第1話 公爵令嬢、幼子になる
「はーん? なるほどなるほど?」
背筋を伝う汗を意識しつつ、ざっくり状況を説明するとユーリは楽しそうに口の端を吊り上げた。その視線は俺からオプシディアンに移る。
途端、怯えるように彼女の肩が跳ねた。
それを面白がるように目を細めて、最後にリオネル殿下に行き着く。
「殿下がなに用かと思えば、これはこれは。愉しそうな催しにお呼ばれした感謝を述べないといけないかな?」
「……いま私は、一時の感情に任せて卿を呼ぶのではなかったと後悔しているところだよ」
「感謝申し上げます、リオネル殿下」
公爵令嬢らしい、美しく、気品ある礼をする。
ただ、その内心は誰が見ても『面白い状況に呼んでくれた』ことへの感謝で、リオネル殿下が岩のように険しい顔をするのも当然だった。
というか、ただの嫌味で皮肉だ。
「それで、そちらの令嬢がシャトンかな?」
「ははは、はいぃっ!?」
急に呼ばれたオプシディアンが、声を裏返す。
「オプシディアン子爵家のシャトンと申しま……すっ! お、お目にかかれてこここ光栄でございまふっ、アルローズしゃまっ!?」
あまりの緊張に噛み噛みだ。
その顔は青ざめていて、いまにも倒れてしまうんじゃないかって心配になる。そのあまりの動揺ぶりに、大抵のことでは眉一つ動かさないユーリも俺に困った顔を向けてくる。
「旦那様、私は大人しそうな彼女を怯え上がらせるほど恐ろしく見えるのかい?」
「見え方によっては?」
「そうなのか……」
ユーリは考えるように薬指を下唇に添える。
「もちろん、旦那様には可憐で美しい妻の姿が見えているんだろう?」
「やたら刺々しい薔薇かなー」
「愛の告白かな?」
照れるね、とぽっと頬を赤くして手を添える。
わかっていたが、鉄製の肝を持っている公爵令嬢相手に皮肉を言ったところでヒビ一つ入るわけがない。
本当に照れてるわけではないんだろうが、言葉通りその照れ顔は可憐で美しいのがちょっと癪だった。
「公爵家の令嬢様相手に、気軽に接しろというのが難しいだろ」
オプシディアンがぶんぶんっと頭を縦に振っている。
同じ子爵としてその気持ちは大いに理解できる。なにか1つでも失態を犯せばどうなるか。目を付けられただけで、彼女だけでなく家族や領民にまで被害が及ぶ可能性がある。
それほどの権力差。
王国には法がある。
公爵だからといってなにをやっても許されるわけじゃないが、多少の不利益を呑み込めば子爵程度潰せてしまうのが公爵という爵位だ。その怯え方は逆に失礼だと思うが、共感はする。
「旦那様は気兼ねないじゃないか」
「いまからでも礼儀を尽くしましょうか? ユーリアナ様」
「はっはっは、鳥肌」
失礼すぎやしないかこの公爵令嬢。
俺も似たようなものだが、口にはしてないのに。腕を撫でる。総毛立った肌が外套の上から感じられるようだ。
「相も変わらず、卿らは仲が良いな」
節穴ですか?
という返事は喉元で押し返した。殿下だから。
なのに、リオネル殿下は鋭く目を細めてくる。
「口にしなければ伝わらない、そう思っているなら卿は考えが足りない」
「旦那様、顔が蛙だよ」
「潰れてるって?」
くすくすユーリに笑われて目尻に触れる。深く掘ったシワを指先に感じ、渋面を作っていたのがわかった。
伸びろと指を揉み込んでいると、ユーリが手を伸ばしてくる。そのまま両目尻に触れてきた。気温のせいか、雪のような冷たい親指に肌が身震いする。
にっとユーリは笑う。
「私と仲が良いのは不満かい?」
「さっきのやり取りのどこが仲が良いと?」
「ふふ、どうかな。どうだろう」
目尻のシワを伸ばす、というかただ肌を引っ張られる。
ぐにぐにと弄ばれるのにむずむずする。
「……仲が良いんですね」
どこが?
クラスメイトとはいえ、会話すらしたことがないオプシディアンにまで仲良し判定をされてしまう。実際には一方的に弄られているだけなのに、どうして加害者と被害者に見えないのだろうか。
「夫婦だからね」
「いや婚約」
にぃっとユーリの唇の端が邪悪に吊り上がる。
「そういえば、婚約者だったね?」
引っ掛けられた。
つい、『偽装だから』というノリで否定してしまった。本当は婚約者でもなんでもないのだから、わざわざ嘘に嘘を重ねなくてもよかった。適当に流しておけばいいのに、反射的に動いてしまった口が恨めしい。
下唇を噛む。
「悔しがる旦那様も素敵だよ?」
余計なことを言わないように閉じているだけです。
ただ、その得意気な反応がムカついたので、ぺいっと顔からユーリの手を引き剥がす。ユーリは手を合わせて、ふふっと微笑む。
「素直じゃないね」
「性根がひん曲がってるからな」
「それは大変だ。私が直してあげよう」
「やーめーろー」
蒼い瞳を妖しく光らせて手を伸ばしてくるので、咄嗟に後退する。けど、逃げたせいで狩猟本能でも刺激されたのか、手を前に突き出したまま追いかけてくる。
「わー」
「いや、わーじゃないが」
子どもか。
捕まえる気があるのかないのか。
雪に足を取られながらとてとて迫ってくるユーリから逃げる。
雪上の追いかけっこ。
ただし、捕まると捕食される。デンジャラスだった。
「本当に仲が良いですね……公爵と子爵なのに」
ぽつりと。
雪の中に落とし物をしたような呟きに気を取られる。
オプシディアンは俺たちを見ていて、その黒い瞳は羨望にも似た感情が……べぶっ。
「ふ、ふ、ふ! 捕まえた」
「……いや、退いてくれよ」
背中からユーリに押し倒されて、馬乗りにされる。
どこからかリオネル殿下のため息が聞こえてきた。
「猫の保護をしたいのだが、卿らはいつまで遊んでいるんだ?」
すみません。
◆◆◆
というわけで、猫の保護である。
リオネル殿下曰く、どれだけいるか把握はできていないらしく、ただ10匹はいないとのこと。天気も悪いので、寮周辺を探したら終わりにするそうだ。
「捕まえた猫は、このカゴに入れてくれ」
「ちゃんとあったんですね」
格子がある木製のカゴをリオネル殿下から渡される。
ただ闇雲に捕まえて、素手で運ぼうとしていたわけでもないらしい。
「使う段階までいかなかっただけだ」
物悲しさと悔しさを称えた表情になにも言えなくなる。
あれじゃ、捕まえるどころじゃないよな。
「わかりました。風邪引く前にさっさと――」
「待てー!」
「「……」」
その陽気な声に揃って黙る。
目を合わせてから顔を向けると、ユーリが逃げる猫を追いかけ回していた。それはもう向日葵のような輝く笑顔で。
「卿の婚約者は、なぜ幼児退行しているんだ?」
人間、羞恥も行き過ぎればなにも言えなくなるらしい。
信じられるか?
公爵家の令嬢で、17歳の先輩なんだぜ? あれ。






