第4話 馬車の中、抱きしめられる、告白される
しばらく使っていなかったが、しっかりと掃除されていた自室。
綺麗に整えられたベッドに腰掛けて後悔と焦燥でやきもきしていたら、ルルが部屋を訪ねてきた。
何度か目元を擦ったのか、少し赤く腫れた顔でルルが頭を下げてくる。
「兄さん、ごめんなさい」
ユーリの説得が上手くいったのか、部屋を飛び出していったときとは違い、ルルは落ち着き払っていた。
謝ってきたことよりも、そのことに胸を撫で下ろす。
俺も時間を置いて頭が冷えた。
ルルのやったことに思うところはあるけど、いまさら捲し立てるような真似をするつもりはなかった。
それも踏まえてユーリが間に入ったとは考えたくない。
彼女の思惑通りに事が進んでいるようで、複雑な気持ちになるから。
とはいえ、感謝しないわけにもいかず、結局微妙な心地になりながらも「俺も悪かった」とルルに謝罪する。
そんな俺を見て、ルルがほっとしたように頬を緩めた。
「行き違いばかりですね、わたしたち」
「お互いに勝手だなとは思うよ」
俺も肩の力を抜くように、強張っていた顔から力を抜く。
これで仲直り。
言葉にしなくてもわかる、そんな穏やかな空気に胸を撫で下ろしたところで、ルルが訊いてくる。
「兄さんは、ユーリアナ様のことが好きですか?」
「ぶふっ」
突拍子もない質問に思わず吹き出す。
なに、急に。
話の流れにユーリへの好意を滲ませるようなものがあったとは思わない。
なら、ユーリとルルの間でなにかあったのか?
どんな会話をしたのか気になるが、今はそれよりも質問の返答だ。
これが日常の会話なら適当に誤魔化すのだが、兄妹喧嘩から仲直りしたばかり。
俺が抱くユーリの好悪にどんな意味があるかは知らないが、タイミングが悪かった。
この場面で、嘘を吐くのはバツが悪いでは済まない。
無垢な琥珀の瞳に見つめられ、しばらく押し黙ったけれど、ルルが諦めないというのを悟って深くため息を零す。
「嫌いじゃないよ」
自分でも素直じゃないなぁと感じる程度には、逃げの回答だった。
こういうのを優柔不断というのかもしれないけど、実の妹相手に身近な異性への好意を訊かれる兄の立場にもなってほしい。とても気まずい。
これで納得しなかったらどうしよう。
今度は俺が逃げる番かなと足に力を入れたが、ルルは「そうですか」とあっさりと頷いてくれた。
肩透かしな反応に気が抜ける。
それが顔に出ていたのか、ルルはおかしそうに笑って言う。
「兄さんはわかりやすいですから。異性としての好意じゃないとわかっただけ、今日はいいんです」
「生意気な奴」
おでこを小突くと「あいたっ」と言いつつも、ルルはどこか嬉しそうな反応をする。
兄妹のじゃれ合いを楽しんだあと、「兄さん、おやすみなさい」と部屋から出ていくルルを見送り、背中からボフンッとベッドに倒れ込む。
「ルルからはそう見えたのかな」
真っ白な天井を見上げながら思う。
妹相手だったからああ言ったが、ユーリのことは好きだ。
でも、ルルの言うようにその好意は決して、異性に対するものじゃない。
「……そのはず、なんだけどなぁ」
今日は寝付きが悪いかもしれない、そんな予感があった。
◆◆◆
実家に帰ってきてから10日が経った。
初日はドタバタしていたが、喉元をすぎればただの帰省。元の生活に戻っただけで、比較的平穏そのものだった。
家のことや、領のこと。
諸々含めて今後について母や妹を交えて話し合いこそしたが、それくらいだ。なにかが大きく変わったわけじゃない。
「本当に実家には残らないのですか?」
学園に帰る日の朝。
ここ数日でようやく見慣れてきたメイド服姿で、ルルが寂しそうな表情を浮かべて尋ねてくる。
俺の服の裾まで引っ張って、幼気な雰囲気を醸し出していた。
「色々悩んだけどな」
新たな金脈が見つかって、領地は今が一番忙しい時期だ。
俺1人でどうこうなる問題じゃないが、母や妹の負担が減るなら学園を辞めて実家に戻るのも1つだとは、ずっと考えていたことだ。
それでも、学園に戻ることを決めたのはこれからのリュウール子爵家や、家族のことを考えてだった。
その話はルルにも十分して、理解を示してくれたはずなのだが、感情とはまた別なのだろう。
ぎゅっと俺の服を掴んだまま離さないルルに困っていると、遅れてきた母さんが窘めてくれる。
「ルル、放しなさい。クルが決めたことです、引き留めていけませんよ」
「……はい」
リュウール家において母さんの言葉は絶対だ。
しょんぼりと肩を落として手を放したルルの頭を撫でる。
「また帰ってくるし、手紙も出すよ」
「絶対ですよ?」
念を押すルルに苦笑して頷く。
虚偽じゃないか確認するようにじーっと見上げてきて、最後にはその双眸を薄く細める。
「恋人を作っちゃ、嫌ですよ?」
「……なんの話だ」
そんなの作れるわけないだろはははと内心笑いつつ、目を逸らす。
「兄さん?」と詰め寄られたので、「はいはい」と頷いておく。
「じゃ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃい」
そうして、母と妹に見送られて、俺には不釣り合いな豪奢な馬車に乗り込む。
「別れは済んだのかい?」
「軽くな」
中で待っていたユーリがそんなこと訊いてきたので、手をひらひらと振っておく。
