51 宮廷舞踏会
……前世のことで、ユーゼルを恨み続けるのはきっと間違っている。
エレインもユーゼルもリアナも、今はこうして生まれ変わって新たな生を謳歌しているのだ。
だから、あと一つだけ懸念事項を片付けたら……きちんと、「エレイン」としてユーゼルと向かい合おう。
そう決めたのはいいのだが、中々エレインはその懸念事項の片付けに入れないでいた。
「よろしいですか、奥様。アンバード公爵夫人は実にマナーに敏感な方で――」
「ラスティーユ地方の特産品はご存じですか?」
「バンディア家の当主も奥方も質素な装いを好む方ですが、彼らは王家に連なる由緒正しい家系で、決して軽んじてはならない相手でして――」
四方八方から矢継ぎ早に飛んでくる情報を、エレインは片っ端から頭に入れていく。
現在は侍女たちに囲まれて、ブリガンディア王国の社交界において必要な知識を記憶している最中だ。
国王が主催する、ブリガンディア王国最大規模の舞踏会――いわゆる宮廷舞踏会が、宮殿の改装の関係で例年よりも時期を早めて開催されることが急遽決まったのだ。
宮廷舞踏会となれば、国中の貴族が集まる一大行事。
先の婚約披露パーティーで華々しく(?)この国での社交界デビューを果たしたエレインだが、宮廷舞踏会ともなると話は別だ。
普段は社交界に顔を出さないような……それでいて国政においても、社交界においても大きな影響力を持つような高齢の貴族も顔を出すような大舞台。
ガリアッド公爵の婚約者とはいえ、新参者のエレインにとっては些細な失敗も許されないのだ。
(私の評判はユーゼルの――ひいてはガリアッド公爵家の評判にも関わってくる……。気は抜けないわね)
少し前まで「悪女の振りをしてユーゼルの評判を地の底に叩き落としてやるわ!」と息巻いていたのと同一人物だとは思えないほど、エレインはプラスの方向に張り切っていた。
そのおかげか、膨大な情報もすいすいと頭に入っていく。
ユーゼルのため、リアナのため、そしてエレイン自身の未来のために。
そう思うと、今までになくやる気が満ち溢れてくるのだ。
「ドレスも新調しなければね。今の流行を教えてもらえる?」
「もちろんです、奥様!」
「ばっちりリサーチ済みですとも!」
「ですが……奥様なら新たな流行を作り出せるのでは?」
「そうね……あくまで伝統や流行といった基本的な部分は抑えつつ、少し独自の要素を混ぜてもいいかもしれないわ」
「はい!」
いつになく真剣なエレインの様子に、侍女たちも張り切っているようだった。
彼女たちのためにも、未来のガリアッド公爵夫人として認められたい。
これからもずっと……ここにいたい。
(まさか、こんな風に思うようになるなんて……)
そんな自分の変化を少し気恥しく思いながら、エレインは人知れずはにかんだ。
◇◇◇
――宮廷舞踏会当日。
舞踏会の始まりを数時間後に控え、宮殿のエントランス前にはぽつぽつと馬車が到着し始めていた。
その中でもひときわ大きく豪奢な馬車が到着し、その場にいた者たちは息をのむ。
馬車に描かれていたのは、ガリアッド公爵家の紋だったのだ。
やがて馬車の中から、公爵家の若き当主――ユーゼル・ガリアッドが姿を現す。
彼が身に纏うのは藍色を基調とし、袖や襟元に銀糸で刺繍が施された衣装だ。
格調高くはあるが、派手ではない。むしろ公爵位に着く者としては随分と抑えたものだともいえるだろう。
だが、彼の存在は否応にも人々の視線を惹きつけずにはいられなかった。
その夜の化身のようなしなやかな姿に、老若男女問わずに居合わせた者たちは感嘆のため息を漏らす。
いつもは女性たちに群がられることを嫌い、さっさとその場から移動してしまうガリアッド公爵だったが、今日は違った。
彼は再び馬車の方へ向き直り、中の誰かに向かって恭しく手を差し出したのだ。
そこで、ぽぉっとその様子を眺めていた者たちは気がついた。
ほんの少し前に、ガリアッド公爵が小国の伯爵令嬢を婚約者として迎えたということに。
差し出したユーゼルの手に、馬車の中から藍色の手袋に覆われたしなやかな手が伸び、触れる。
指先から手の甲にかけては、思わず目を奪われるような精密なレースの意匠が描かれ、その下に透けるように艶めかしい白肌が覗いている。
ほっそりとした手首を守るように真珠があしらわれ、そこからふわりとなびくフリルがなんとも幻想的だ。
固唾を飲んで見守る者たちの前で、ガリアッド公爵に誘われるようにして、その美しい手の持ち主はゆっくりと姿を現した。
滑らかなシルクの生地が身体に優しく寄り添い、女神のごとく儚く細いシルエットを美しく際立たせている。
ドレスを彩る藍色は、満天の星々が踊る夜空のように深く、光が柔らかく吸い込まれていくようだった。
胸元や裾には銀糸で描かれた星座の模様がきらめき、無数の星たちが瞬くように輝いている。
まるで天上の星々が彼女に導かれて集まり、彼女自身が天空の輝きを宿す存在であるかのようにも見えた。
――月の女神が、地上に降臨した。
居合わせた者たちは、そう思わずにはいられなかったことだろう。
彼女――エレインは藍色のドレスに身を包み、まるで星々が舞う夜空に身を委ねるかのように微笑む。
その姿は誰もが心奪われる美しさであり、隣に立つユーゼルとの完璧な調和も相まって、天空の夫婦神がお忍びで姿を現したかのようだった。
夢見心地でぽぅっと見つめる者たちに微笑みながら、二人は優雅に宮殿の中へと消えていく。
その姿が完全に見えなくなってから、我に返った人々は、今しがた目にした神々しい光景について、果たして現実なのだろうかと口々に語り合うのだった。




