第2話 side.リオネル 失敗を想定する価値
憂いも去り、クルールとユーリアナ嬢が席を立って退室していった。
誰もいなくなった部屋で、ようやく肩の力を抜く。ソファーに体を預けて、長く息を吐き出す。
「失敗に慣れている、か」
そう自嘲するクルールを瞼の裏に描くと、く、と小さく笑いが漏れてしまう。
「それを堂々と言える価値を、彼は知らないのだろうな」
貴族は見栄を張る。
だから、失敗はしないと自信満々に嘯く。私は成功しかしてこなかったと語る者のなんと薄っぺらいことか。
もし、事実だとしても、それはなにもしてこなかったと宣言しているようなものだ。そのような愚か者に大切な仕事を任せられるはずもない。
失敗を想定し、動く。
己の失敗を認めようとしない貴族たちにはないもので、貴族制という生まれながらの特権階級が生み出す弊害でもある。自分は特別な存在だ、という特権意識を抱く者が生まれやすい。
そうした自惚れた者たちをまとめ、傾いた国を立て直すというのは困難を極める。頭の痛い日々だが、クルールのような実直な貴族に出会えたのは幸運なのかもしれない。
「ふっ」
クルールを取り合う、ユーリアナ嬢とのやり取りを思い出す。
あれは面白がったものであったが、存外、冗談ではないのかもしれない。
あのユーリアナ嬢と取り合うというのは、なかなかに骨が折れそうだが、国に必要であればやる。
――私は王国第二王子なのだから。
「なにを1人で悦に浸って笑っていらっしゃるんですか?」
不意な声に表情を硬くする。
見れば、去っていったはずのユーリアナ嬢が入口でしかめっ面を浮かべて、私を見ていた。
驚きとともに、醜態を晒した事実にため息が出る。
「……卿らは、揃って人の隙を窺わねば気が済まないようだ」
「旦那様と一緒というのは嬉しいですね」
皮肉なのだが、クルールと揃いというだけで、ユーリアナ嬢にとっては喜ぶべきことであるらしい。打って変わって赤らんだ表情からも、その言葉が嘘でないのが伝わってくる。
――以前はこうではなかったのだがな。
人をからかって楽しむ節は以前からあったが、そもそも人付き合いが嫌いだった。
社交界デビュー後も、社交の場に顔を出すことは少なく、姿を見せても壁の花となっていた。
それがこうも他人への好意を示すようになるとは。
以前の彼女を知っている者ほど驚くだろう。
最初は私への反抗、当てつけだったのだろうがね。
子どものようなことをする、と思っていたが、それがいつしか本物になるとは考えもしていなかった。それをよい変化と呼べるようになるのは今後次第だろうが、昔よりも生き生きとしているのは間違いない。
ただ、ユーリアナ嬢は公爵令嬢だ。
いつまでも夢を見てはいられないはずだが……本当のところ私は、彼女たちにどうなってほしいのかな。
「ユーリアナ嬢、なにか用か? まさか、私の醜態を見に戻ってきた、とは言うまいな?」
「そうですが?」
「……」
なに当たり前のことを?
そのような顔をされて、咄嗟に言葉が出てこなかった。厚かましい……いや、不遜が正しいか?
「クルールの苦労が忍ばれる」
「私と旦那様は相思相愛の仲睦まじい夫婦ですよ?」
否定しているようで、否定しないのは自覚があるからか。
ユーリアナ嬢に婚約を迫っている私が言えたことではないが、美しくとも謙虚さとはかけ離れた女性に好かれるクルールは大変だろうと同情する。
「……他に用事は?」
「本命は終わりましたが、ついでが」
そちらが本命だろう、と指摘するのは疲れるので黙っておく。
「旦那様が口にしていたことを伝えた方がよいと思いましたので」
「クルールが?」
彼が口にしたこと。
鉱輝祭のことか? それが1番あり得るが、本人ではなくユーリアナを経由する理由はない。
なら、それはなんなのか。
ユーリアナ嬢の言葉を待つと、彼女は楽しげに笑う。
「『リオネル殿下は親しみやすい人だ』と、そう言っていましたよ」
「――……私が?」
親しみやすい?
思いもしなかったことを告げられて、しばらく内容を理解するのに時間を要した。
しかし、時間が経つにつれて意味が浸透していき――笑いが込み上げてきた。
「はははっ! 私が? 恐れられ、敬われこそすれ親しみやすいと? ふ、くくっ、ははは……っ!」
いつもなら自制できる感情を抑制できない。
腹から込み上げてくる笑いが、そのまま飛び出していく。
「あははははっ! そうか、くくくっ、つくづくおかしな男だ」
だが、悪くない。
まだ込み上げてくる笑いを喉で抑えたが、震えてくぐもった笑いになるだけだった。
「くく、こうも笑ったのはいつぶりだったか。ユーリアナ嬢、だがいいのか? そのようなことを伝えても?」
「よくはありません」
私の哄笑が癇に障ったか、ユーリアナ嬢は不機嫌そうな顔になっていた。その容貌は冷淡で、最近では見ることの少ないかつての表情だった。
笑っている姿ばかりを目にするようになったからな。
「リオネル殿下が旦那様を気に入るのは癪です。私のですから」
「独占欲がすぎると嫌われるぞ?」
「……旦那様は私だけ見ていればいいんです」
ぷいっ、とユーリアナ嬢が顔を背ける。
その仕草がいかにも少女的で、幼い頃から彼女を知っている私からしても、初めて見る態度だった。
「それだけ執着を持ちながら、私に気に入らせようとした意図は?」
「――味方がほしい、それだけです」
そうか、と首肯する。
彼女らしく、わかりやすい物言いだ。小細工を弄するのを嫌うその真っ直ぐさを、私は好ましく感じる。
「私の立場からすれば、卿らのことに口を挟むのは我が身を不利にする行為なのだが……」
深く息を吐く。
瞼の裏にシトの笑顔を見る。
「卿らの望む明日に繋がる道を見せてくれ。私が協力するかはそれからだ」
ここでは決めかねる。
私がそう伝えると、ユーリアナ嬢は酷く落胆したような表情を浮かべて、去るように私に背中を向けた。
「意気地なしめ」
それだけ言い残して、あっさり姿を消す。
改めて私はソファーに体を預ける。
「公爵家の令嬢が使う言葉ではないな」
ただ、的を射ている。
我が身の重さにどこまでも沈んでいきそうだった。






