第3話 ユーリアナ嬢は今日もわがままです
空き教室の中央を開けてもらって、そこで作業を進める。
俺だけなら断られただろうが、やはり公爵令嬢というのは偉大だ。簡単に場所を譲ってくれる。
こういう権力の使い方に慣れるのはいけないんだろうけど。
今回は狙ってのことだ。多めに見てもらおう。
「見世物になるのは嫌」
「今日は多めに見てくれ」
やることを悟ったのか、明らかにユーリの機嫌が悪くなっている。
表情からして不平不満を隠す気がなく、唇がすっかり曲がっていた。
「旦那様と2人きりのティータイムを所望する」
「……それくらいなら、まぁ」
「約束だぞ」
言質は取ったと小指を絡められる。
そう念を押されると、なにかヤバい約束をしてしまったんじゃないかと思ってしまう。いまさら手のひらを返すわけにもいかないので、穏便に済むことを祈るしかない。
「ひとまず、看板の続きだな」
今回の騒動で手が止まっていた看板。
実際のところ最初の下描き部分は色まで終わっていて、塗料が乾くのを待っていたくらいだ。重ね塗りをして文字を目立つようにしようか。ニスを塗って完成させてしまうか悩む。
「どうしたい?」
「余白が寂しいな。色をつけよう」
文字と小さな金塊の絵以外、素材のままというのは味気ないか。それなら、先に下地としてガーッと塗った方がよかった気もするが、こういう効率の悪さも含めて、手製って感じだろう。
「じゃあやるか」
「赤だな赤」
「派手だろう」
「サファイアも描こう」
もはや子どもの落書きだった。
大きな板に2人で刷毛を握って塗っていく。窓は開いているが、油の匂いが強い。とはいえ、そこかしこで似たようなことをしているので、俺たちが新しく始めたところで部屋の匂いは変わらなかった。
でも、制服でやることじゃなかったよな。
腕まくりしているとはいえ、やはり跳ねる。エプロンくらいはつけるべきだよなー、と思うもいまさらすぎるくらいには汚れていた。こういう汚れも青春の積み重ねと思っておこう。
将来、塗料で汚れた制服を見返して、思い出に浸るというのも悪くない。
「あの」
しばらく看板に色を塗っていると、声をかけられた。
灰の目がこちらを覗き込み、屈んで強調された大きな胸にうおっとなる。
「旦那様?」
「見てない」
否定したのに脇腹を突かれた。
いや、見たって言ってるようなものだったけど、しょうがないだろ目の前にあったんだから。言い訳を並べている間も突かれ続け、背中がゾワゾワしてくる。
その間、困ったように俺たちを見ている女子生徒が、ユーリを見る。
お願いしていい? と目で伝えると、ユーリはやれやれと小さく首を横に振った。
「なにかな、サンドリーヌ」
「お邪魔してしまい申し訳ございません、ユーリアナ様」
本当だよ、とユーリの心の声が聞こえた気がした。口にしないのは、ユーリなりに気遣っているからだろうか。
「なにをなさっているのでしょうか? 木の板に色を塗っているようですが」
「君の認識で間違いないよ」
「看板を作っていらっしゃる?」
「そうだね」
返答が端的すぎて話しかけてきた令嬢がおろおろし始めた。言葉こそ変えているが、はい、と肯定しているだけだ。それではなんの説明にもなっていない。
令嬢も困るに決まっている。
もう少し愛想よくと目で訴えるが、面倒だと真横に唇を伸ばす。
が、一応はやってくれるようで、令嬢に対して微笑む。
「旦那様が詳しいから、彼に聞いてくれたまえ」
「なぬ」
と思ったら、愛想よくこっちにぶん投げられた。
ユーリはくくっと押し殺して笑っていて、その顔には『旦那様も苦労するべきだろう?』と書かれていた。
サンドリーヌと呼ばれた令嬢は穏やかそうだが、学園の生徒は貴族の子息子女だ。気位が高い者ばかりで、地位も資産も低空飛行の俺が説明するのは気分を損ねないか心配になる。
だから、顔役はユーリに任せたかったんだけど……こう水を向けられては、断る方が失礼に当たるか。
しょうがない、と立ち上がって、努めて笑顔を作る
「サンドリーヌ嬢、差し支えなければ私からご説明させていただければと」
「まぁ……ではお願いいたしますわ」
俺を見てサンドリーヌ嬢が目を丸くする。
しげしげと見つめられて少しばかり居心地が悪いが、見定めるなんてのは貴族間では珍しくもない。社交には不慣れだが、相手の機嫌を損ねない程度の振る舞いはできる。
