9 出立の日
「……お待たせいたしました」
出立の準備が整ったエレインは、渋々階下で待っていたユーゼルの下に姿を現す。
やって来たエレインの姿を見て、ユーゼルは驚いたように目を丸くした。
その反応になんだか胸がざわめいて、エレインはぷい、とそっぽを向きながら早口でまくし立てる。
「な、なんですか……! いっておきますけど、これはあなたが用意した衣装であって似合っていないのはあなたの審美眼が――」
「誰が、似合っていないと?」
立ち上がったユーゼルがこちらへ歩みを進めてくるのが見えて、エレインは思わずびくりと肩を跳ねさせてしまう。
「あまりに似合いすぎていて、見惚れてしまっていただけだ」
ユーゼルはそっとエレインの手を取り、恭しく指先に口付けた。
「っ……!」
相変わらずの熱烈な態度に、エレインはやっぱり赤面してしまった。
本日のエレインは、ユーゼルがこの日のために王都中を駆け回って選定したドレスを身に纏っている。
繊細な肩から優雅に流れ落ちる生地は、エレインの瞳と同じく鮮やかなブルーアゲートの色に染められている。
ネックラインには滝のように繊細なレースが施され、エレインの華奢な鎖骨を縁取っている。
細く長い袖は上品なフリルで飾られ、優雅な手首を美しく際立たせていた。
何層にも重なったキラキラと輝くシルクの生地がボリュームのあるスカートを形成し、エレインが動くたびに美しく波打っている。
まるで寄せては返す、静かな海の波のようだった。
その場に居合わせた者は、その幻想的な光景に目を奪われずにはいられなかった。
まさにエレインの優雅さと気品を最大限に引き立てる、至高の一品といってもよいだろう。
「もしも似合わないなどとほざく輩が居たら、俺が反逆罪でつるし上げてやろう」
「何に対する反逆なんですか……!」
相も変わらず意味不明なことをのたまうユーゼルに、エレインはやっぱり調子が狂ってしまう。
「とっても綺麗よ、エレイン」
「お前が王太子殿下に婚約破棄されたと聞いた時はどうなることかと思ったが、こんなに素晴らしい御仁が見つけてくださるとは……ガリアッド公爵閣下、あなたになら喜んで娘を任せられます」
既に感極まって号泣する両親に、エレインは苦虫を噛みつぶしたような表情になりそうなのを必死に堪えた。
駄目だ、完璧に二人はユーゼルに懐柔されてしまっている。
(恐るべき人心掌握能力……そうやって、前世の私も騙したわけね)
前世からの怒りを思い出すと、少しだけ落ち着きを取り戻すことができた。
(そうやって余裕の笑みを浮かべていられるのも今のうちよ……)
「あなたがたが大切に育ててくださったエレインは必ず幸せにします」などとのたまうユーゼルを眺めながら、エレインは怒りか恥ずかしさか頬を薔薇色に染めるのだった。
「おめでとうございます! フェレル伯爵令嬢!」
「ガリアッド公爵とお幸せに!」
「二人の門出に祝福を!!」
ユーゼルの用意した派手な馬車が伯爵邸の敷地を出ると、待ち構えていた人々から次々と祝福の言葉がかけられる。
フラワーシャワーが空を舞い、あちこちから歓声が上がった。
「……これも、あなたの演出ですか?」
なんだか気恥しさを覚えたエレインは、そっぽを向いたまま隣に座るユーゼルにそう問いかける。
だがユーゼルは、そんなエレインの態度も愉快だとでもいうように笑った。
「いや? 残念ながらこれは俺の仕込みではない」
「え?」
「彼らは自発的に、君を祝いに来たんだ。それだけ、君が好かれているということだな」
「っ……!」
当然だとでもいうようにユーゼルが口にした言葉に、エレインは言葉に詰まってしまった。
……「エレイン」として生まれ、前世を思い出してからずっと、どこか心の片隅に空虚な想いを抱えていた。
「皆の望む伯爵令嬢」として、敷かれた道の上を歩き続けるだけの人生。
それでも良いと思っていた。夫となる王太子に愛されていなくても、幸せになれなくても、それなりに穏やかな人生を送ることができるだろう。
そう思っていたのに……。
「皆、君の心からの幸せを願っていたんだ」
ユーゼルの言葉に、胸が熱くなる。
エレインが勝手に心を閉ざしていただけで、周りはいつもエレインのことを心配してくれていたのだ。
そんな彼らの思いに、応えたい。
「ほら、笑って手を振るんだ。花嫁がそんな不安そうな顔をしていては、俺は君の幸せを願う者たちに石を投げられてしまう」
「……あなたは一回くらい投げられた方がいいわ」
ぼそりとそう言うと、ユーゼルは愉快そうな笑みを浮かべた。
相変わらず、気に障る男だ。
前世の因縁をさっぱり忘れているのも気に入らないし……こうやって、エレインの心の奥底に響くような言葉をさらっと口にしてしまうのも癪に障る。
(でも、今だけ……)
「エレイン・フェレル」を愛してくれた者たちのために、笑ってみよう。
エレインが笑顔で手を振ると、集まった者たちからこの日一番の歓声が上がった。
溢れるような祝福の声を背に、エレインはこの日、複雑な思いで故郷を発ったのだった。




