96 「心に決めた人……」
テーブルに腰掛け、2人でスイーツタイム。
紅茶の香りがふわりと広がる中、まいが嬉しそうにプリンを見つめた。
「謙、チョイス良いね! ここのプリン、有名なの知ってたんだぁ〜?」
驚いたように目を丸くするまいに、俺は軽く肩をすくめる。
「まあな!」
なんとなく格好をつけて言ってみたが、まいはじっと俺を見つめたあと、ふっと微笑んだ。
「……うそでしょ?」
俺は思わず苦笑しながら、正直に話すことにした。
「実は知らなかった。デパ地下をさまよって、悩みまくってた…そうしたら、たまたま目に入ったから買ったんだ」
すると、まいは得意げな顔で「やっぱりね〜」と頷いた。
「だと思った! 絶対、誰かに聞いたか、偶然しかあり得ないと思ったもん」
「それ、失礼じゃないか?」
「だって、謙ってば、いつもヘンテコなのばっかり選ぶんだもん!」
まいは楽しそうに笑いながら言う。
たしかに、昨日も散歩の時買ったのも、妙にクセの強い味のものを選んでしまい、「これ、どういうセンス?」と呆れられたことがあった。
「まあ、今回は大正解ってことで!」
「うん! これは間違いなく大正解!」
まいはニコニコしながらスプーンをすくい、嬉しそうにプリンを口に運んだ。
そんな彼女を見ていると、俺も自然と笑みがこぼれる。
「そういえば、今日はどこか出かけたのか?」
ふと尋ねると、まいはスプーンを止めた。
「……ううん。友達が都合悪くなったって連絡が来て、ずっと家にいたよ。だから、すごく退屈だった」
「そっか、それは残念だったな」
俺は軽く相槌を打ったが、まいは心の中で小さく「嘘ついちゃった……謙、ごめん」と呟いていた。
──本当は、外に出る気になれなかった。
謙がいない間、どうしようもなく不安で、ただ時間だけが過ぎていった。
でも、そんなことを言ったら、謙を困らせてしまう気がして……。
まいは笑顔を浮かべたまま、そっとカップに手を添えた。
「そうだ、今日会社で面白いこと聞いたんだよ」
そう言って、俺は今日あったことを話し始めた。
「会社の後輩が、俺に妙に懐いててさ。いろいろ教えてくれたんだけど、俺は全く覚えてないんだよなぁ」
「ふふっ、謙は慕われてたんだね」
まいは静かに聞きながら、穏やかに微笑んでいた。
「どうやら俺、後輩たちとよく飲みに行ってたみたいでさ。で、俺が事故で意識不明になったとき……部署の女の子たちが……聞いてる?会社の女の子達が……」
「ちょっと待って! そこ、強調しなくていいから!」
まいがすかさずツッコミを入れてくる。
「いやいや、そういう意味じゃなくて!」
俺は苦笑しながら続けた。
「女の子たちが、心配で本気で泣いてたらしいんだよ」
「……ふぅん」
まいの表情が、どこかムッとしたものに変わった。
頬を少し膨らませて、スプーンをくるくる回している。
……分かりやすいなぁ〜。
「でな、後輩の武井ってやつに、俺ってそんなにモテてたのか? って聞いたんだよ」
「……」
まいは無言のまま、さらにスプーンを回す速度を上げる。
「そしたら、武井がさ──」
俺はちょっと間を置いてから、ゆっくりと続きを話した。
「『先輩、全くモテてませんでしたよ』って」
「……え?」
まいが意外そうに顔を上げる。
「俺も『えぇ、なんで?』って聞いたらな。武井がこう言ったんだ」
『だって、先輩いつも言ってたんですよ。
“俺には心に決めた人がいるから、惚れちゃいけないぜ” って』
俺は少し照れくさくなりながら、まいの顔を見た。
「……きっと、その“心に決めた人”って、まいのことなんだろうなって、思ったよ」
まいは、それを聞いてどう反応するかと思ったが──意外にも、大きく喜ぶことはなかった。
ただ、静かに微笑んで、じっと俺の顔を見つめていた。
「まい?」
名前を呼んでも、彼女は少しの間、何も言わなかった。
──“心に決めた人”
その言葉が、まいの心に深く響いていた。
嬉しいはずなのに、胸の奥がチクリと痛んだ。
謙は、何も知らない。
知らなくていいことなのかもしれない。
でも、もし知ってしまったら……。
「……まい?」
俺がもう一度呼ぶと、まいはようやくふっと微笑んで「ううん、なんでもない」と首を振った。
プリンの甘さが、ほんの少しだけ、切なく感じる夜だった。




