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微かな希望と仕事下手な死神

作者: 小雨川蛙

 

「こちらです」

 そう言われて案内された小屋の中は嗅ぐことさえ躊躇われるほどの煙が蔓延していた。

「換気をしたいのですが、許してくれないのです」

 そう言って案内してくれた女性は俯く。

 彼女は患者の妹だった。

 いや、より正確に言えば患者の妹となるはずの人だった。

「義兄は姉の部屋に居ます。大量の麻薬に塗れて……」

 私は頷くと彼女に短く告げた。

「あまり期待しないでくださいね」

 彼女は息を飲み、そのまま頷いた。

 布で出来た簡易なマスクを口元にしっかりと当てながら私はそのまま患者の居る部屋へと入った。

 ドアを開けた途端、波のように煙が私の全身を包む。

 マスク越しにさえ感じる恐ろしい陶酔を唇を噛む事で耐えながら、部屋の中心にいる男性へと声をかけた。

「ブラウンさん?」

 声をかけるとブラウンは振り返り言った。

「あぁ。気にしないで。すぐに追い返すよ」

 彼はこちらを見ているが、私に対して言葉を向けていなかった。

 事前に彼の義妹から聞いた情報が蘇る。

 結婚を控えていたブラウンの恋人は不幸な事故により世を去っていたのだ。

 それからというものブラウンは麻薬に溺れている。

 義妹曰く、こうしていると恋人の姿が見えるのだとブラウンは宣っていたらしい。

「ブラウンさん」

 今度は呼びかけながら彼に近づく。

 するとブラウンは虚空を見つめながら何事かを呟く。

 いや、会話をしていると言った方が良いかもしれない。

「大丈夫だって。すぐに追い返すから」

「うん。平気だよ。ここなら安全だ」

「安心して。僕らはいつも一緒だ」

 矢継ぎ早にブラウンが誰かに語っている。

 目の前に居る私が見えていないかのように。

 私はそのまま彼に近づくと、その細い腕を思い切り掴んだ。

「あなたの恋人はもう死んでいます」

 はっきりと宣言する。

 何故なら私はカウンセラーの類いなどではない。

 もっと、ずっと残酷な存在なのだ。

 しかし、ブラウンは私から顔を逸らし虚空を見つめたままに言った。

「安心してよ。こんな奴、すぐに追い返す。ここは僕らの家なんだ」

 逃げるように口にした言葉を黙らせるために私は思い切りブラウンの頬を叩く。

 彼は信じられないという顔でこちらを見たが、その顔をさらに強く叩いた。

「あなたの! 恋人は! 死んでいます!」

 呼吸を置きながら告げた言葉を受けて、ブラウンの顔が一瞬だけ正気に戻る。

 だが。

「黙れ!!」

 そう言うが早く、ブラウンは私の頬を強く叩き返した。

「彼女はここに居る! ここに居るんだ!」

「どこにいると言うんですか! ここは煙に満ちたゴミみたいな部屋だ!」

 怒鳴り返す私を彼は思い切り突き飛ばす。

 私はそのまま倒れ込み、そのまま次の攻撃を覚悟したが、それが来ることはなかった。

 身を起こしてそちらを見やればブラウンは丸まって震えていた。

「頼むから放っておいてくれ」

 蚊の鳴くような声で願うブラウンを見つめながら私は身を起こす。

 私は思わずため息をつかずにいられなかった。

 何故なら、これは想定しうる中で最悪のパターンだったから。

「あなた。正気でしょう?」

 問いに彼は答えなかった。

 いや、答える必要もなかったと言うべきだろうか。

 その沈黙を答えの代わりと受け取りながら私は言った。

「生きる意志はないのですか」

 漂う煙が目に沁みる。

 灰色は最早彼の身体の一部にさえ見えた。

「死にたいさ」

 ぽつりとブラウンは言った。

「だが、死を選ぶことは……自殺をすることは彼女に対する冒涜だ。だって、彼女は生きたくて仕方なかったのだから」

「なるほど」

 私はそう相槌を打つと指をパチンと鳴らす。

 その直後。

 部屋の中に重いものが落ちた。

 ブラウンがゆっくりと振り返り、落ちてきた物が何かを見つめた。

 それは巨大な大鎌。

 草や穀物を刈り取るものではなく、人間の命を刈り取るもの。

 つまり、死神である私の仕事道具。

 私は大鎌を手に取ってブラウンへ挨拶をする。

「申し遅れました。私は死神です」

「なるほど」

 ブラウンの返事は意外なほどに穏やかなものだった。

 もしかしたら、死神の訪れを待ってたのかもしれない……なんて、私はふと考えていた。

「あなたに生きる気力がないと言うのであれば、私は今すぐあなたの命を刈り取ることが出来ます」

「それは自殺になるのかい?」

 問いかけるブラウンに対し、私は僅かに迷った後に答えた。

「自殺ではありません。ですが……」

「ですが?」

「あなたの恋人に対しての冒涜にはなるでしょうね」

 私の答えを受け取ったブラウンは黙り込む。

 そんな彼に私は畳みかけるようにして問いかけた。

「どうしますか? あなたの命を刈り取りましょうか? それとも、まだ生き続けますか?」

 残酷な問いだ。

 少なくとも、人間がこんな問いをしたのであればカウンセリングとして落第も良い所だろう。

 しかし、私は死神だ。

 だからまぁ、こんな聞き方をしても多少は許されるだろう。

 そんな私の胸中を知ってか知らずかブラウンは私に問い返した。

「彼女の命も君が刈り取ったのかい」

「ええ」

「何か言っていたかい?」

「次にあなたに会えるのはいつかと尋ねていました」

「彼女らしい」

 そう言ってブラウンは微かに笑った。

 直後。

 私は彼の身体に命が舞い戻るのを感じ取った。

 故に、私は大鎌を振りかぶり部屋の壁を思い切り切り裂いた。

 硬い壁は本来であれば刃物で壊すことは不可能に近い。

 しかし、私は死神で、振るう鎌は死神の鎌だ。

 切り裂かれ、空いてしまった穴から漂っていた麻薬の煙が抜けていく。

 その様をブラウンはただ見つめていた。

 苦く、重く、そして何よりも暗い世界が段々と晴れていく。

「僕はまだ死ねないのかい」

 ブラウンの問いに私は答えた。

「あなたが選んだんですよ」

 やや誘導気味ではあったけれど。

 それでも生きようと決めたのは他ならぬブラウンだ。

 踵を返して私はこの部屋を去った。


 部屋の外へ出るとブラウンの義妹となるはずだった女性が駆け寄ってきた。

「あの、ブラウンさんは……」

 おずおずと尋ねる彼女に対して私は微笑んで答えた。

「ご安心を。まだ死ぬつもりはないみたいですよ。けれど、立ち直れるようにあなたがしっかり支えてあげてくださいね」

 安堵から涙を流す彼女に対して私はペコリと一礼をする。

「それじゃ、また来ます。そうですね、あと四十年後くらいに」


 ブラウンの居た小屋が跡形もなく見えなくなった頃になり、私は思いっきり大きなため息をついた。

「あーあ……なーにやってんだか……」

 本来なら生きる気力を捨ててしまった青年の命をさくっと刈り取っておしまいだったはずなのに。

 ほんの僅かばかりの躊躇いを見つけ、手繰り寄せ、そして再び生きる道を歩かせるなんて。

「やっぱり、向いてないなぁ……この仕事」

 そうぼやきながら私はふらふらと歩き続けた。

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