第2話 眼鏡な公爵令嬢
なんか、見られてる?
広場に向かう途中、街中を歩いていると、やたら通りかかる人たちの視線を感じる。
最初は気のせいかと思ったが……見られてるな、すっごく。
露骨に追いかけてくる視線は俺を通り越して、隣の淑やかなユーリに注がれている。
あぁ、なるほど。
そういうことか。
「どうかしたかい?」
「いや……どうしたものかなと」
手を繋いだまま、こちらを見上げてくるユーリはきょとんっとしている。
普段が大人びて見えるせいか、その顔は年齢以上に幼く見えた。
察した上でからかっているのか、本気でわかっていないのか。
いずれにせよ、ユーリの顔色から内心を読み取るなんてできない。
俺の心は筒抜けなのになぁと諦観しながら、行き交う人々を見回す。
「目立ってるなーって」
「そうかい?」
ユーリが小首を傾げる。
これは本気でわかってなさそうな反応だった。
普段から注目を浴びるのには慣れている、ということだろうか。
「ふふっ、まぁ私のこの美しさだ。人々が見惚れてしまうのは無理ならぬことだね」
「……否定はしないけど」
その美しさのせいで困っているのに、なにを堂々としているのか。
もっと謙虚になれ。
そう思って、頭の中で奥ゆかしいユーリを想像してみる。
『そんなぁ! 私なんてぜんっぜん綺麗なんかじゃありませんよぉ!』
…………。
「ユーリは今のままが1番だな」
「それは当然だが……なにか含ませてないかい?」
「ないない」
綺麗じゃないと否定してるのに、どうしてか逆に自分のことをかわいいと思ってるいけ好かない性格になってしまった。
謙遜もすぎれば嫌味という、いい例だろう。
「いまさらだけど、1人で学園の外に出たよかったのか?」
「……」
「え、なにその無言?」
怖いんだけど。
しばらく彫刻のように固まっていたかと思うと、ユーリがハッと我に返る。
「すまない。旦那様のあまりの軽率さに意識が飛んでいた」
「謝ってないよね? バカにしてるよね?」
「デートに誘う前に訊くべきことだろう、とは思っているよ?」
「それは本当にごめんなさいだけどね!」
しょうがないじゃん!
なんかここ最近のユーリの様子が変で焦ってたところに、デートに誘うことになったんだぞ!
そんな常識的な疑問頭からすっかりぽろっと抜け落ちてたっての!
……いやほんと軽率だな、俺。
考えなしだった自分を額を押さえて後悔していると、ユーリに「そういうところも旦那様らしい」と笑われてしまった。
「まったく褒められてる気がしない」
「だろうね、褒めてないから」
だよね。
「とはいえ、そのことについては気にしなくていいさ。誰になにを言われようと、私は私の好きなようにやるだけだ。たとえ、街の外に出たことでなにかしらの被害をこうむっても、旦那様を責めはしないよ」
「……それは俺が俺を責めるっての」
「なら――」
ユーリが屈んで、からかうように見上げてくる。
「私を守ってくれるかい、旦那様?」
「…………デートだしな」
気恥ずかしさもあってそう言うと、「素直じゃない」と笑われて余計に顔が熱くなる。
手玉に取られるっていうのは、こういうのを言うのかも。
顔を顰めていると、広場に着く前だがぽつりぽつりと道沿いに露店が並び始めていた。
敷物に商品を並べる簡易的なもので、古着やヒビの入った皿といった品が並び商人……というよりは、個人が不用品を売って小遣い稼ぎをしているように見える。
許可取ってなさそうだなーと思いつつも、こういうのは掘り出し物もあったりして心擽られる。
ユーリに「少し見ていきたい」と断りを得てから、並ぶ品物を覗く。
なにかいいのがないかなー。お。
丁度よさそうなものが目に留まる。
売り子のおばあさんにお金を払って商品を受け取ると、隣でその様子を窺っていたユーリが怪訝な顔をしていた。
「……? なんでそんなものを買ったんだい?」
「そんなものって」
いやまぁ実際そんなものではあるんだけど。
「ガラクタみたいなものだけどさ」
買った品を布で拭い、手元を覗き込んでくるユーリの目元にそれをかける。
「……急になにをするのかな?」
「変装とまではいかないけど、少しは顔を隠せると思って」
眼鏡の奥から、ユーリが不満そうな目を向けてくる。
レンズのないフレームだけの眼鏡。
本来の役目を担えない、ガラクタ同然のものだけど、ユーリの端正な顔を少しは隠せるかなーと淡い期待をしていた。
「……思ってたけど、なんか、あれだな……別の魅力がある、な」
お淑やかさに知的美人も合わさって、もはや美の暴力だった。
「私の美しさを眼鏡1つでどうにかなると思うのは浅はかだったね」
「普通眼鏡って言ったら男がかけるものなのに、平然と着こなしやがって」
「ふふっ」
褒めてるわけじゃないんだけど、嬉しそうに笑われてしまった。
受け取り方によっては褒め言葉なんだろうけど……なんか複雑。
とはいえ、これじゃあ顔を隠すという目的を果たせない。
買う前に試着させればよかった。
使い道のないレンズなし眼鏡に払ったお金を惜しみつつ、「他の案を考えるよ」とユーリがかけてる眼鏡に手を伸ばすと、さっと避けられる。
……もう1度、眼鏡を取ろうと手を伸ばして、やっぱり避けられる。
いや、なんでだ。
「いらないだろ、それ」
「これは旦那様が私に買ってくれたんだろ?」
「そうだけど……え、いるの?」
「もちろん」
ユーリは眼鏡のツルに手をかけ、くいっと上下に揺らす。
「それに、似合ってるんだろ?」
「似合ってるけど」
「なら、これは私のだ」
なにが『なら』なのか。
古びて、使い道なんてない眼鏡を大事そうに撫でているユーリの姿は、まるで欲しいものを親に買ってもらった子どもみたいだった。
手に入らないものなんてなさそうな公爵令嬢が、レンズすらない眼鏡のフレーム1個のなにが嬉しいのやら。
俺が贈ったから?
それとも、似合うって褒めたから?
考えて、背中が痒くなる。
だから、なんでもない風を装って息を吐く。
どうあれ、気恥ずかしい。
「日曜市というのは色々売っているんだろう? ふふっ、楽しみだな、なにを買ってもらおうか」
「……手加減はしてくれよ」
早く行こうと手を引いて急かしてくるユーリ。
なんだか、子どもの面倒を見ている親の気分だ。
「こんな奔放な子どもがいたら大変そうだけどな」
「どこからどう見ても、お淑やかな令嬢だが?」
「笑うとこか?」
「……ふふっ」
尋ね返したらユーリの微笑みに影が差したので押し黙る。
怖いって。
そうして引っ張られながら歩いていると、人の往来が増えて露店が並んだ広場が見えてくる。
遠目からでもわかる賑わいに、ユーリが目を細める。
「では、旦那様。エスコートをお願いしても?」
「かしこまりました、お嬢様」
ユーリに乗って恭しくしてみせたら、「似合わないね」とくすっと笑われてしまった。
羞恥心から「うるせー」と悪態をつきつつ、ユーリを伴って広場を見て回る。