第1話 社交界前の控室で着飾った妻を褒めるのは難しい
毎月、学園主催で社交界が行われる。
学生同士の交流を大切にする……なんて大義名分こそ語っているが、言葉を飾らないなら婚活パーティだ。
社交界が近づくにつれて、学園中の生徒がドレスの準備やダンスレッスンで浮足立つ。
それを尻目に、1人黙々と勉強に励むというのが、この時期の定番だった。
……なのに、
「どうして参加しなきゃならないのか」
社交界の会場近くにある控室の前で、やけに重たいため息が零れた。
あくまで自由参加。
入学当初1度参加してみたが、あまりの場違い感にすぐ帰ったのは記憶に新しい。
上辺を取り繕って、財産や家族構成その他お前の価値を教えてくださいません? という、やり取りは傍で聞いているだけでも気が滅入る。
「2度と来ないと決めてたのに」
もう1度ため息を吐いて思い出すのは、庭園で告げられた『絶対参加』というユーリからの誘いという名の命令。
勘弁してくれよと断ったのだが、笑顔で詰められるのはどうにも弱い。
「顔がよすぎる」
美人に弱いのは男の性なのか。
情けないと肩を落としつつ、部屋の扉をノックする。
待ち合わせの控室の中から、『入りたまえ』というユーリの声が聞こえてきた。
「やっぱり、帰っちゃ――」
と、部屋に入ってさっそく泣き言を口にしようとしたけど、その言葉はユーリの姿を見て霧散する。
「よく来たね」
部屋の中で出迎えたのは、ドレスで着飾ったユーリだった。
夜空を切り取って作り上げたような、紺色のドレス。
肩と胸元が出る大胆なドレスだが、下品に見えないのは彼女の淑やかさゆえだろうか。
「入ってきて早々帰る相談とは、君らしいがもちろんいけないよ」
「……」
「ここまで来たんだ。諦めて一緒に……? どうかしたかい?」
「は、え、なにが?」
「なにがって、ぼーっと私を見ているから……あぁ、なるほど?」
最初、ユーリは不思議そうにしていたが、話している最中に察したように声にからかいが乗る。
その反応で我に返ったけど、なにもかも手遅れだった。
「もしかして、私のドレス姿に見惚れてしまったかな?」
ユーリは視線を誘うように、開いた胸元にそっと両手を添える。
均整の取れた白い柔肌に目が行って、慌てて目を背ける。
けど、その態度が気持ちを白状しているようなものだった。
くすくすとユーリの楽しそうな笑いが、俺の顔を熱くさせる。
「君もやっぱり男なんだね」
「うるさい」
「ふふっ、失礼」
居た堪れなくなってぶすくれると、「ところで」とユーリが俺の逸らした視線の先に回り込んできた。
「着飾った女性に感想を伝えるのは、男性の努めだと思うけれど?」
「今の俺に言わせるのか?」
「言葉にしないで伝わる気持ちなんて、この世に存在しないと思わないかい?」
婉曲だ。
それこそ察してくれという態度そのものだろうに、なんとも意地が悪い。
微笑みながら、ユーリは俺の言葉を待っている。
頭が逆上せて倒れそうだった。
いっそ倒れられたら、感想を言うことも、社交界に参加することもなくなるかなと思うが、残念なことに貧乏で鍛えられた俺の体はそこまでやわじゃなかった。
でも、期待する蒼い瞳には耐えられなかった。
「似合ってるよ」
「それだけ?」
いじめっ子め。
「綺麗だ。ちょっと大胆だとは思うけど、紺のドレスはユーリの銀髪に映える。星の河みたいで、ずっと眺めていたくなる」
「ふふふっ、そうか、そうか」
噛みしめるようにユーリが呟いた。
微かに白い頬が紅潮して見えるのは、彼女にも羞恥心があったということか。
「ありがとう。嬉しいよ」
からかいを引っ込めて、照れくさそうに化粧した目元を緩める。
「なんだろうね。褒められ慣れているのに、君の言葉は素直に嬉しくなる。やっぱり、旦那様だからかな?」
「偽装、な」
照れられるとこっちまで恥ずかしくなる。
なにより、嬉しさで相好を崩すユーリは大人びた雰囲気は鳴りを潜め、素の無邪気さがあった。
いつもの凛とした美しさとは違う可愛らしい反応に、余計目が惹かれてしまう。
「旦那様も礼服が似合っているよ」
「はいはい」
その程度の褒め言葉に嬉しくなってしまうのが嫌で、ぶっきらぼうな態度を取ってしまう。
でも、機嫌のいいユーリは気にせず、「でもタイが曲がっているね」と不用意に距離を詰めて手を伸ばしてくる。
ふわりと、かおる香水に心臓が跳ねる。
「ふふっ、こういうのも恋人っぽいと思わないかい?」
「どっちかというと夫婦だろ」
「婚約者だから、間違ってないね」
偽装だと付け加えるのにも、もう疲れた。
それに、密着するくらい距離が詰まったせいで、胸元が覗けてしまう。
ささやかな谷間から目と意識を逸らして、話を本題に切り替える。
「そもそも、今日の社交界に俺が参加する必要あったのか? 十分噂は広まっただろう」
ここ最近の学園の話題は公爵令嬢のお相手で持ち切りだ。
それが俺というのは、意外なことにそんな広まっていない。
ただ、ユーリに特定の相手ができたというのは浸透していた。
「必要だとも。社交界できっちり君が私の婚約者だと、あの方に宣言しておかないとね」
「? あの方って」
「……できた」
ユーリは俺のタイを直し終わると、ぽんっと軽く叩いて微笑む。
「では、エスコートしてくれるかな? 旦那様」
誤魔化されたような気もするが、深く追求する理由もない。
差し出された手に手を重ねる。
「行きたくなーい」
「ふふっ、私もだよ」
共感を得ながらも、並んで控室を出る。
貴族の世界。
地獄のような社交界が幕を開ける。