第2話 銀薔薇の令嬢とのお茶会
お茶会は貴族間では珍しいことじゃない。
学園の中庭でも見られたように、学園の中でも頻繁に行われている。
挨拶に近いのかもしれない。
俺は貴族の交流の場には縁遠く、お茶会にも不慣れだった。
しかも、メイドではなく令嬢自ら紅茶を淹れるなんて。
雰囲気から高位って判断したけど、意外と身分は高くないのか?
薔薇の生け垣に囲われた席には、付き人1人いなかった。
付き人は2人までと決まっているが、高位の貴族がメイドや執事を従えていないのは見たことがない。
金銭的事情でやむなく、なんて俺の場合を除けば初めて見る。
貴族は見栄を大事にする。
効率的ではなかろうとも、それが貴族という生き物の矜持でもあった。
……つまり、俺は貴族じゃないんだな。
根っからの庶民派だと自嘲している間に、銀髪の令嬢がすっと紅茶の入ったカップを差し出してくれた。
「ありがとうございます」
「堅苦しくしないでいいよ。ここには私と君しかいないのだから、気楽に行こう」
「そう、ですか?」
「敬語は気楽かい?」
ユーリが碧眼を細める。
彼女がなにを望んでいるか、見ればわかる。
けど、相手の身分はわからないままだ。いいのかな? って悩むが、本人がそう言うなら――
「じゃあ、ここだけでは、そうする」
「素直ないい子だね、君は」
「……そんなこと言われたのは初めてだよ」
「私も口にしたのは初めてだ。なにせ、貴族は頑固者が多いからね」
わかる話だ。
伝統、礼儀を重んじる貴族というのは基本的に頭が固い。
新しい物好きでこそあるが、それは伝統に倣ったものだけだ。
当たり前から外れるのを嫌う。
彼女の言葉は頷けるが、だからといって肯定して見せるのは気が引ける。
相手に乗って本音を話して、手のひらを返されるなんて貴族社会では日常茶飯事だ。
二枚舌を持たないと、貴族としては生きていけない。
誤魔化すつもりでカップに口を付けて、……。
「うま」
「それはよかった」
微笑ましそうにされて、顔が熱くなる。
でも美味しいからもう一口。
紅茶なんてのは平民には高級品だ。
それは潰れる間近の子爵家でも変わらない。
それでも時折、頂き物や貴族の付き合いで飲むこともあるのだが、これは別格だった。
貧乏舌なら俺でも香りや味が違うのがわかる。
美味しい以外の表現方法を知らない自分が恨めしくなるくらいには、美味しかった。
「ふふっ。そこまで気に入ってくれるなんて。もう1杯、おかわりはどうかな?」
「それは……」
どうしよう、と悩んだのは一瞬だった。
ポーズと言ってもいい。
「……いただきます」
「本当に君は素直だね」
よいことだ、と褒めながらおかわりの紅茶を淹れてくれる。
気恥ずかしさも感じつつも、紅茶の美味しさに舌鼓を打っていると、微笑みを絶やさない令嬢が話を切り出した。
「ところで君は……と、そう言えば名前を伺っていなかったね」
「っ、失礼しました」
「敬語」
「……ごめん」
名乗りすらしていなかったことより、敬語の方が重要なのか。
わからない価値観だが、美味しい紅茶をご馳走になっておきながら、自己紹介をしていない俺は貴族平民以前に人として失礼だった。
でも、仕方ないとはいえあまり名前を名乗るのは好きじゃなかった。
「リュウール子爵家のクルールと申しま……だ」
「ふむ。クルール・リュウール」
繋げないでほしい。
舌に馴染ませるように俺の名を呟いた彼女は、にっこりと笑う。
「音の重なりが素敵な名前だな」
「……どうも」
言われると思ったけど。
別々ならともかく、どうしてこの名前を並べようと思ったのか。
名付けは祖父らしいが、もう少しなかったのかと思わずにはいられない。
「クルール、ならクルだな」
「それは」
「ダメかい?」
「いいけど」
家族にしか呼ばれたことのない愛称だから戸惑っただけだ。
背中がむず痒くなる感覚があって、誤魔化ように彼女に尋ね返す。
「あなたの名前を伺っても?」
「……訊くの?」
蒼い瞳が丸くなる。
「え、あ。訊いちゃいけな……いけませんでした?」
扱いに困って敬語とタメ口が混ざる。
身分の上の者が名前を窺うのは失礼に当たる。それは俺もわかっているが、敬語で話すということは、そうした礼儀を忘れろ、という意味だと思っていた。
違ったのか?
