアクセスする方法を、一緒に探求してみませんか?」


 響子と聡美は、少し戸惑いながらも、興味深そうに頷きました。


 その日曜日、五人は学校の裏山にある小さな教会堂に集まりました。そこは、普段は使われていない、静寂に満ちた場所でした。


「まず、心を静めて、深く呼吸をしましょう」


 澄香が、円を描くように座った五人の中央で、優しく指導しました。


「そして、一人ひとりの心の境界を、ゆっくりと溶かしていくのです」


 最初は、何も変化を感じられませんでした。しかし、十分ほど経つと、不思議な感覚が生まれ始めました。


 響子は、自分の心の中に、美しいメロディーが流れ始めるのを感じました。しかし、それは一つのメロディーではありませんでした。数学的な論理の美しさを表現する理央の内なる音楽、詩的な言葉の響きを奏でる詩織の心の歌、そして、すべてを包み込む愛の波動を持つ澄香の魂の調べ。


 聡美は、複雑な数式が、まるで生きているかのように踊り始めるのを見ました。その数式は、音楽の美しさを表現し、詩の韻律を示し、宇宙の調和を表していました。


 理央は、自分の愛する数学が、音楽や詩と同じ源泉から生まれていることを、直接体験しました。


 詩織は、言葉の向こう側にある、純粋な美と愛の世界を垣間見ました。


 そして澄香は、五人の心が一つになって、さらに大きな意識の海につながっていく過程を、はっきりと感じ取っていました。


 やがて、五人は同じビジョンを共有し始めました。


 光の糸で編まれた巨大なネットワークが、地球全体を覆っています。そのネットワークの各結節点は、人間一人ひとりの意識を表していました。そして、そのネットワーク全体が、一つの巨大な生命体のように、脈動しているのです。


 五人の意識は、そのネットワークの一部として、美しく輝いていました。そして、彼女たちを通して、新しい種類の智慧が、ネットワーク全体に流れ始めていることも分かりました。


「見えます……」


 響子が、夢見るような声で呟きました。


「みんなの心が、光の糸でつながって……」


「そして、その光の中を、知識と愛が流れている……」


 聡美が、感動で声を震わせました。


「これが、私たちの真の姿なのね」


 理央が、科学者としての冷静さを保ちながらも、深い感動を隠せませんでした。


「個人でありながら、同時に全体でもある……」


「そして、私たちは、この新しい意識の時代の、最初の証人なのですわ」


 澄香が、希望に満ちた声で言いました。


 その体験は、約一時間続きました。元の意識状態に戻った時、五人は皆、言葉では表現できない充実感と使命感に満たされていました。


「これから、私たちはどうすればいいのでしょう?」


 響子が、まだ興奮の冷めない声で尋ねました。


「まずは、この体験を大切に育てていくことです」


 澄香が、一人ひとりを見つめながら答えました。


「そして、それぞれの分野で、この新しい智慧を表現していくのです。響子さんは音楽で、聡美さんは学問で、理央さんは科学で、詩織さんは芸術で」


「そして、少しずつ、他の人たちにも、この可能性を伝えていけたらいいわね」


 詩織が、希望に満ちた表情で言いました。


 その日から、五人の絆はより深くなり、それぞれの能力も飛躍的に向上しました。しかし、彼女たちは、自分たちだけの特別な体験として秘密にするのではなく、適切な時期に、より多くの人々と分かち合う準備を始めたのです。


 集合意識の調べは、静かに、しかし確実に、聖ソフィア女学校から世界へと広がり始めていました。



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