第3話 石炭が好き
食堂で振る舞われている料理は、多種多様だった。
酒はもちろん、肉に魚、山の幸と使われている食材も豊富で、なによりリンゴを使ったパイは絶品だ。
「甘い、とろとろ、濃厚」
「幼児退行しているよ、旦那様」
ユーリに呆れられるが、仕方ないだろう。
実家でもパイは作ったりしたが、バターも砂糖も高級品だ。貧乏貴族を地で行くリュウール子爵家では、使われることなんて稀である。そのため、砂糖もバターもふんだんに使ったリンゴのパイは、まるで別の料理のように舌を幸せにした。
「これが貴族か……」
「君も貴族だろうに」
「実情がなー」
パイを咥える。
まだまだ、高級品に手を出せるほどではなく、貴族と名乗るのにも抵抗がある。
「本格的に金の採掘が始まれば、岩塩を舐めるだけの日々ともさようならだろ?」
「……そこまで貧しいわけじゃないけど」
俺はどんな目で見られているのだろうか。
とはいえ、ユーリの指摘は正しく、生活が一変する可能性はある。
「実感が湧かないんだよな」
さくり、とパイを噛む。
生まれてこの方、富んだ瞬間なんてなかった。祖父から始まった黄金時代は、父の代で夢の泡のように割れてしまった。残された金の財宝はなく、そういう恵まれた時代があったという栄光を寝物語に聞くくらいだった。
それが突然、舞い戻ってくるかもしれないと言われたところで、なかなか飲み込めるものじゃない。
「もっとパーッと騒いでもいいと思うがね、『俺が王様だー!』って」
「黄金に目が眩んでるどころじゃないな」
王族のいる学園でそれを叫べるのは、勇者か愚者だけだ。
「そういう謙虚さも、旦那様らしいけどね」
ユーリが砂糖漬けの赤い果実を、俺の唇に触れさせる。
「こういう甘い菓子が毎日のように食べられると思えば、少しは実感も湧くんじゃないかな?」
「身の丈に合わない贅沢は身を滅ぼすと思うけど」
事実、人生の大半を金に捧げた祖父は、金とともにあの世へ旅立った。
俺は当人を知らないが、最後まで金に執着した男が、はたして幸福であったのかは甚だ疑わしい。
「ん?」
「……あむ」
口に含んだ果実は甘く、酸っぱい。
この状況が、俺の身の丈に合った幸せかどうかもわからない。
◆◆◆
食堂から出て学園内を巡ると、どこもかしこも華やかだった。
道々には、雪の上で咲くように色鮮やかな花々が飾られ、動物や天使を模した雪像が広場に作られていた。市のように露店も並び、けれど、街とは違って並ぶのは目も眩むような宝石ばかりだ。
鉱輝祭とはよくいったもので、まず庶民が目にすることはない輝きの展覧会だった。
「目移りするというか、眩しすぎて見てられないな」
「いい色のルビーがあるね」
目がチカチカしていると、ユーリに引っ張られる。
上等な布の上に安置されているのは、大粒のルビーだった。薔薇の蕾のようにカットされた紅玉が、陽の光を吸い込んで内から輝いているように見える。
店番なのか、制服を着た生徒らしき女子生徒が、笑顔を向けてくる。
話しかけてこないのは、ユーリアナが公爵家の者だとわかっているからか。身分が上の者に、自分から話しかけるのは控えるべき、という不文律はある。
接客なら許されてもいいと思うが……難しい判断ではあるか。
「大粒で、透明度も高い。ブローチにするのも悪くないな」
「ルビーのブローチ……」
どれだけのお金がかかるだろうと、計算しようとしたが、そもそも、ルビーを購入する段階で途方もなくなって瞼を閉じた。
一応、それとなくルビーを購入する場合の価格を訊いてみると、王都で家が買える価格を筆談で提示されて、手が届くどころか見ることすら恐れ多くなる。
わかっていたけど、買えるわけがない。
ふ、と諦めにも似た笑いを零すと、ユーリが手を繋いだまま、腕を絡めてくる。
「これを買える甲斐性は、いつかの君に期待するよ」
「どの俺だ」
「……私と結婚した旦那様?」
それはユーリの金で買ってるな。
ただの穀潰しだ。
ありがとう、と店番の女性に伝えると、にこっと笑顔で見送られる。
そのままエスコートするように腕を組んで歩いていると、「ユーリアナ様」と声をかけられた。手作り感漂う、子どもが描いた絵のような看板がある屋台から、サンドリーヌ嬢が笑顔で迎えてくれた。
「ご機嫌よう、御二人とも鉱輝祭は楽しまれていますか?」
「見た通りだ」
ユーリが俺の腕を引くと、サンドリーヌ嬢は「羨ましいですわ」と微笑む。
「私にも許嫁はおりますが、『貴族が店番なんてとんでもない!』と、喧嘩をしてしまいましたの」
「ほう、それは狭量な男だ。いまのうちに捨てることをおすすめするよ」
「あら? 譲ってくださるの?」
そう言って、サンドリーヌ嬢が熱っぽい流し目をくれる。
貴族令嬢の冗句は恐ろしい。
どう答えても不利益を被る質問に、脂汗が額に浮く。
ただ、ここで黙っている方が後々厄介なことになるのは、実家でも経験済みだ。妹にしろ母親にしろ、女性に対して逃げの一手というのは悪手に他ならないのだから。
「申し訳ありません、サンドリーヌ嬢。これでも、私は一筋ですので、あまりからかわないでいただきたい」
「あら」
と、目を丸くするサンドリーヌ嬢。
けどすぐに、今度は本当に羨ましそうに目元を緩めた。
「素敵な旦那様ですのね」
「ふふふ、そうだろう?」
どうやら正解だったらしい。
機嫌がよくなったユーリを見て、へふ、とバレないように詰まった息を吐き出す。
彼女たちにとっては茶飲み話と変わらないんだろうけど、笑顔の鍔迫り合いみたいなのはやめてほしかった。心臓に悪い。
上機嫌なユーリが「なにか買っていこう」と言うので、品物を覗くついでに気になっていることを訊いてみた。
「店番をすることで喧嘩をしたと仰っていましたが、そもそも、どうして店番をすることに?」
「まぁ、クルール様がそれをお訊きになりますのね?」
どういうことだ?
