第2話 リュウール子爵の兄妹喧嘩
どうして自分を賭けに使うようなバカな真似をしたのか。
その理由を確認せずにはいられなくて、俺は執務室を飛び出した。
調査費用のために自分を賭け金にする? バカか。
手当たり次第に扉を開けて、いなければ次の部屋に行く。
そうして、屋敷中ひっくり返す勢いで、ようやくルルを見つける。
ハタキを持って客室の掃除をしていたルルは、俺がいきなり現れたことに驚いた様子だった。
こっちを向いて、「に、兄さん?」と困惑の声を上げている。
でも、今の俺にはそんなルルの戸惑いを気に留めている余裕なんてなかった。
足早に詰め寄って、間近で睨む。
「どういうつもりだ」
「ど、どういうって、べ、別に兄さんから逃げているわけではっ」
「調査費用を出してもらう代わりに、どうして自分を賭けの対象にしたんだって訊いてるんだ」
「っ……」
問い質すと、ルルは目を見開いて、すぐに俺から目を逸らした。
見るからに自覚のある反応。
これ以上ないってくらい苛立ちは高まっているのに、限界なんてないくらいどこまでも苛立ちが膨れ上がっていく。
血管が1本2本切れた程度じゃ収まらない激情だった。
「……お母さんに聞いたんですね」
観念したように、ルルは瞼を伏せる。
「どうして黙ってた? そもそもなんでそんなバカな真似をした?」
「兄さんには関係ありません」
「あるだろ、兄妹だぞ」
家族であることを主張すると、ルルはぐっと下唇を噛んだ。
「私が決めたことです」
「勝手に決めるな。誰が家族を売ってまで生き延びたいと思う?」
「……領民も限界でした。なにもしなければ、今年の冬すら乗り越えられるかわかりません」
「それは……俺がどうにかするって言ったろ? ルルが気にすることじゃない」
「――家族なのに?」
ようやくルルが顔を上げる。
その瞳はさっきまでと違って、爛々と輝いていた。
強い意思。
その中に俺と同じ激しい怒りを宿していて、まるで鏡を見ている気分にさせられた。
ぐっとハタキを強く握りしめ、ルルの手が白くなる。
「兄さんはいつもそう! なんでもかんでも俺が俺がって! できないことでもすぐに抱え込む! 学園の入学だって勝手に決めた癖に、人のことをとやかく言える立場ですか!?」
「な、ななっ」
叱りに来たはずなのに、逆に捲し立てられてしまい面食らう。
ぐっと顔を近づけてきて、荒々しく輝く琥珀の瞳が視界に広がる。
「兄さんは私が自分を賭けの対象にしたことを怒っていますが、私が知らないと思っているんですか?」
「な、なにが?」
「学園に入学するために、兄さんだって同じことをしたのを知っていますよ?」
「は? お前、それ誰から……っ」
言って、手で口を塞ぐ。
口が滑った。
『ほら、やっぱり』と咎めるように目を細めるルル。
疑念はあったが、確証があったわけではなかったはずだ。
苛立って余裕がなかったとはいえ、致命的な失言に舌打ちしたくなる。
「隣領の伯爵令嬢、ですよね? いくら学園が貴族には門戸を開いているとはいえ、入学金も支払えないような貧乏子爵の子息を入学させるほど、お人好しとは思えません。どういう約束で入学の手助けをしてもらったのか、教えてくれますか?」
「……俺の都合だ。ルルは気にしなくていい」
「なら、今回のことについても、私の勝手ですよね?」
正論すぎる反撃だった。
まさか、ルルにバレているとは思わなかった。
事実を積み重ねて推察したのか、それとも母さんから聞いたのか。
どうあれ、ルルを叱っている真っ最中に、似たようなことをしていたと知られているのは印象が悪すぎる。
まさに、どの口が言っている、という話だ。
もはや立場もなにもあったものじゃないが、それでもルルがやったことを認めるわけにはいかなかった。
妹を守らないといけない兄として、そこだけは譲れない。譲りたくなかった。
「俺のことはいい。とにかく、もう2度とそんなことするな。今回は奇跡的に上手くいったみたいだけど、次はどうなるかわからないんだぞ?」
「嫌です。私のことをほおっておいてください」
つんっと跳ね除けるようにそっぽを向くルルに、きまりの悪さよりも苛立ちが勝る。
「ほおっておくかバカ。いいか? 2度とこんなことするなよ? わかったな?」
「知りません」
「わかれ」
問答無用で言い含めると、ルルが俯く。
ぶるぶると肩を震わせ、ガバッと顔を上げた。
その瞳は膜を張るように濡れていて、母さんのように目尻が釣り上がっていた。
「兄さんのわからず屋!」
「ルルがバカな真似をしたからだろう!?」
売り言葉に買い言葉。
カチンッときて言い返すと、「兄さんの方がバカです、バーカ!」と罵られて「うっせうっせお前の方がバカだー!」と、罵倒し返してしまう。
そこからは幼稚な罵り合いで「バカ」「アホ」「変態」「鈍感」「誑し兄さん」「我が儘妹」と、感情に任せた応酬になっていた。
「~~っ、兄さんなんてもう知りません! 童貞拗らせて一生独身でいればいいんですっ!」
わーっと泣き叫びながら、あまりにも口汚い言葉を残して、部屋から飛び出していった。
なんてこと言うんだ、ルルは!
