第3話 第二王子の好きな人
「知り合いか?」
「そういうわけでも……ないような、あるような」
まぁ、知っている。
というか、そこまで複雑な関係でもないので、リオネル殿下に端的に答える。
「クラスメイトですよ」
「……ただの?」
「ただのクラスメイトです」
どうして付け加えさせた。
なにか剣呑だし。
なに? と隣に並んだリオネル殿下を見ると、こちらの真偽を探るように黄金の瞳が細められていた。やけにその目は険しく、微かな敵意が込められている。ぶるり、と肌が震える。
ユーリの婚約者だと紹介されたときにはなかった威圧感に内心ビビっている。
怒らせるようなことした?
「は、はいっ! ただのクラスメイトで……やぁぁっ!?」
猫にもみくちゃにされているオプシディアンが俺の言葉を肯定してくれる。また、雪のような猫に踏まれているが、リオネル殿下は納得してくれたようで「そうか」と、きつく吊り上がっていた目尻が僅かに下がる。
息を吐くその姿は安心しているようにも見えた。猫と戯れる……というか、遊ばれている彼女を見る目は俺の向けていたものとは違い、どこか温かみがある。
それはユーリが俺をからかうときの温度にも似ていて、
「はーん?」
「……なにか言いたげだな?」
「いやいやそんな恐れ多い」
俺は肩をすくめて、両手を上げる。
「ただ、リオネル殿下も男だったんだなと少し親近感が湧いただけです」
「本当に卿は似ているよ」
誰に、とは言わなくなったのはリオネル殿下なりの気遣いだろうか。いや、言わなくてもわかるけど。
そんな似てないと思うけどなー。
ユーリとは似ても似つかない無骨な手を見下ろすと、「リ、リオぉ」と泣きそうな声が足元から聞こえてきた。
「助けてくれませんかぁ?」
「「あ」」
緊急性もなく、危険性もなく、ただ猫に遊ばれているだけ。
見ていて微笑ましいからリオネル殿下と歓談していたが、オプシディアンからすれば雪に倒されて起きれなくされているんだ。そりゃ、早くしろと言いたくもなる。
「あぁ、助けたいが」
リオネル殿下が踏み出すのを躊躇っている。
高貴な王族が下々の手助けなんてしない! みたいなわかりやすい貴族ムーブかと一瞬思ったが、手を伸ばそうとしているので、そうでもないらしい。
そんな性格でもないだろう。
なら、どうして?
疑問に思うが、猫で顔が見えないクラスメイトがむーむー呻いている。猫の匂いを嗅ぐのが好き、なんて奇特な令嬢もいるらしいが、窒息してまで嗅ぎ続けたい人もいないだろう。
とりあえず、彼女の顔で寛いでいる白猫を持ち上げる。
だらん、と胴が伸びた。
柔らかいな、猫。初めて触った。
集まっている猫をどかしていくと、ようやく雪に埋もれていたオプシディアンが上半身を持ち上げる。羽織っている淡いベージュの外套は毛だらけで、艷やかな黒髪は乱れに乱れている。
「ありがとう、ございま……すぅ」
へふ、と疲れたように白い息を吐いた。
あれだけ猫に遊ばれたらそうなるか。
雪の上とはいえ、いつまでも女性を座らせるのもよくない。だから、手を貸そうとしたのだが、俺よりも早くリオネル殿下が手を伸ばす。
「大丈夫か?」
「は、はぃ。ありがとうございます、リオ」
「俺こそすまない。結局、散らしてしまった」
散らす?
疑問に思ったが、すぐに猫のことだと気づいた。あれほど、オプシディアンに群がっていた猫たちがいつの間にかいなくなっていて、周囲を見渡すと、遠目にこちらを――というか、リオネル殿下を警戒していた。
そういえば、懐かないとか言ってたか。
さっき彼女を助けようとしても動けなかったのは、猫を逃げられたくなかったからだろうか。ただ、それなら、いまオプシディアンに手を貸しているのはなぜなのか?
