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第3話 恋人ごっこは存外楽しい

 こうして、『旦那様溺愛大作戦』は場所、時間問わず決行されて、公爵令嬢のスキャンダルは学園中に広めていった。

 ついでに、俺の精神もゴリゴリと削られ、放課後の庭園で息絶えているのがここ数日のルーチンとなっている。


「随分とお疲れだね」

「……ユーリはツヤツヤだな」

「わかるかい? 最近、肌のハリがいいんだ」


 庭園の椅子に腰掛け、ユーリは頬に手を添える。

 元々シミ一つない透き通るような肌だったが、ここ最近はより瑞々しさが増した気がする。


「『旦那様溺愛大作戦』の成果かもしれないね」

「その名前を受け入れるな」


 頭が痛い。

 むしろ割れそうだ。


「いいと思うけどな、私は」

「平然と言えるのが信じられない」

「そうか?」


 きょとんと不思議そうにするのユーリが俺には不思議だ。

 彼女に羞恥心はないのか。

 それとも、身分が高くなるほど、一般的な常識との乖離が激しくなるのか。

 お金は欲しいが、常識をかなぐり捨ててまで欲しいとは思わない。


「にしても、あれのなにが楽しいのやら」


 食堂で『あーん』したり、授業を一緒に受けたり。

 ところ構わず腕を組んできて、『私の旦那様』と公言することに俺は楽しさを見いだせなかった。

『俺の奥様』なんて口が裂けても言えない。


「楽しいよ」


 けど、ユーリは違うらしい。


「食事も、授業も。誰かと時間を共有すること自体が、私には新鮮なんだ。自分でも驚いているが、存外ハマっている」

「誰かとって、クラスメイトはいるだろ?」

「同じ教室で授業を受けるのを、共有とは呼ばないんだよ」

「そういうものか?」

「そういうものだよ」

「ふーん」


 わかるような、わからないような。

 けど、ユーリが楽しんでいるのは表情や態度から伝わってくる。

 食べ慣れた高級料理よりも、初めて食べる庶民料理のほうが美味しく感じる、そんなものなのかもしれない。


 俺は素直に美味しくて高い物が好きだけど、と今日も紅茶をずずずっと頂く。


「疑似的とはいえ、恋を体験できるのもいい。本物はわからないが、こういうものかと想像するのが楽しくなる」

「意外。そういうの興味ないと思ってた」

「どうして?」

「だって、求婚全拒否してるんだろ?」


 優れた立場、容姿のせいで、求婚話は怒涛のように押し寄せた。

 それに嫌気が差して、俺と偽装婚約をした。

 そう解釈していたけど、違ったのか?


「私だって恋に憧れはあるさ。でも、顔や家柄しか見ていない相手とは恋なんてできないだろう?」

「……やっぱり、そういう手合いしか来ないのか?」


 にっこり微笑まれたので、この話を深掘りするのはやめておいた。

 ほんと、男というのは身分の上下に関係なく即物的なものらしい。


「その点、君は私の顔や身分で忖度しないから、私も気兼ねなく接せられるよ」

「いや、ちゃんと忖度してるが?」

「でも、敬語は使わないだろ?」

「使うなってユーリが言ったんだろ」


 でなければ、公爵令嬢相手に愛称の呼び捨てなんて怖くてできない。


「私は君のそういう素直なところが好きだよ」

「……女心わかんなーい」


 嘆いてテーブルに倒れると、ふふっとユーリに笑われた。

 それが大人に頭を撫でられたみたいで恥ずかしくなる。

 しずしずと姿勢を正してカップを口に運ぶ。……空だった。


「もう1杯飲むかい?」

「……貰う」


 気恥ずかしさに心を擽られながらも、空いたカップを差し出す。

 そうして、いつもの――というにはまだ初々しさが残る――お茶会が続いていく。

 校舎に響く鐘の音が、終わりを告げるまで。


 庭園にはまだ明るい陽が差しているが、ユーリの顔には夕暮れのような物悲しい影がかかる。


「今日も終わりか。残念だよ」

「あんまり長居できないからな」

「寮だったね。門限までまだ時間はあるんじゃないかい?」

「あるけど」


 門限に遅れたときの寮母さんの笑顔を思い出し、体がぶるっと震える。


「……帰るよ。俺もできればいたいけど」

「そうか」


 しゅんっと肩を落とすユーリの姿を見ると、後ろ髪を引かれる。

 でも、時間ばかりはどうしようもない。


「公爵家の権力で門限を伸ばす……」

「やめろよ?」


 ぶつぶつと怖いことを呟いているユーリに釘を刺しておく。

 貴族特有の冗談だと思うが、彼女の機微を理解できるほど時間を共有してはいない。


「登校前に来るから、それでいいだろ?」

「絶対だぞ?」

「はいはい絶対絶対」


 子どもっぽいユーリの口調に笑ってしまう。

 それだけこの時間を楽しみにしてくれているというのは、俺も悪い気はしないけど。


 席を立って、ふと気になる疑問が湧いて尋ねてみる。


「そういえば、ずっと気になってたんだけど、なんで偽装婚姻をしようと思ったんだ?」

「?」


 ユーリが首を傾げる。


「最初に言った通り、求婚が鬱陶しいからだが?」

「いや、そうなんだろうけど、公爵家の権力ならこんな面倒なことしないでも、全面拒否もできなくはないんじゃないかなーって」


 冗談で公爵家の権力で寮の門限を伸ばすと言っていたが、その横暴を通せるのが貴族であり公爵だ。

 特に、今の学園ではユーリは唯一人の公爵家。

 止められる者はなく、押し通そうと思えば大抵のことはできてしまうはずだ。


 強権に伴う弊害は出るだろうが、求婚全面拒否なら問題なさそうに見える。

 そんな思いつきのような疑問だったんだけど、ユーリにとっては的確というか、あまり訊かれたくない話題だったらしい。


「……悪い、忘れていいから、その顔をやめて」


 渋面というのがこれほど似合う表情もないだろう。

 眉間目口と、ぎゅうぎゅうに皺が寄っている。

 それでも元がいいから様にはなるが、淑女が他人に見せていい顔ではなかった。


「別に訊かれたからどうこうという話ではないのだが……」


 紅茶を1口飲んでから、ユーリが嫌そうに言う。


「権力があっても、どうしても断れない求婚というものもあるんだよ」

「公爵令嬢ってのも楽じゃないんだな」

「本当に、な」


 彼女のため息は、思った以上に重たく響いた。

 その『断れない求婚』が、まさか俺を巻き込むことになるとは——この時の俺は、微塵も想像していなかった。



  ◆第2章_fin◆

  __To be continued.


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