「そうか」と納得を示したユーリは出発するよう、御者のメイドに指示を出すと馬車が走り出した。
窓の流れる景色が、行きとは逆に故郷から離れていくのを感じさせる。
郷愁には早い。
それでも、僅かな寂しさはあって、窓の外を眺めていると対面に座るユーリが訊いてくる。
「よかったのかい、残らなくて」
「ルルにも訊かれたけど、いいんだよ」
窓の景色から目を逸らさないまま言う。
「新しい金脈はあった。でも、それがずっと採掘できるわけじゃないのはわかってる。だから、家族を支えるために別のものが必要なんだ。母さんや妹に負担をかけるのは悪いと思うけど」
ゴールドラッシュはいつか終わる。
それを知っていながら、なにも手段を講じないのは愚か者のすることだろう。
俺の説明に母さんもルルも理解はしてくれた。内心どう思っているかは……わかりやすかったけど。
お留守番をする飼い犬のようにしょぼくれた顔をする妹を思い出し、少しばかり気持ちが滅入る。
「理由はそれだけかい?」
「……」
唇を真横に引き伸ばす。
顔は窓の外に向けつつ、横目に様子を窺うとユーリは穏やかな微笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
どんな答えを求めているのか。
なんとなく察するが、口にはしづらかった。
でも、ルルとの間を取り持ってくれたことには感謝をしている。
今回だけだからな。
そう声にするでもなく心の中で思いつつ、もう1つの理由を口にする。
「ユーリに出会う前だったら、きっと実家に帰ってたよ。俺にとって学園は居心地のいい場所じゃなかったから」
貴族の出会いの場。
婚活の場でしかなかった学園に馴染めず、ずっと孤独を感じていた。
家のため、ルルのため。
ただそれだけを頼りに学園に通い続けていたままなら、逃げ出すように学園を辞めていたはずだ。
未練なんて、あるはずもない。
「なら、どうして?」
「……性格悪いよな、ユーリは」
口にさせないと気が済まないらしい。
穏やかに微笑み続けるユーリを横目のまま睨む。
でも、堪えた様子はまるでなくて、俺が言葉にするのをただ待っている。
こういうのは得意じゃない。
そうした得意じゃないことを、彼女と出会ってから何度させられたことか。数えるのも億劫になりながら、また1つ数を増やす。
「ユーリと一緒なら、楽しいからな」
俺が学園に残った理由。
たったそれだけのことが、俺を学園という嫌いだった場所に繋ぎ止めている。
言って、気恥ずかしくなって視線を窓の外に戻す。
ユーリの顔を直視できるはずもなかった。
流れる風景に集中しようとしていると、ガタッと物音がした。それが、ユーリの立つ音だと気づいて、なにをしてるんだと車内に目を向けたときには隣に座ってきていた。
「危ないぞ」
「ん? ふふっ、試したいことができてね?」
公爵令嬢が用意した馬車がどれだけ豪華であっても、車内の広さには限界がある。
どれだけ窓際に寄ったところで、服が擦れ合う。
そこからさらにユーリは近づいてきて、宝石のような蒼い瞳が煌めくのがよく見える。
「一応訊くけど、試したいことって?」
「抱きしめたいんだ」
「…………」
なにを言っているんだ、この令嬢は。
最初は憐れむように見つめたが、どうやら冗談を言っているわけじゃないらしい。
有限実行。
腕を広げて抱きしめてこようとするユーリに後ずさる。当たり前に馬車内の壁にぶつかって、これ以上下がりようはなかった。
頬が引きつる。
「冗談だよな?」
「こういうときに、私が冗談を口にしたことがあったかな?」
ないけど。
「冗談にしておくべきでは?」
「本気を冗談にする。それはいい手かもしれないけど、今はやらないかな――では、失礼するよ」
するな。
そんな声にならない叫びが、この我が儘公爵令嬢に届くわけもなく、なにがなんだかわからないまま俺は彼女の腕の中に抱かれてしまった。
胸に感じる柔らかい感触。
女性特有の甘い香り。
押し寄せてくる異性を五感で感じて、体が石のように硬直してしまう。指一つ動かせそうになかった。
「……心臓の音が、聞こえるかい?」
「どっちのかわからないけど、うるさいくらいに」
「溶け合って、1つの音になっているのかもしれないよ?」
俺の肩に顎を乗せ、ユーリはそんな恥ずかしいことをこともなげに言う。
ただただ心臓の音がうるさかった。
馬車の走る音が遠く、聞こえなくなっていく。
「…………うん、そうか、そうだね」
「満足したか?」
裏返りそうになる声を必死に押さえて、ゆっくり離れるユーリに尋ねる。
「そうだね、満足したよ。それにわかった」
「わかったって……なにが?」
風邪を引いたように顔を赤くして、胸を押さえて微笑むユーリ。
抱きしめられて、いやでも異性を感じたせいか、その表情に艶を感じてしまう。
動揺を隠そうと、ただの雑談のつもりで聞き返したのだけど、たぶんそれは失敗だったんだと思う。
ユーリは赤い顔で微笑んだまま、俺に応える。
「――私は君のことが好きだ」
聞き返さなければ、満ち足りた顔のユーリから告白なんてされなかったのだから。
心臓が止まる。
馬車は走り続ける。
回る車輪は俺たちをどこに運ぼうとしているのだろうか。
◆第1部_fin◆
__To be continued.