「いいえ、また頑張りましょう!」
立ち上がったオプシディアンがむんっと大きな胸の前で気合を入れる。
リオネル殿下が相好を崩した。
「そうだな」
優しく微笑むリオネル殿下は、オプシディアンの頭に手を伸ばす。雪と猫の毛を払って、乱れた黒髪を丁寧に梳いていく。
「じ、自分できますよ……っ!」
「動かないでくれ」
「あぅぃ」
返事なのか悲鳴なのかわからないが、彼女は声を漏らして俯いてしまう。その顔は真っ赤で、雪なんて触れた傍から溶けてしまいそうだ。
そんなオプシディアンの髪を丁寧に指で梳くリオネル殿下が楽しんでいるのが見ただけでわかる。
なんというか、ロマンスだなー。
その手の劇や小説には疎いが、これを見てわからないほど初心ではない。社交界のとき、強い言葉でリオネル殿下を責めたユーリを恐れ知らずかと思ったものだが、この甘酸っぱい光景を見たあとだと理解できなくはない。
さっき、咄嗟に手を貸したのも、俺に触れてほしくなかったんだろうなぁ。
そう考えると、やたら威圧的だったのも頷ける。
存外、この王子様は独占欲が強いのかもしれない。
「2人の世界を作っているところ申し訳ないんですけど」
「つ、作ってませんよ!」
汗々と身振り手振りで否定する。
その横ではリオネル殿下が悲しげな顔をしていて、それ以上否定してあげないでと思う。
「なんだ、クルール」
「強いですって、圧が」
不機嫌な理由は察するが、だからといって王子に睨まれて平静を保てるほど俺の心は頑丈じゃないんだ。醜態を晒す前にやめてほしい、俺が。
「お2人の関係は他言無用にしますから、一旦置いておいてですね」
「ち、違います……! 別に、その、そういう、付き合ってるとかそういうのじゃないので! か、勘違いしないでください!」
「わかってますから、安心してください」
熟れた果実のように赤くなって否定するオプシディアンにみなまで言うなと頷く。
「口は固いですから」
「なにもわかってない……!」
まぁ、言う相手もいないわけだが。
強いて挙げるならユーリだけど、リオネル殿下に意中の相手がいるのは知ってるっぽいしいまさらだろう。その相手がオプシディアンとまで把握しているかは定かじゃないが。
「隠さないといけないのはわかるが、無駄な努力に見えるけど」
「面白い冗句だな。今度、鏡を贈ろう」
「なんで?」
いまの話の流れでどうしてリオネル殿下から鏡を貰うことになるのか。
これでもかと呆れた顔をしている理由もわからない。馬鹿を見る目だ。王族にこんな顔させたのは貴族数あれど、俺くらいじゃなかろうか。
全然誇れないが。
「それで、なにしてたんですか?」
「シトの髪を梳いている」
シト? ……あぁ、シャトンだからか。
オプシディアンもリオネル殿下のことをリオと呼んでたし、なるほど。
「一生梳いててください」
「恥ずかしくて死にますよ!?」
オプシディアンがわっと泣いた。
さすがに死なれたら困るようで、リオネル殿下が彼女の髪から手を離す。ただ、その顔は見るからに残念そうだ。触っていたかったんだな。
「猫を保護していたんだ」
「猫を?」
リオネル殿下からオプシディアンに視線を移す。
「遊ばれてたのではなく?」
「そう……ですけどぉ!」
涙目だ。
教室では目立たない子で、話したこともなかった。隅っこで息を潜めている小動物みたいな印象。こうも感情豊かなのはリオネル殿下の前だからだろうか。
意外な一面を見て、ちょっと驚いている。
「この雪に寒さだ。外にいたのでは命が危うい」
だから保護をする、とリオネル殿下が言う。
こんな雪の中でなにをと思っていたが、尊いことをしていたらしい。部屋でぬくぬくしていた俺とは大違いで、その行動は素直に尊敬する。
顔を横に向けると、さっきの猫たちが相変わらずこっちを注視していた。
「保護した猫はどこに?」
「……まだだ」
悔やむように絞り出した声だった。
「私は猫に逃げられ、シトは逆に集まりすぎて捕まえるどころではない」
「あー、そうでしたか」
そういえば、リオネル殿下は猫が懐かないんだった。以前も逃げられていた。きっと、そのときに話していた猫好きの友人というのは、オプシディアンのことなんだろう。
猫好きというか、猫に好きにされているって感じだが、多分そうだ。
だから、猫を保護しようとしているんだろうが、上手くいっていないと。
難儀な。
同情して、これも縁かと提案する。
「なら、俺も手伝いますよ」
「いいのか?」
「はい」
協力するのもやぶさかではない。
「命令できる立場なのに、わざわざ確認してくれるリオネル殿下の助けになるなら」
「……これは私事だ。このようなことで、権威を振るうつもりはない」
そうだろう。
それはきっと正しくて、けど、誰もができることではない。
だからこそ、手伝いたくなる。
それに。
口を挟めずおろおろしているオプシディアンに目を向けて、次にリオネル殿下を見て笑う。
「応援したくもなります」
「……恋人ではないぞ」
ぶす、と不機嫌そうな顔を見て、また笑いが込み上げてくる。
リオネル殿下が大きくため息を零した。
「本当に似ているな、ユーリアナ嬢に」
「――気をつけます、本気で」
確かに、と思ってしまった自分に落ち込んだ。
気安いからといって王子相手になにしてるんだろうな、俺は。ユーリならやってもおかしくないが、だから俺もからかっていいわけじゃない。
一緒にいる時間が長いから、影響を受けてるのか?
え、やだ。
「なら、私も応援させてもらおうか」
「?」
絶望に顔を覆っていると、リオネル殿下がそんなことを言い出す。
広げた指の隙間から見た彼の顔は、意趣返しのようにそれはもう嗤っていて……あ、嫌な予感ががが。
◆◆◆
「――で?」
深いベルベットの外套に身を包んだユーリが、それはもう可憐な笑顔を向けてくる。
ただし、その目だけは笑っていない。
「どうしてこんな悪天候で、私は呼び出されたんだい?」
「あー……猫探し?」
背中に浮かぶ汗がやけに冷たい。
やっぱり人をからかうもんじゃないな、痛い目を見る。
◆第2章_fin◆
__To be continued.






