第1話 男子寮の自室で、公爵令嬢がベッドに誘う
男子寮というが、その実態はアパートメントに近い。
ラウンジや食堂はあるが利用するかは自由。
生活するだけなら与えられた部屋だけで完結できる。
ただまぁ、貴族の子息が1人暮らしできるほど生活力に長けているなんて稀で、使用人を連れているのがほとんどだ。
なので、1階は使用人の住居かつラウンジや食堂といった共同スペース、2階以上が男子生徒の住まいとなる。
俺の割り当てられている部屋は2階の1番奥。
『角部屋いいなー』なんて呑気に思っていた過去の自分を殴ってやりたい。
「ここが男子寮か」
物珍しげに男子寮の廊下を歩きながら、ユーリは辺りを見渡している。
ただ、ここで生活する男子生徒たちにとって、珍しいのはユーリという女の子の方で、ドアを開けて覗いてきたり、後ろから付いてきたりと、人が集まって見世物状態だ。
後でなにを言われるか。
暗い未来に肩を落としていると、ユーリが俺の部屋の前に立っていた。
「入っていいかい?」
「……どうぞ」
ここで抗ったところで、もはや手遅れだろう。
ドアを開けて、軽い足取りで部屋の中に入ろうとしたユーリだったが、どうしてかピタリと止まる。
部屋に入りかけた姿勢のまま、俺の後ろを見て微笑む。
「これから旦那様とお楽しみなんだ。あまり騒ぎにしないでくれたまえよ?」
そんな余計なことを言い残して、俺の部屋に入っていった。
背後に感じる気配は暗雲どころかもはや嵐だ。
振り向く勇気もなく、そのままユーリの後に続いて部屋に入る。
「……騒ぎにならないわけないだろ」
煽っているなら天才的だ。
そして後手でドアを閉めた途端、部屋の外で『なんだってー!?』とドカンッと爆発が起きた。
火薬庫に松明を投げ入れるくらい、当然すぎる結果だった。
◆◆◆
「ここが旦那様の部屋か……」
さっとユーリが室内を見渡す。
「なにもないな!」
「貴族らしくはないけどな」
大きな物はベッドと机くらいなもので、他はこれといったものはない。
学園に入学して半年近く経つが、私物はあまり持ち込まなかった。
お金がないというのが1番の理由だが、備え付けで事足りているというのもある。
「探索したかったが、これでは張り合いがないね」
「目的それかよ」
残念がるユーリに呆れる。
「見られて困るような物はないからいいけど」
「用意してくれたまえ」
「なんでだ」
「私が楽しい」
堂々とそんなことを言えるユーリは、謙虚や奥ゆかしさとは正反対だった。
自分中心に世界が回っている、そんな感じ。
「羨ましい性格してるよな」
「ふふっ、もっと褒めてくれてもいいんだよ?」
今の言葉を褒めてると解釈する辺り、ユーリの自尊心の高さは本物だろう。
それを傲慢と捉えるか、高い能力に裏打ちされた自信と捉えるかは人それぞれだろうが、俺はどっちにも感じる。
貴族らしい、という評価が1番しっくりくる。
「ほんとにここは旦那様の部屋なのか? 私を騙そうとしていないかい?」
「してないから。急に来たのはユーリだろ。そんな手の込んだことする余裕はなかったろ?」
「そうだが、あまりにも色がないというか、使用人の部屋の方がまだ個性があるぞ?」
「前にも言ったけど、勉強しに来てんだよ、俺は」
部屋を彩る余裕なんてない。
「勉強できて、寝れればそれでいい」
「つまらないだろ、それでは」
「学園に面白さは求めてないんだよ」
勉強できて、学園を卒業して、お金を貰える仕事に就ければそれでいい。
それ以外に学園で求めているものはなかった。
ユーリの顔色を窺い、吐息をこぼす。
「なんでユーリが不服そうなんだよ」
「旦那様がつまらない学園生活を送ってたら嫌だろう?」
「偽装な」
一体何度口にしたかわからない否定を添える。
部屋に来たことといい、どこまで本気なのか。
最初は求婚してくる男たちへの当て馬や牽制だと思っていたが、どうもそれだけじゃなくなっている気がする。
ただ、男として見られているか、というと微妙なところだろう。
もしそうなら、意気揚々と男の部屋で2人きりになんてならない。
淑女教育を受けた貴族ならなおさらだ。
でも、口の端を曲げて、子どもみたいに拗ねている。
その理由が俺を想ってなのは、乙女心に疎い俺でも感じ取れた。
だから、慰めようと思うのだけど、言葉にしようとすると躊躇われる。
頬が熱くなるのを感じつつも、どうにか喉から声を絞り出す。
「まぁ、最近はつまらないなんて思う暇もないくらい、毎日騒がしいけどな」
こういう気遣うような言葉は苦手だ。
公式の場ならともかくプライベートで、それなりに親しい間柄の相手を褒めるということに気恥ずかしさを覚える。
そうしている内に、皮肉ばかり口にするようになって、本音を素直に言えなくなっていく。
それが大人だというのなら、俺も片足を突っ込んでいるのかもしれない。
でも、今はまだ子どもだから、これくらいは許されるだろうと思ったのだけど、反応が返ってこなくて不安になる。
遠回しすぎた?
ユーリの様子を窺うと、きょとんと目を丸くして呆然と俺を見つめていた。
丸く大きな蒼い瞳の中に俺を見て、落ち着かない気分にさせられる。
「なんだよ」
「それは私といて楽しいということかい?」
「……」
もう少しこう、オブラートに包むとかできないものか。
俺が子どもなら、ユーリは幼児だ。
幼すぎる。
なんでもかんでもストレートで、心に浮かんだものをそのまま口にしているような気がする。
なにこれ。
赤裸々に全部答えないとダメなのか?
瞬き1つしないユーリにじっと見つめられて、背中に冷や汗が浮かぶ。
その真っ直ぐすぎる視線に耐えかねて、ふいっと視線を逸らしてしまう。
「……まぁ、そういう、ことでもある、か」
「そうか」
区切り区切り、どうにかユーリの問いかけを肯定したが、返ってきたのは素っ気ない相槌だけだった。
訊いてきたなら、もうちょっとなんかなかったのか。
いや深く追求されても困るんだけど。
そんなやや理不尽な思いを抱いてユーリを窺ったら、なにか様子が変なことに気がついた。
「そうか、楽しいか、そうか」
「ユーリ?」
名前を呼んでも反応が返ってこない。
訝しんでユーリを見ていると、「ふふっ」と急に笑い出す。
「あはは! そうか、楽しいか!」
「いやいや怖いって、なんだよ」
笑いながら、狭い室内を大きくふらつくように歩くのでどこかにぶつからないか気が気じゃない。
あっちふらふら、こっちふらふら。
見ているこっちははらはらしていると、両腕を広げてそのまま背中からベッドに倒れ込んだ。
て、おい。
「ベッドはやめろベッドは」
匂いが気になって眠れなくなったらどうしてくれる。
「旦那様」
ユーリは仰向けになり、薄い唇に艶めく笑みを浮かべて俺を見つめる。
まるで、誘うような視線が胸をざわつかせた。
「一緒に寝よう?」