首を傾げる俺に、彼女は笑顔で説明してくれる。
「以前、自分の手でやるから楽しいと仰っていたでしょう? ですので、私もユーリアナ様の真似をして、看板を自分の手で作ってみましたの」
ちらりと横目で見た看板は、職人が作ったというには拙く、字はやたら綺麗なのに、描かれた黒い宝石? の絵は黒い塊にしか見えない。やたらめったら背景に多くの色を使っているから、目に痛いくらいで、内容がまったく入ってこなかった。
確かに手作りっぽいよな。
その出来栄えとは別に、サンドリーヌ嬢は満足そうだった。
「最初はどうかしら? と思ったのですが、実際にやってみると楽しかったもので、ユーリアナ様が店番もやると伺ったので、私もと思いましたわ」
「そう、ですか」
ちら、とユーリを見ると、「わー綺麗」と白々しく黒い宝石に目を落とした。
天幕に隠れて、店番なんてほとんどしてないからな。
こうして、ずっと立っていただろうサンドリーヌ嬢とは比べるまでもない。
「他の方もやっておりますし、今日は“私たちの鉱輝祭”という気がして、本当に楽しいですわ」
白い歯を見せて笑う彼女の言葉は本心なのだろう。
そういえば、さっきルビーを展示していたのも女子生徒だった。
また予期せぬ流行を広めてしまったと、リオネル殿下に申し訳なくなるが、楽しそうなサンドリーヌ嬢を見ているとこれでいいのかと思う。
そうして買った黒石を、ユーリはそのまま持ち帰る。
本当は見本でその場で手渡すものじゃないはずだが、サンドリーヌ嬢が『どうぞ、持っていってください』というので厚意に甘えることにした。
陽の光で透ける黒石は、闇を溶かしたような美しさだった。
「黒曜石か?」
「いや、ジェットだね。黒玉とも呼ばれる、石炭の一種だ」
「石炭」
これが? と驚くくらいには宝石にしか見えなかった。
「宝石と言う者もいるが、石炭ではある。宝石賛美のこの国では軽視する声も大きいが……私は好きだよ。ただの黒い石が、磨かれることによって宝石にも負けない輝きを放つその姿がね」
旦那様そっくりだ、と黒玉を俺の目の前に置く。
宝石にも見えるそれと似ていると称するのは、あまりにも過大評価に思える。
ただ、
「そうあれたらいいな」
とも思う。
それを謙虚と受け取ったのか、ユーリは「なっているさ」と言って組んだ腕を強く抱きしめてくる。
「旦那様はもう少し自信を持つべきだね」
「目下鋭意努力中」
逃げの返答にもユーリはただ笑って、楽しい鉱輝祭の散策を終わらせる。
さて、仕事だぞと大広間に戻ると、にわかに騒がしい。
だというのに、静まり返っているのだから、矛盾する空気に胸騒ぎがする。
ユーリも不穏な空気を感じ取ったのか、目元を険しくしていると、店番を任せていた手伝いの男が慌てて駆け寄ってきた。
「た、大変ですっ! あの、ユーリアナ様の……っ」
「落ち着きなさい。なにがあったのか話を――」
「なにかしたのは君だろう、ユーリアナ」
厳かで、無機質な声だった。
耳を氷に埋めたような冷たい感覚に、背筋が震える。
手伝いの男の後ろから現れたのは、背の高い、細身の男性だった。一目見ただけで貴族とわかる品があり、真っ直ぐに伸びた背筋が彼をより大きく見せている。
ユーリの隣にいる俺なんか路傍の石のように目に入らず、彼女を見下ろすその冷たい瞳は深い蒼色だった。
誰か、なんて問うまでもない。
「……お父様」
「久しいね、ユーリアナ。君の反抗は終わったかい?」
言葉を失うユーリに、ユーリの父――アルローズ公爵は親子の情を感じさせない冷ややかな声音で、ただ確認をした。
雪解けは、まだ遠く。
学園に吹雪が到来する。
◆第10章_fin◆
__To be continued.