つまり、笑ってやり過ごせ。
「ユーリアナの仰るとおり、看板を作っておりました。展示会用のもので、いまはもう少し華やかになるように色を塗っているところです」
「宝石を貼り付けたりはしませんの?」
しません、勿体ないので。
なんて庶民派な意見は仕舞い込み、表情にはおくびにも出さないよう引き締める。
なるほど、気になっているのはそこか。
貴族らしくもっと豪華絢爛にすべきでは、と。
「ええ。看板を作るというのは最終目標ですが、今回は結果よりも過程を重視しております。せっかくのお祭りです。その準備を手ずから行って楽しみたい。宝石をただ飾るよりも、宝石の絵を自ら描く……その無駄を楽しむのも、よろしいのではないかと」
「そういうことでしたのね」
淑やかにサンドリーヌ嬢が首肯した。
俺にしてみれば学園のお祭りに看板に宝石を使うことこそ無駄なのだが、貴族にとって派手は正義だし、無駄が大好きだ。
だから、作業を無駄と表現すれば、いくらか琴線に触れるかな、と口にしてみたが、そう見当違いでもないらしい。サンドリーヌ嬢の反応は概ね良好で、こちらを見ている周囲の反応も悪くない。
俺は看板を作るのを無駄とは思わないけど。
そう考えているうちに、サンドリーヌ嬢も納得がいったのか、微笑みを浮かべて制服のスカートを摘んでお辞儀をする。
「ご説明ありがとうございます。ユーリアナ様の婚約者様。よろしければ、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「これは名乗らずご無礼を。リュウール子爵家のクルールと申します」
「わたくしはルクレール伯爵家のサンドリーヌと申しますわ」
また、わからないことがあればお尋ねしてもよろしいかしら? というので、もちろんと笑顔で返答しつつ、内心は冷や汗だらだらだった。
伯爵家の娘だったのか。
しかも、ルクレールって石炭が出るところだよな。
生活必需品を取り扱う、名のある貴族じゃないか。もし、彼女の機嫌を損ねていたらどうなっていたか……考えただけでも寒さで震える。
幸い機嫌を悪くした様子はないからよかったが、せめて先んじて紹介するとかなかったのかよとユーリを横目に睨む。けど、その顔は涼しく、刷毛で看板を赤く塗ることに夢中になっていた。
せめてこっち見てて。
「はぁ」
サンドリーヌ嬢が離れてようやく一息つけた。
腰を下ろすと、ユーリは手を止めてこっちを見ていた。その蒼い瞳でしげしげと。
「なに?」
「いや、礼儀正しい対応もできるのだな、と感心してね」
「ユーリの中で無礼者扱いだったの、俺?」
むしろ、無礼なのはユーリの方だ。
「私やリオネル殿下に対しても、礼儀正しいと言えるかな?」
「ユーリは望んでだろ。リオネル殿下は……ほら、いまでも丁寧だろ?」
「思ってもないことを言うのは、この口かな?」
「やめろ」
むにっと、親指で口の端を引っ張られる。
唇に触れそうどころか、口の中に入りそう。不意な接触に驚くことは減ったが、だからといって慣れるということはない。触れる白磁の指に意識がいく。
だいたい、思ってもない……なんてことはない。
リオネル殿下の大らかさに救われている部分もあるが、これでもしっかり敬意は抱いている。それでも、多少の軽口を口にしてしまうのは、彼に親しみやすさがあるからだろう。
そう言うと、ユーリは心底呆れたとばかりに表情を歪めた。
「……リオネル殿下が親しみやすい? リオネルという別人の話をしているのかい? 疲れが溜まっているんだよ、旦那様」
「疲れてるけど、妄想が生み出した産物じゃないから」
なんでこうまで言われないといけないのか。
他の貴族と比べれば、全然話しやすいんだが……俺の感性がおかしかったりする?
「平民の感性だからかな?」
「平民に謝りたまえ」
貴族でも平民でもない俺はなに。
自己の認識が揺らいでいると、ユーリが「ところで」と口にしたので、そちらを向く。と、紅い唇にそっと指を添えて、なにかを欲しがるように俺を見つめてきた。
「私も、ユーリアナ嬢と呼ばれてみたいな?」
「……続きをやりますよ、ユーリアナ嬢」
と要望を叶えると、ユーリアナ嬢はそれはもう嬉しそうに破顔して、飛びついてきた。
ひっくり返った塗料で、顔が赤く染まる。
◆第8章_fin◆
__To be continued.