反感を買ったかと焦るけど、どうやらそうではなかったようだ。
「……いや、なんでもない。名前を尋ねられるのなんて久しぶりで驚いただけだ」
「俺はその言葉を訊いて、お茶の誘いに乗ったのを後悔してるよ」
「ふふっ、どうしてだい?」
絶対わかってるよな?
からかうように笑われて、はぁっと息を吐き出す。
名前を尋ねられない、なんてどれだけ上の地位なのか。
お金がなくてなかなか社交界に出ないせいか、どうにも貴族の顔を覚えていない。
お抱えの画家に絵姿を描かせてばら撒く自己顕示欲の高い貴族もいるが、身分が高い者ほど安易にそんなことはしない。
自分の顔を知られる危険をよく知っているから。
そのため、社交の場に出ないと貴族の顔なんてまず知らない。そのせいで、田舎の貴族がやらかして……やめよう。ほとんど今の状況で、肝の冷える結末なんて想像もしたくない。
「そうだね、ユーリとでも呼んでくれ」
「わかった」
ユーリという名前や愛称は珍しくない。
ここまで来たら彼女の正体なんて知らないまま、この茶会を終えようと心に決める。
不用意に秘密を暴くのは死を意味する。
貴族社会の常識だ。
「それでクルは、どうして薔薇の迷宮に来たんだい?」
その話にまで戻るのか。
あまり話したいことじゃないが、これだけ美味しい紅茶をご馳走になって黙秘というのは後ろめたさを覚える。
「恥を語るようで嫌だけど」
と、前置きして、これまでの経緯を語る。
結婚を前提にした学園のあり方に馴染めず、居心地の悪さを感じている。
だから、1人になれる場所を探して彷徨っていたら、偶然ここに辿り着いた、と。
そしたら、
「わかる」
と、なぜか大いに共感された。
その勢いはテーブルに乗り出す勢いで、「そ、そうか?」とこっちが戸惑ってしまうくらいだった。
「この学園は、結婚相手探しが中心だろう? だから、求婚、求婚、また求婚。断っても、しつこく湧いてくる。まるで虫だよ。もう、ほんっとうにうんざりする!」
「む、虫」
「おっと。言葉が過ぎたね」
失礼、とユーリは楚々と口を隠す。
これまでの令嬢然とした落ち着いた雰囲気を一変。眉間に皺をこれでもかって寄せて、苛立ちを爆発させたユーリにやや引く。
絶世、という言葉すら霞そうな美人だ。
たとえ平民であっても男がほおっておかないだろうに、明らかに彼女は上流階級の人間。引く手数多どころじゃないのは想像に難くなかった。結婚推奨の学園ならば尚更だろう。
「苦労してるんだな」
「労いの言葉を貰うのは、いつぶりかなー」
遠い目をするユーリに、もはやかける言葉もなく乾いた笑いを漏らすしかなかった。
「せめて、婚約者でもいれば別なんだろうが」
「いないのか?」
首を左右に振られる。
話の流れからそうだろうと思っていたけど、言葉にされると意外だと感じてしまう。
「そも、私は結婚というものに興味を持てなくてね。そうした働きかけはいくつもあったが、全て断った」
「わからんでもない」
結婚、婚姻、婚約。
なんでもいいが、貴族となるとそこには愛や情ではなく、打算が大きな割合を占める。
それが悪いことだと一概には言えない。
そうして貴族の家が守られてきたのは、事実なのだから。
「俺も嫌だな」
こう思うのは俺が潰れる間近の貴族だからかもしれないけど。
「結婚するなら好きな人としたいよな」
「クル……」
「あ」
思わず感情をそのまま零してしまった。
なにを言ってるんだ俺は。
夢見がちな子どもでもないのに。
本心ではあっても、口にするべきではなかった。というか、あまりにも幼稚な思考で恥ずかしい。
「ごめん変なことい――」
「クル!」
「な、え?」
忘れてくれと軽く振った手を、ユーリがガシッと両手で握ってくる。
その力強さもだが、急な行為に目を白黒する。
テーブルに乗っかる勢いで身を乗り出してきて、近づいた顔にドキマギしていると、碧眼を輝かせたユーリが言った。
「私と婚約しよう!」
ユーリが言葉を重ねる。
「――偽装婚約だ!」