第3話 side.ユーリアナ 公爵令嬢、月下の真実
旦那様は焦っているけど、私からすれば求婚の牽制は果たしたのだから思惑通りと言ってもよかった。
……少しばかり想定外なことも起こっているけれど。
「誰かに見られたらどうなるか……」
「ふふっ、その方が好都合だろう?」
「俺にとっては不都合すぎる!」
男子寮の廊下をこっそりと歩き、旦那様は誰も通らないでと祈りながら周囲を警戒している。
ただ、私にしてみれば気にしすぎだと思う。
確かに夜の帳が降りているが、まだ日は変わっていない。
そろそろ夕食時といったところだろう。
問題というのなら、男子寮に入った時点で手遅れであり、この程度であればいまさらと言える。
だから、私にとって旦那様の頑張りは無駄の一言に尽きる。
それでも、必死に頑張っている旦那様は微笑ましいので、水を差すつもりはなかった。
「秘密の密会みたいで楽しいね」
「……あながち否定できないのが悔しい」
「ふふっ、確かに。未婚の女性が男性の部屋に上がっているんだ。みたい、ではなかったね?」
歯噛みをする旦那様を見て、私の口からくすりと笑みが零れた。
感情豊かな彼の表情は、眺めているだけでも飽きない。
ここから、男子寮の生徒に遭遇するなんてハプニングがあれば、もっと楽しい顔を見せてくれるに違いない。
期待に胸を膨らませていたが、至極あっさりと寮の入口を抜けられてしまった。
「肩透かしだね。せっかくなら誰かに見咎められて、旦那様が慌てる姿を見たかったのだけど……残念だよ」
「おい」
肩を落として素直な気持ちを口にすると、旦那様が口の端を引き攣らせた。
今回はこの表情を見れただけでよしとする。
男子寮の門を抜け、空を見上げる。
丸い月に、瞬く星々。
雲一つない夜空の帰り道は涼しいそよ風が流れていて、熱を冷ますには丁度よかった。
「今日は楽しかったよ、旦那様。ごきげんよう」
「送ってかなくていいのか?」
「ふふっ」
意外そうな反応に、つい笑ってしまう。
「なんだい、エスコートしてくれるのかな?」
「送ってくだけだ」
「では、お願いしようかな」
と、いつもなら旦那様の手を取るのだけど、今日ばかりはそういうわけにはいかなかった。
持ち上げた彼の手に手を重ねようとして止める。
肌と肌が触れる直前。
微かな隙間だけを残して、ぎゅっと手を握って胸元に引き戻す。
「なんてね」
「うん?」
困惑する旦那様に、いたずらっぽく微笑む。
「夜に男性を連れて帰宅というのも刺激的だけれど、それはまた今度の楽しみにしておくよ」
本当は旦那様に送ってもらいたい気持ちもある。
それは女1人で夜道を歩くのを危惧したわけじゃない。
ただ、彼と一緒に帰るのは楽しいから。
それだけだ。
けれど、今夜だけはそんな気持ちを抑えて、1人で帰らなければならない理由が私にはあった。
「今度もなにもないから」
「それはどうかな?」
「含みを持たせるな」
小気味よい彼の返事に、胸がくすぐられた気分になる。
このままずっと話していたい気分になるが、あまり長居はできない。
後ろ向きに数歩下がって距離を取る私に、旦那様が尋ねてくる。
「本当にいいのか?」
「旦那様は優しいね」
嫌だ嫌だと言いながらも、私の身を案じてくれる。
そういうところに愛おしさを感じて、からかいたくなってしまう。
旦那様にとっては迷惑な話だろうけど、愛情表現だと思ってもらおう。
「私も旦那様と同じで寮生だ。学園の敷地内を移動するだけだから、そう危険はないよ」
そもそも、貴族の令嬢なら使用人が付いて回るので、学園の敷地内だろうと1人になるのは稀だ。
実際、私にも実家から連れてきた侍女がいる。
ただ、付き纏われるのは窮屈なので、寮の部屋に置いてきていた。
それを危険視する声もあるが……私にはどうでもいい。
「でもなぁ」
なおも心配そうにする旦那様。
このままだと私の方が絆されてしまいそうなので、少々強引な手を取ることにした。
旦那様の傍に駆け寄って、背伸びをする。
固まる彼の耳元でそっと囁く。
「……お別れのキスなら受け取るけど、してくれるかい?」
「~~っ、誰がするか!」
たまらず絶叫する旦那様から「あはは!」と声を上げてさっと離れる。
夜闇の中だからわかりにくいが、きっと彼の顔は熟した果実のように赤いはずだ。
「ごきげんよう、旦那様! また明日、迎えに行くよ!」
「来くるなー!」
腕を上げて、大きく手を振る。
旦那様はそんな私を見て渋面を作っていたけど、最後には小さく手を振り返してくれた。
そのやり取りに満足感を胸に抱きながら、帰路につく。
「旦那様の反応は見ていて飽きないね」
急増した求婚を減らすのが目的だけれど、見事に手段と入れ替わっていた。
それもまたよしと頷きつつ、一頻り歩く。
歩いて、歩いて、
「はぁぁ……っ!」
――膝から崩れ落ちる。
そのまま顔を覆う。
もう我慢の限界だった。
「私がなんでもかんでも恥ずかしがらないと思っているのか……!?」
そういう印象を抱かせるように振る舞っているのは私だ。
しかし、だからといって羞恥心を覚えないわけではない。
「私とて女なんだよっ?」
最初こそ面白がって、旦那様のベッドに転がったのは私だ。
誰が悪いかと言えば、間違いなく私が悪い。
認めよう。
そこまではいい。
ただ、まさかそのまま揃って眠ってしまうなんて想定外だ。
そんなつもりはなかった。
旦那様と別れるまでどうにか取り繕えたが、内側で破裂しそうなほどに膨れ上がる羞恥心はもはや限界だった。
女子寮まで送られていたら、耐えきれずボロを出していたに違いない。
「男性と同衾してしまうなんて……!」
旦那様の顔色を気にしている場合ではない。
顔が熱い。
今が夜でよかった。
赤くなった顔を誰にも見られないですむのだから。
こんなに取り乱したのは初めての経験だった。
だから、対処法がわからない。
「明日からどんな顔で旦那様と会えばいいんだー!?」
夜空に吠えても、月も星も応えてはくれない。
ただ狼狽する私を、その美しい輝きで照らすだけだった。
◆第6章_fin◆
__To be continued.