「どこで童貞なんて言葉を覚えた!? 淑女がそんな言葉が口にするんじゃない!」
「気にかけるのはそこなのかい?」
いつの間に来ていたのか。
ユーリが扉に背を預けて、おかしそうに笑いつつも、呆れたような視線を俺に向けていた。
その視線を撃ち落とすようにじろっと睨み返す。
「当たり前だろ。落ちぶれたとはいえ、貴族の子女がそんな下品な言葉を口にしていいわけがない」
「童貞♪」
「よく似合ってるよ」
「失礼な旦那様だ」
不満そうにユーリは腰に手を当てる。
知ったこっちゃないが、やけに似合っていたのは本当だった。
公爵令嬢が口にする言葉として適しているかはともかく。
ユーリの気の抜ける言動のおかげというのも変だが、俺を突き動かしていた苛立ちが体から抜けていく。
代わりに、心に残ったのは鬱々とした重さ。
言い過ぎたという後悔で、胸に触れるとざらりとした感触が手に伝わってくるかのようだった。
「……はぁ、悪い。変なとこ見せた」
「変とは思わないさ。家族なら当然の怒り、なんだろう?」
「そりゃぁ、な」
妹の身柄が賭け皿に乗っていたのを知って、平常でいられたらそれはもう家族とは呼ばない。
でも、と顔を覆う。
爪を立てて、ぐしゃぐしゃにかき乱したくなる。
「あんなことを言うつもりじゃなかったんだ。ただ、心配だったのに、それをちゃんと伝えられなかった。母さんから碌な事情も聞かないで、ルルを怒ることしかできなかった。なにが兄だ。情けない」
せめて、ルルの言い分に耳を傾けるべきだった。
勝手な真似をしている、なんて俺が叱れる立場でないのも事実なのに、ただただ俺の感情をぶつけてしまった。
本当に情けない。
なのに、ユーリは笑って「私は羨ましいよ」と言う。
「どこが?」
俺は一方的に気持ちを押し付けただけ。
それのどこに羨ましいと思う要素があるって言うんだ。
「理屈もなにもなく、ただ心配だからと怒ってくれる人がいることに、だよ」
「普通だろ?」
「そうかな?」
ユーリがからかうように瞳を薄くする。
「それとも、私が義妹君と同じことをしたら、旦那様は叱ってくれるのかい?」
「叱る」
即答したら蒼い瞳を丸くされた。
なんでだ。
「家族じゃないのにかい?」
「でも、友達……」
というには、変な関係だけど。
「……、のようなもんだろ? 偽の婚約者だとかで明言しづらいけど。家族じゃなかろうが、仲いい相手がそんな自分を売る真似をしたら、怒るに決まってる。変なこと言ってるか、俺?」
訊くと、ユーリは無言で見つめてくる。
微動だにせず、無表情なのがなんか怖い。
そのまま頬骨を人差し指で叩き出し、いよいよ恐怖を感じていると、ユーリがはぁーっと長いため息を吐き出した。
瞳を斜め上に向けたその顔は、どこか呆れているように見える。
「旦那様は複雑な気持ちになるようなことを言うね。喜んでいいのか、叩けばいいのかわからなかったよ」
「いやどっちでもな……なんで叩く選択肢があるんだよ?」
そこは『悲しんでいいのか』じゃないのか。
「今からでも叩こうか? この鈍感野郎ーって」
「やめとく」
笑顔で平手を上げるユーリに、ふるふると首を振る。
あえて、叩かれる変態的な趣味はない。
「まぁいいけど」
「よし」
「構えるな、叩くことじゃないから」
やめろやめろと手で払う。
「わかっているさ」と笑ったユーリが、部屋を出ようとする俺に尋ねる。
「義妹君の後を追いかけるのかい?」
「謝んないとな」
「そうか」
頬に手を触れさせ、考える素振りを見せたユーリは「そうだな」とすれ違い際に俺の手を掴んだ。
久しぶりに感じる、彼女の華奢な手の感触に、こんなときだっていうのに心臓が跳ねる。
「……なに?」
「義妹君のことは、私に任せてくれないかい?」
急な、そして突飛な提案だった。
なにを考えているんだ?
言葉の真意を探ろうとユーリを見るけど、彼女はいつものように微笑むばかり。
「旦那様の妹は私の家族、だろ?」
「偽装、な」
俺の口慣れた返答にユーリは笑みを深めて、「それに、今の義妹君に旦那様が会うのは逆効果だよ?」と言われて、急く心が立ち止まる。
「それは、そうかもしれないけど」
諦めきれない俺に、ユーリは控えめな胸に手を添える。
「旦那様の妻である私を信用したまえ」
自信満々なその態度に、不安を覚えてしまうのは俺が捻くれているからだろうか。
 




